冬弥の命中率について。自分から襲ってくる弥生、一服盛ってくる美咲に関しては冬弥の非は問わないとして、はるか混同シナリオの面々は結構きわどいと思います。特に理奈編では、冬弥は直前までまったくそんな気配はないのに、はるかの面影に幻惑されて、突発的に興奮状態になっちゃいますからね。何の準備もありません。はるかはルーズなようで意外とちゃんとしており、またマイペースなので都合が悪けりゃ構わずちゃんと「ごめんね」と断るでしょうけど、問題は、行為の相手がはるかとは限らないということです。再三言いますが、はるかを基準にしすぎている弊害です。理奈のHイベント発生時期の範囲は幅広く取られているので、場合によっては正直まずいかもしれません。エピローグ前に理奈が消息不明になったあたりで、謝罪行脚のほか中絶を受けている可能性があります。考えすぎならいいですけど。万一それが事実だとして、理奈のような不幸な生まれを増やすのは忍びないですし、英二も心を鬼にして処断したのかもしれません。さて、仮にも冬弥は恋人持ちなので、その時のために避妊の準備をしていないのか不思議なんですが、彼は奥手なので「そんな、俺まだそんなこと…!」みたいな感じで元から何も想定していないのかもしれません。通常、まったく性的なものを感じさせない中性的な性格に描かれていますしね。得意の「俺判んない」です。そこまでカマトトじゃないかもしれませんが。けれども、イブの由綺との未遂イベントでの彼のふざけっぷりを見る限り、わざと長風呂して、由綺が眠るのを見計らって出てきてそうな感じにも受け取れます。もしかしたら、由綺がはるかではないことに薄々感付いていて、無意識にストップをかけているのかもしれませんし、由綺としてしまったら自分とはるかが失われるという警告が無意識から発せられているのかもしれません。相手はあくまで「由綺本人」であり、はるからしさが十分ではないので、できる状態になっていなかったのではないでしょうか。冬弥自身の下半身の「状態」についての言及が徹底して「不自然に皆無」なのは、やっぱりそういうことなのかなと思います。例によって冬弥は、都合の悪いことは黙るので、真偽は不明ですが。しなくて済んで冬弥はどこかほっとしていますが、元々はるかとの関係がベースなので、性的なことを極力先送りにしたい感情が働く上、無意識によるダミーへのためらいもあり、そもそも冬弥はまったくやる気がないのかもしれません。浮気以前の問題です。
けれど、儚くたゆたうはるかの面影を現実に繋ぎとめるには肉体を通すほかないので、冬弥は柄にもなく燃え上がり、またあるいは、茫漠としたはるかの面影に対するもどかしさから募る欲求を持て余す訳です。そして面影が顕在せず無効化しているため、対象が限定されず、誰でも構わないという困った状態です。けれども、生理現象は別として、多分冬弥は本来ははるかでしか勃たないんだと思います。本人は「はるかをそんな目で見たことなんかない!」とわめきそうですが、現に真相を見る限りそうなっています。はるか編では「幼なじみのはるかですら女として見てしまう俺あさましい」とかなんとか言ってますが、実は逆なんです。でもまあ基本はやる気ないっていうか猫かぶってます。反動もすごいですけど。冬弥はエロゲの主人公でありながら、中性的で禁欲的という、自分の存在意義を否定する矛盾した存在です。また、冬弥は物事を繋げて考えることが得意ではないので、出生時の母殺しに苦悩している割には、妊娠に対して配慮がありません。この点でも矛盾した性質を兼ね備えています。あくまで物語ですし、描写のテンポが悪くなるからか、そこまでリアルは追求していないのかもしれませんが、冬弥はもっと行動に責任を持つべきです。はるか当人は冬弥を素直に受け入れますが、その際、神妙に、しかと念押ししたことが若干気にかかります。はるかも学生の身なので積極的な妊娠は望まないと思いますが、それでも万一の時の誓いとして確認を取ったのかもしれません。はるかは色々な可能性を想定に入れて話しているのでしょうが、本人の思惑は毎度ながらよく判りません。はるかの真意を理解しかねているのは冬弥も同じだと思います。冬弥結構そういうとこありますが、思わぬ事態になったとしても「知らなかった」じゃ通用しませんからね!今後もはるかに主導権握られっぱなしだと思います。一つになることが冬弥の記憶回復の条件であることをはるかが知っていたかどうかですが、その後しばらく記憶回復に気付いていないことから、何も知らずに冬弥を受け入れたと考えます。知っていたら、はるかの性格上、絶対に受け入れていませんからね。冬弥の記憶が失われたことを悲しみ、傷ついてはいますが、かといって実際に記憶を取り戻す手立てを知ったとしても、その実行はできないと逆に自戒すると思います。
冬弥、由綺に勃たない説の補足。クリスマス、由綺の部屋で、冬弥の気持ちが高まって彼女の体の香りを嗅ぐ場面がありますが、これがきっかけで逆に萎えたのだと考えます。いや由綺が特別臭かったとかじゃなく、求める人物の香りと違うからです。冬弥ははるかのほぼ無臭の香りをとてもよく好んでおり、作中でも幾度も鼻を寄せてかすかな匂いを確かめては恍惚としています。冬弥が通常から性的興味という意味での素振りを見せる相手は、実ははるかしかいません。ルートに入ったからはるかを意識しているという訳ではなく、はるか編はいつもの彼らのいつも通りの姿が描かれており、二人が密着してじゃれるのは普段通りです。そして嗅覚というのは深層意識や記憶に最も影響を及ぼす感覚だと言われています。錯覚した冬弥は由綺の香りを懐かしいと言って、脳はだまされたまま彼女を求めようとしますが、本能では香りが違うことを敏感に察知して体そのものが拒絶したのだと思います。冬弥の気持ちとしては由綺とするつもりでいるけれど、無意識の体ははるか以外とはしたくないっていう。体は正直。それにしても体はその兆しがないのに由綺を求めたりして、その先どうするつもりだったんでしょうね。色々するうちにおいおい高まってくるだろうと行き当たりばったりに構えているのか、結局勃たないままならどうするつもりだったのか判りませんけど、由綺が寝こけてくれてちょうどよかったです。そうでなければ冬弥のヘタレ逸話がまた一つ増えていた所です。真相を知っていれば身も心もはるかに一途なためと判りますが、その認識がなければただ単に勃たない事実しかありませんからね。みじめったらありゃしません。
ともあれ、なんとかちゃんみたいに今まで一貫して優位な立場だったのに無様を晒して、相手が声もかけらんない状態になって、その様子にいたたまれなくてさらに辛く当たるなんていう二段トラブルにならなくて良かったですね。冬弥、自分にも不都合があった?のに自分だけ黙って、由綺の失態を心広く笑って許すみたいな素敵対応展開するオチに持ちこんで、ほんとずるいやつ。人のこと笑ってる場合じゃない。シナリオさんは従来作品を担当した先達をすごく敬愛していたようで、模倣って訳じゃないですけど、何かと影響を受けて参考にし、前提や条件は随分違いますが展開の下地にしているみたいです。遊び心というか。ただ、それをあくまで見えない所での小ネタにとどめ、表立って強調しないだけで。正直、文章になっていない部分こそが面白く、何でそんなに出し惜しむんだかって思います。まあ、偉大なるフォーマットへの礼節と、胸を借りる奥ゆかしさというもので、オリジナリティに直接抵触しないようにとの配慮なのでしょうね。
なお由綺編の最終日は、損傷した記憶がほぼ雪で埋めつくされた状態で、冬弥に残された手がかりと時間がわずかであり、また自分を欠いた由綺が混乱していることから、かつてのはるかの最後の記憶と重なり、イメージが強固に結合してしまうので、冬弥は呼吸を整えて立ち止まる余裕もなく、無意識からの警告を待つ猶予もなく、錯覚が解けない深刻な混同状態のままに、そのまま由綺と関係してしまいます。由綺と結ばれた直後、事実の塗り変わりを思わせる血の感触を前に、ふと一時的に思考が飛んでいるような印象ですが、その時点で誤りを悟って思わず体を引き離しても時既に遅し、冬弥は自分を失ってしまいます。表面上の語り口調は何も変わらないものの、後は抜け殻にバトンタッチ、いわゆる一般とは全然違った意味での忘我の境地というやつなのか、何となく上の空で機械的に由綺を満たすことになります。
イベント発生の整合性について。理奈EDは、順次イベントをこなさなくても他キャラの攻略と同時進行で成立することが可能な、単純で強力なものなので、はるか攻略で冬弥の記憶が戻っているのに、理奈に手を出すといった、物語上ありえない展開になることがあります。これは想定されていない展開、単なるフラグ管理の失敗だと思います。
単純で強力といえば、はるかEDもかなり高い誘引力のもと成り立っているものです。学生の本分である学業完全無視でADバイトを入れる等といった常識外れの無鉄砲をしない限り、冬弥が冬弥らしい当たり前の生活を送り、冬弥らしい普通の選択を気にも留めずにこなしていれば、9割方はるかルートに行き着きます。ゲーム進行的な意味ではなく、冬弥らしい惰性の学生生活、定められた運命の成りゆき、予定調和、当たり前の日常的な意味で。はるか攻略はおそらく全キャラ通して最も簡単で、部分的にフラグを折っても、それでもはるかED行きの道筋はまだ有効な場合が多いです。ある程度のイベントを押さえれば、情報不十分でも滞りなくEDに行けます。ただし、はるか攻略自体は簡単でも、それがそのまま物語の安っぽさとして終わっているのではなく、正味のはるか編は、真はるか編という本編全体の裏側の、一連の膨大な謎解き作業に相当します。WAの各編のすべてがそれぞれ真はるか編の一部であり、いわゆるはるか編は、ある意味それらの基準点として置かれているので、前提を踏まえやすくするためにもとりわけクリアしやすいものになっていると思われます。何はなくともはるかを攻略しないとWAは本当の意味で始まりません。はるかは特に好みでないから、あるいは見るからに外れキャラだからと安易に攻略除外してしまうと、WAの真の物語を知るための基礎条件に立つこともできません。いかにもメインっぽくお膳立てされている由綺と理奈だけ攻略して、それで作品に見切りをつけて終わりにしてしまうと、結局肝心なことは何も判らないままの不完全燃焼になります。要は、早合点してキャラの価値や作品内容の軽重を決めつけないことです。実際、真はるか編を読み解けば、作中投げっぱなしで立ち消えになっている多くの引っかかり要素がおしなべて補修されるので、WAへの批判としてしばしば挙げられる大体の不満や疑問は解消されます。ずさんな話の流れの多くは隠された理由あってのことで、真相を知ることでちゃんと納得のいく筋立てへと大化けします。描かれる価値観への好き嫌いは分かれるかもしれませんが。
ヒロインの定義について。表向き、各攻略キャラは各シナリオのヒロインとして存在していますが、裏側では位置づけが少々ずれ、本人のシナリオ内においても必ずしも冬弥に対応するヒロインとして存在するとは限りません。理奈は、理奈を主人公とする緒方兄妹の物語のヒロインで、冬弥はほぼ関係ありません。美咲は彰ED後に想定される彰主人公の後日談のヒロイン、マナはエッチはするけど恋愛ヒロインの立場にはなくより緊密な妹ヒロインで、弥生は本編にいない兄を相手とする過去編のヒロインです。それぞれ十分にメインを張れる器を持ちつつも、作中ではそれを発揮する場におらず、冬弥対応という点ではヒロインとして置かれていません。そんな中、はるかだけが冬弥の半身として対をなし、ただ一人、WAという作品の純正ヒロイン、冬弥だけの限定ヒロインとして別格に存在しています。そして本来WAのヒロインとされている由綺は「由綺『が』ヒロイン」であって、誰のでもなく、何のでもなく、帰属とは無関係に単独で自分がヒロインです。もう、そういうキャラ特性というか「ヒロイン」という一種の特徴、個性で、冬弥や作品内容との繋がりとは別枠で、由綺という独立ヒロインとして別個存在しています。由綺が「私ヒロインなんだから」という意識を知らず持っている限り、由綺はその通り、ぶれることなく絶対的な固定ヒロインです。名目上、恋人でメインヒロインの由綺が正式な絶対的立場であり、他はそこから横道にそれた派生、つまり邪道であるかのように受け取られがちですが、実はその絶対性は周知されているものとは全然違います。全シナリオにおいて由綺の存在の絶大さが基本条件かのように思われますが、彼女は自分以外のどの物語の流れにも関係ありません。由綺はいわゆるダミーですから、WAという作品の本当のヒロインとしての本質は持っていません。真相では、宣伝情報とはまったく違う様相を見せており、作品の前提やコンセプト自体が初めから根本的に異なっていたということです。WAの物語は、由綺を中心に描かれた話ではないのに、なぜか由綺が中心に陣取っているという不思議な状態です。でも、立場や作品内容にかかわらず、冬弥とは無関係に初めから由綺は「ヒロイン」なんだから、定義に則りヒロイン扱いするほかありません。それが当然で、実質そうでなくても冬弥も作品も当たり前に由綺のものと決まっているのです。一方、真ヒロインのはるかですが、そもそもヒロインと認定されることを目算に入れていません。ヒロインという証明は得られなくても、その有無により冬弥との関係が変化することは絶対にないので、別に構いません。その扱いにかかわらず、はるかは初めから「確かに十分に持っている」ので、勝ち負けという概念は存在せず、特に新規の要求もなく、ヒロイン特権という優遇を何一つ必要としていないのです。ていうかね、ヒロインするのってめんどくさいから。はるかの責任放棄と由綺のお門違いな意欲とがうまく噛み合い、それぞれ望み通りの待遇が与えられ、両者満足の結果です。
普段いかに清いことを言っていても、冬弥が多くの流れで浮気するのは事実なので、その事実だけを切り取って「冬弥はやはりくずだ」と頭ごなしに決めつけてしまいがちですが、肝要なのは、あれだけ潔癖すぎる冬弥が「それなのに、なぜ過ちを犯すに至ったか」を考えることです。冬弥は設定上、それを考え、答えにたどりつくことが「できない」ので、読み手がかわりに考えて答えを探ってあげる必要があります。という事情が判明するのも実際には冬弥の設定を「知った後」になるので、先んじて、読み手が納得いかない諸々の要素をひとまずのみこみ譲歩して、あえて冬弥に歩み寄り、彼以上に彼のことを理解しようと努めなくてはなりません。読み手に求められる負担が大きすぎて本当に面倒ですけど、元々そういうテイストのマゾゲーなので仕方ないです。作中に散りばめられた意味不明な暗喩や駄文にしか見えないパネルを、あえて重要視して有効活用し、何とか真実を突き止めましょう。
これに気付くか気付けないかが大きな分かれ目になりますが、すべては冬弥の本質、深刻なはるかコンの把握にかかっています。冬弥本人はそれをひた隠し、また天邪鬼でいつも逆の説明をするので、どうしても素通りしてしまいがちですが、はるかコンというのが真実で根本である以上、到底隠し通せはしません。冬弥およびWAの物語の鍵は、由綺ではなくはるかだったということさえ押さえれば後は簡単です。後は、主要箇所のパーツを由綺からはるかに切り替えるのみです。もう一つの障壁として、冬弥の記憶喪失・認知障害という異常状態を押さえることもさらに難を極めますが、パネルを軽視せず真剣に受け止めれば、大体その手の話に偏っているので、そこまで無理筋ということもないと思います。さて、はるかを起点に取っかかりをつついたら、まるでドミノ倒しのように次々と、気持ちよく真実が明らかになっていきます。そして一般にドミノ絵には裏表がある場合もあります。従来の方向でも、一応意味のある絵面にはなっているのでそのまま納得しておしまいにしてしまいがちですが、逆の正しい方向からもう一度押し戻して倒すことで、真のドミノ絵が現れます。途中で寸断されることなく難所をうまく突破できれば、由綺起点では得られなかったより多くのドミノ絵を心の中で鑑賞することができます。ほぼ自動で絵が流れ変わっていき、所定のドミノを全部倒し終えたら、真相という名の全体図を丸々掴めるという仕組みです。
はるか喪失という、誰が悪いのでもない、冬弥の身に降りかかった不慮の不幸が、彼に浮気をさせる原因です。はるかの記憶さえ健在ならば冬弥は過ちを犯さない、そもそもそれ以前に初めから由綺を好きになることもありません。だってはるかが正位置にいるんですから。はるかさえいれば、由綺を始め他の誰とも浮気する必要はありません。終生はるかしか愛せない人なんだから浮気する選択肢すら発生しません。浮気なんか、する理由がありません。それなのに、できもしないのに無理して浮気しているようなもので、何より冬弥自身が自分を許せず苦しむ状態を強いられます。しなくていい浮気をさせられて冬弥が可哀想になります。恨むなら逃れられない悲運を恨みましょう。
冬弥は別に日頃から性欲たぎらせているような漢ではなく、むしろ及び腰です。「えー俺そういうこと判んないっ」とか、きゃぴっと抜かして適当に逃げることも可能と言えば可能です。仮に意図せずおかしな雰囲気になったとしても流されることなく、目をそらしてやり過ごすことは十分に可能で、その方がよっぽど冬弥の行動として自然です。いつも通り、普通にしてさえいれば浮気なんかしなくて済む、というか浮気する展開など本来あり得ないはずなんです。けれど、本編では多くの流れで衝動的にやってしまいます。「結局、欲望には勝てないのか」という話になりそうですが、先ほども言ったように、冬弥は元来消極的で、別にえっちなことしないならしないで全然構わない人です。性欲自体には左右されないけれど、唯一「はるかが欲しい(これには性欲を含む)」というのは何にも代えがたい強固な願望であり、結果、はるかを得るためのアクションとして誤作動しているのです。「はるかとの相似」による無我夢中な追いすがりを始め、「はるかがいない」ことによる精神崩壊への抵抗であったり、「はるか以前」の原初の苦痛緩和だったり、「はるかを知る者」による慈悲に満ちた絶対的で屈辱的な誘導であったりと、冬弥自体は自身の浮気事情を認識すること、ましてや説明することはできませんが、大体そんな原因です。全部はるか主体で起きていることです。許されることではないけれど、実際冬弥の病状上、仕方のないことだと思います。失ってもなおはるかをこよなく愛する冬弥に、それでも「はるかを愛するな」だなんて無理な規制はできません。
冬弥は表面上は分け隔てなく友好的なので、誰彼構わず受け入れ、流されるままの軽薄な男に思われがちですが、実質、心に決めた相手にしか心を開きません。その区分は非常に厳格です。はるかへの一途な愛ゆえに、にもかかわらず取り違った認識により浮気せざるを得ない冬弥は、現実には罪を犯そうが、心は変わらず至極清らかな状態にあります。記憶を取り戻しても取り戻せなくても、過ちを犯しても、誤りの日常が続いても、すべてのルートにおいて、EDの最後のフレーズではるかによって「許される」ことで、WAのすべての物語は汚れなく奇麗なものとして完結しています。「POWDER
SNOW」は、実質はるかの歌でしかなく、彼女が歌うことで初めて、本題に即した楽曲として最大限の効力を持ちます。曲で描かれる佇まいは、何をも要求せず人知れず想い人との想い出に想いをはせる、といったもので、冬弥への言動がねだるか押しつけるかしかない由綺にはとても到達し得ない無我の境地です。はるかが歌わない限り、浄化と包容の、締めくくりの歌としての大役を果たしません。もっともそれは、プレイヤーが気付くか気付かないかの話で、はるかが歌っている事実は初めから固定なので、歌われる中身が変わることはありません。冬弥は知られざる下地で初めからはるかに愛され許されており、それは徹底して不変なので、プレイヤーによる心ない蔑みも甘んじて受け、歩み寄った理解を求めることもありません。他の誰からも許されなくてもいい。はるかの他には、名誉も擁護も肯定も何も要らないのです。究極の愛の形です。