はるか現物から安心を無制限に補填されるため、基本的に冬弥のタガが外れることはそうあることではありません。しかし、はるか現物でいくらか緩和されるとはいえ、はるか記憶の欠けはそれだけで大ダメージは大ダメージです。はるか本人がそこにいるとしても、はるか喪失の事実自体が消える訳ではありません。はるか現物によるカバーはあくまで対症的なもので根本的な解決にはならず、欠落は欠落として、実際冬弥内部ではガタがきています。はるか欠落により、自分が完全でない異常状態だということは冬弥としても無意識に判っています。ことはるかに関しては少しの欠けも受け入れられず、何とか自分の生命線をたぐり寄せようともがきます。そんな、失ったはるかをこいねがうことで自分を見失った冬弥が、誰も彼も、自分さえも傷つけることを厭わず、訳も判らず荒れ狂う様を突きつめたシナリオというのが作中随一の問題ルート、美咲編です。
まず第一に冬弥がはるか一人に集中的に依存しすぎていること、その大切なはるかに関して脳実物に機能的な重い障害を負っていること、それゆえ自覚なしにはるかを蔑ろにするという本当なら自分を許せない状況が常態となっていること、そして現時点、その異常期間が異常そのままに継続し、思わしくない未来の確定に近づいていること。冬弥には何重もの条件で異常なレベルの負荷がかかっています。見た目何ともなく見える冬弥の安定は、それぞれの問題による影響がかろうじて表面化しないぎりぎりのバランスの上に積み上がっています。その構造のどこを突いても冬弥全体の崩落に繋がります。どこを切り取ってもそこにある問題ははるか渇望で、ことごとく冬弥の急所となっています。そんな、はるかがいないことで内々消耗しきっている所に、美咲編冬弥には、外野から美咲の余計な干渉が入ります。わずかな手出しで総崩れ必至の冬弥は、まったくの部外者である美咲の微細ですれすれのアプローチによるいらいらでブチキレ寸前、全体の均衡を失ってしまいます。頼むから今は俺に触らないでって状況なのに美咲がにじりにじり手を出し引っこめするものだから、そりゃ冬弥だっていつもみたく穏便にやり過ごせはしませんよ。手負いの動物のごとく極端に激しい行動で応じることになります。
皆さん誰しも当たり前に経験することと思いますが、ど忘れしたことを思い出そうとしても、思考する神経が空回りするばかりで、結果が出ずに脳内白飛びしたまま意識が遠のくだけですよね?冬弥は通常それを、自身最大の一大事に関して重病レベルで課せられている訳です。本当はアイコンで元気に楽しくジャンプしていられる体調じゃなく、常にへばってダウン寸前なんです。はてにはそのまま死んでも全然おかしくない極限状態で、美咲の生煮えモーションが入るとなるとストレス限界です。冬弥は空気が読めすぎてしまう人なので、美咲が自分を狙って作為的に待ちの布陣で構えているのを知っています。美咲への対処に割ける余裕なんか少しもないのに、彼女が察してでちらつかせる思惑への酌量込みで応じなくてはなりません。さほども残されていないわずかな余力で、そう特別でもない人に、神経すり減らすお愛想対応に臨まなくてはならないのです。
冬弥が脈絡なく唐突な行動を取り、何のつもりもなかった美咲に衝動だけでせまっていると思われがちな美咲編ですが、よく見ると徹底してそうじゃないんですね。必ずといっていいほど、冬弥の方で動かない限り場が次に進まない状況が敷かれています。図書館では冬弥が本を取らない限り美咲は目的を果たせずもたもたしている。講堂では冬弥が励ましに回らない限り美咲は自己卑下に浸ってうじうじしている。クリスマスには冬弥が引き渡しを促すまで美咲はライターをつけられずおろおろしている。これらは、冬弥の応じようを想定して、美咲が故意に仕組んでいる布陣です。冬弥が反応しなければまるで意味をなさず、展開したまま不発に終わる「待ち特化」の受け身の罠です。そう、冬弥は「踏みこまなきゃいい」んです。美咲は困った様子でなんか色々やってるけど気に留めず、冷たくスルーして相手にしなきゃいいんです。それができれば世話ない話ですが、あいにく冬弥という人は根本的に、他人をむげに切り捨てることができません。自分が動かない限り美咲がそのままむなしい一人芝居を延々続けるとなれば、それを痛々しく感じる冬弥は仕方なしに動くしかなくなります。彼はあまりにも空気が読めすぎて、場を繋ごうと美咲の望む通りに自分を動かしてしまうのです。冬弥はノーリアクションで薄情にやり過ごすことが絶対にできない、それを美咲は判っているのです。冬弥の優しさを前提に組みこむのも含めて、美咲の策のうちです。
ただ問題なのはその折、美咲の釣り行動に対し、冬弥は限度以上に過剰に食らいついてしまいます。こっちで言葉をのみこみ愛想笑いしてやんわり濁している間に引き際を悟って切り上げてくれればいいものを、美咲がいい加減しつこいから冬弥も相当頭にきているんですね。逆ギレします。「これなら満足?文句は言わせない」とばかりに強硬手段に出て居直ります。美咲としては、自己卑下にはせいぜい「そんなことないよ」くらいの軽いフォローが戻ってくればよく、ライターを手渡す時にも互いの手が触れて「あっ…」程度で十分だったのに、冬弥は段階すっ飛ばしで振り切れた応対に突っ走ります。無論、平時であればそんな行き過ぎた暴挙、日和見な冬弥は絶対にしませんよ。でも何度も言うように、彼は既に限界に達しているのです。その上さらに美咲絡みで無駄に余計な神経を使ってしまっているから、もう完全にノイローゼです。言動の出力調整がきかず、いきなり最大出力です。自制分にまともに回せるだけの精神力が、絶対的に足りていないのです。だからもうやめたげてよ美咲さん。
状況的に考えて、冬弥には美咲にかまけている余裕はなくそれどころじゃないという確かな事情が存在します。そして美咲がねっちょり仕掛ける罠にはっきりノーが言えないでいるのも確かです。ゆえに急展開においては、美咲に対してとうとうたまりかねての逆ギレの居直り、つまり八つ当たりの激情が、強引な行動となって表面化したのはほぼ確定的といえます。けれどもシナリオを読む上で困ったことに、そんな、美咲への不信と苛立ちが形となって表れた当てつけの行動だというのに、そうした反感を覚えている方の冬弥は、自分の感情を雄弁に語りません。実際冬弥が美咲にブチキレて当たっているのは背景からしてほぼ間違いないのですが、そのブチキレた方の真の冬弥は何も喋ってくれないんです。内部でブチキレた結果としての現実行動なのに、表面で大方の発言や独白を担当している冬弥の意識は別個に存在しているため、事態が正しく説明されません。表面にいる冬弥は自身の真意を把握できていないまま自身の所業を直視させられるので、不十分な情報の中、彼なりに導き出したもっともらしい理由を力技で何とかこじつけて、間違った見解を作中で堂々提示していくことになります。
そうやって冬弥を崖っぷちまで追いこむほどに、美咲が粘着干渉の手をゆるめないその神経何なのって気になる所ですが、ここでいったん、彼女が持つ相関図について取り上げてみます。自分が気付けていなかった人間関係の構図に美咲は先駆けて気付いており、全部理解していた、とフェンスイベント導入にて冬弥は語ります。ですが、美咲の方が自分より高次の相関図をとらえているであろう現状に気付いたところで、それでもまだ、冬弥がひもとく美咲所有の相関図というのは全然でたらめです。まず冬弥は自分の事情からして把握していませんからね。遅ればせで気付きに至った彼が、いかにも真理のように語っている人間関係のもつれ模様は大体全部間違いです。
美咲編美咲の様子からしてどう見ても、彼女が「はるかに」心苦しさを感じ、気後れ意識を向けているのは明らかです。確実に「はるかを」敬遠する動きを見せています。美咲の中では「はるかが」軽視できない強大な存在として置かれているということです。美咲は、冬弥の人生唯一の正ヒロインが本当ははるかである固定の真実をしっかり知っているのです。つまり美咲が所有する相関図は、真相に程近い、より正確なものです。トゥルーメインヒロインとして抜かりなく状況に目をピカらせているはるかに次ぐ形で、美咲は人間関係の構造について少なくない情報を手にしています。はるかの持つ相関図が最も精度の高い完全版と言えますが、それは理性に基づき全体を見渡した客観的なものです。対して、美咲の持つ構図には彼女の感性で強調された掘り下げが入るので、私情が盛られると同時に、ある面ではより厚みをもって事情が肉付けされることになります。
美咲は「冬弥の記憶喪失」という、作品の真のメインストーリーを知っています。冬弥がはるかを忘れているという隠し設定を、美咲は部外者ながら、その粘着による観察結果として把握しているのです。つまり冬弥現状での由綺との交際は、不幸にも相手を取り違えているだけで、彼が変わらずはるかだけを想い続けている真実は美咲の中でも確定事実です。そしてまた美咲は、冬弥が本来基準としている前提と、彼が現在身を置く状況とが食い違っていることで、そう遠くない未来に彼の歯車が正常に回らなくなる事態を予見しています。
冬弥の不調は、美咲にとってある意味都合が良い条件です。冬弥が朦朧としている間が彼を取りこむチャンスです。はるか命を極まらせているだけに通常では落とすのが無理な冬弥であっても、脆くなった所から切りこんで籠絡し、骨抜きにできる可能性が出てきます。そして美咲は、はるかを失っていく焦りで不安定を強めていく冬弥の、その隙を狙って攻めてきます。美咲は壊れた冬弥の故障がいよいよ進んでしまうことを承知で、事故物件という但し書き念書込みで彼に手を伸ばします。
どさくさで落とした所で冬弥は本調子でないし、もはや正気でもないのだから、あんまり手放しで喜べないと思うのですが、美咲はそれでもいいのです。だって藤井君が好きだから…。急所と判っていてそこをさわさわするのは逆鱗に触れているも同じですが、目に見えてぐらつきが見込める弱点だけに、つい構わずにはおれないのです。危険を厭わないほどに、それだけ理屈じゃなく冬弥が好きでたまらないってことだと思いますが、まあ…、重いっすなあ。ただ実際には、美咲が想定するよりずっと冬弥はこじらせが重くって、難を承知しているはずの美咲でも全然手に負えなくなり、途中で逃げの姿勢に転じます。美咲は情愛は重すぎる一方で、それに見合った十分な覚悟はできていなかったのです。
冬弥が真に焦がれる対象、はるかというのがいかに強力な存在か、美咲はよく判っています。美咲は今のだらだらな姿だけではなく黄金期の冴え渡ったぶっちぎりはるかも知っているので、彼女の持つ価値がとにかく破格で、敵う者などそうそういないことをよく理解しています。現在ではもはや以前の輝きは見る影もないと思われがちですが、実際にははるかが自分の意志で自分の可能性を捨て、頑張るのをやめているだけで、ポテンシャル自体は変わらずにあり、はるかそのものの価値は少しも目減りしていません。かつてを知る美咲には、はるかが今なお大物だという現実を無いものとして、そのまま安易になめてかかることはできないのです。要するに、はるかには絶対に勝てません。
そして現時点、冬弥に忘れられるという不遇な状態に置かれつつもはるかは、普遍で不変の慈愛精神でその彼を見守っています。あいつのスタンス完全にお地蔵さんで、普通の人間では絶対に並ぶことができない異次元の境地にあります。はるかもうほぼ人外だから、同じ目線に立つなんて不可能です。人としての器を解さない人ならともかく、美咲は人をよく見ている人で、それだけにはるかというのが類のない人徳を備えている真実を視野から外して考えることはできません。要するに、はるかには絶対に勝てません。
視点を変え、ここで冬弥を中心にして考えてみます。マナ編美咲の発言をかいつまむと、冬弥は「何でもなく微笑んでいても、その裏で人知れず苦悩を抱えているように見える」らしいです。実際冬弥はそういう人で、美咲の人物評に間違いはないのですが、作品全体通してよくよく整理してみると、冬弥がネガティブ思考全開で鬱々とぼやきまくるいつものパターンというのは「独白に限られている」んです。ざっとさらってみて下さい。ぶちぶちやるのは「独白だけ」で、表面上は非常にフラットにしている場合がほとんどだと思います。独白は基本、外に向けては露出していないのです。脛蹴られて痛ったー!ですら声には出さないですからね冬弥は。作品を読みこむうちに、何のひねりもなく素直そのものに見える彼がどうも、偏執的で屈折しきっていることはじわじわ判ってくるんですけど、普段のぽけっとして頭弱そうな外観だけからそれを見抜くのは困難です。プレイヤー権限的に独白を読みでもしない限り、冬弥の性格が相当鬱屈している内情は肉眼には映らないはずで、彼が「とりわけ悩みに特化した人間」ということは、表から見ただけでは到底察せられない裏側です。
ところが美咲は、心境をまったく出さないはずのその冬弥を「つらそうに見える」と評します。普段そこまで見解を強調することのない美咲があえて指摘するに相応な、それだけ確かな根拠があるはずです。でも、いかに気持ちに敏感な美咲といえども現実冬弥は徹底して心情を内面だけにくくりつけており、本人からそれが直接伝わることはありえません。冬弥自体からじかに受ける印象ではなく、彼の人物像を結ぶのに欠かせない個人情報、考慮に入れるべき決定的事実が下地にあって、美咲はそれを別途参考にしているのだと思います。本当なら、馬鹿みたいにゆるく笑っていられるはずもない裏が冬弥にはあるのです。背負う重石がつらさいっぱいで、その笑顔が彼の根っからの気持ちを映し出したものでないと確信させるだけの何かが。
つまり冬弥には、なんか曰くつきの背景がある。けっして明らかにはならないけど、なんかある。家庭問題を扱うマナ編での匂わせだけに、なんかそのくくりで。そんな、詳しくは謎だけどなんか訳ありで生きてきたらしい冬弥にとって、常に側で寄り添ってくれたはるかというのはそれだけ大きな存在感を持ちます。彼が秘める裏側が重ければ重いだけ、支えに対する信頼と依存は高まります。冬弥の中ではるかは絶対不可欠で、絶対手放せない唯一の人です。その強固に結合した関係に横から美咲が割りこもうにも、初めから余地はありません。要するに、はるかには絶対に勝てません。
どの切り口からも明らかなようにはるかは無敵で、その彼女に心の矢印がかっちり固定されている冬弥をゆさぶることは不可能です。冬弥にとって「絶対」であるはるかは、彼限定で完全無欠に完全対応した「ただ一人の女性」です。これだけの冬弥専用性を持つはるかを前にしては、美咲はすごすご引っこむしかありません。美咲が冬弥をめぐってはるかに待ったをかける、あるいははるかオンリーの冬弥をそれなのに挑発する、なんてことは起こらないはずなんです。物陰から「何もせず」見つめるのは既定かもしれないけど、少なくとも冬弥に受け取り反応を強いる釣りモーションの「明らかな実行」はされないはずです。美咲は徹底して競うことを回避する人で、冬弥をゲットするためにははるかという強敵と対峙し、かつ打ち破らねばならないという条件があるのなら、初めから諦めるはずです。また恥をかきたくない美咲は、得られる見込みのない冬弥にアプローチしても結局切られるに決まっているのに、彼に気持ちを知られるなど言語道断、ましてやわざわざ彼に伝わるように自分の好意を見せつける振る舞いはしてこないはずです。勝負自体もしたくないのに、勝てない勝負になんて絶対名乗り出るはずがないんです、保身第一の美咲だけに。思いつめる心情は重いとはいえ、美咲がそれを行動で見せるという思いきった選択をとるのは、本来であれば起こりえない状況です。
冬弥はるか間には切り崩せる突破口が一切ないので、美咲が冬弥に手出しすることはどうやったって不可能です。可能性のない恋をそれでも前向きに押せ押せできるほど、美咲は身の程知らずではありません。冬弥とはるかの間に立ち入ることは不可能で、はるかには絶対に勝てない。これは固定。でも由綺なら?由綺には対冬弥特化のアドバンテージは「何もない」のです。なのにその由綺という全然お呼びでない人物が、何をもってしても分かつことはできないと思われた二人の関係を断ち切る形で鎮座している訳ですよ。取り違えという非常につまらないことで、本来絶対不可能と思われた冬弥はるか間の割りこみが実現しているのです。
「あのはるか」の置き換えとするには、あるいは「あの冬弥」の支柱に成り代わるには、由綺はどう考えても度量が足りておらず全然釣り合いません。けれど現実に公認の立場にいるのは、その由綺です。冬弥とはるかが公式に結びついていたなら、美咲に行使できる手立ては完全に皆無でお手上げです。でも由綺であればワンチャン出し抜けます。由綺は由綺個人が理由で選ばれたのではなく、彼女が選ばれたのはあくまで「間違い」です。由綺の立場は公認でありながら正規ではないのです。冬弥の対とされる人物が偽物にすり替わることで、冬弥の相手というポジション自体の強力な絶対性は失われます。何の基盤もなく、いつほどけてもおかしくない繋がりへと変わります。二人の継ぎ目は脆弱となり、軽く突くだけで分断可能です。そこにいるのが由綺になった時点で二人の領域の強度は一気に下がるので、美咲が冬弥への接近を妨げるバリアを突破するのも夢ではありません。冬弥の相手が由綺になった時点で立場的に、冬弥がまとう、他の女を受けつけないはるか一筋バリアは見かけ上では失われるので、美咲にも攻略可能となります。由綺とであれば立場の交代は可能で、美咲にも勝ち目が出てきます。偶然を活かした、そういう戦略的戦法です。障害となる相手がはるかから由綺へと繰り下がっているのなら、美咲としてはいくらでも度外視できてしまうのです。
読み手は通常、冬弥の説明に従って相関図を受け取ることになりますが、その冬弥の説明は適正に修正しないとまるで使い物にならず、そのままではまったく意味をなさないというのは何度も述べてきた通りです。冬弥の語るまま、美咲は由綺に遠慮して身を引いてきたと思われがちですが、本当は前提からして何もかも間違っているのです。美咲には、由綺は偽物だという意識が強くあります。たかが偽物相手に遠慮する筋合いはないんです。由綺を立てて身を慎む義理などなく、彼女を軽視しているからこそ美咲は、冬弥の気を引く素振りを、目に見えるか見えないかの水面下すれすれで「延々続けて」います。美咲が由綺を気がかりとせず眼中にもないのは、もう慢性化しています。
読み手の目の届きにくい間合いでなので事実として実感しづらいことではありますが、美咲がかねがね冬弥に振り向かせの圧をかけているのは確かです。美咲が本当に由綺に遠慮しているなら、こんな、継続的に徹底して冬弥を挑発する動きは現実として取らないはずです。由綺が「冬弥の恋人」として「本当に確定している」ならば、慎重派の美咲は現状を乱すような思いきった真似はしません。そもそも美咲は競うことが苦手なのに、既にしっかり立場の固まっている由綺を意識しつつそれを出し抜く形で冬弥にモーションを仕掛けるという大胆なことができると思いますか?由綺が「本当に確実な存在」で、美咲に「少しの可能性もありはしない」のならば、美咲が執拗に追い回して冬弥に反応を求めるなんてことは起こらない訳です。なのに美咲が日々冬弥釣りにいそしむのはそれはつまり、由綺が大した存在でなく、ひょっとしたら自分にも出番が回ってくるかもと、美咲本人が策謀しているからに他なりません。
事情を知る美咲には、意味なく定置されている由綺の待遇にどうしても納得がいきません。それでも由綺の「恋人」としての立場は公的なもので、ゆるぎません。美咲は悶々とします。相手を間違えているにせよ冬弥が自分の意志で由綺を恋人に選んだのだから、それについて外野が何か言えるものでもありません。冬弥引きずりこみの罠をしつこく仕掛ける美咲がそれでも大っぴらな好意表明には至らないのは、まさにそこに理由があります。由綺自体には怯む道理はありませんが、その立場には平伏しなくてはなりません。世間の目は怖いですから。結論として、美咲は「由綺への」遠慮は全然なくて平気で冬弥にあれこれできるんだけど、一方で「自分の」体裁は大事で、冬弥へのあれこれが表沙汰になって公に白い目で見られるのは避けたいので、自然、好意を示す振る舞いは抑圧的にセーブされ、可視化されにくいということです。
美咲が持つ由綺へのもやもやについて、さらにもう一石。大前提として、美咲は人の気持ちに非常に敏感な人です。ゆえに、ぱっと見冬弥を褒めちぎり、彼へのぞっこんぶりをこれでもかと表明する由綺がその実、彼をとことん粗末に扱っている現実は、美咲には「判りきった話」な訳です。それは言動の端々に垣間見える動かぬ事実ですから。そう、美咲は由綺がアレなことも「当然に」察しているのです。思う所ありながらそれでいて普段「ふふっ、由綺ちゃん嬉しそう…」とか生温かく微笑むことができている食わせ物なんです。
美咲は由綺を本当は良く思っていません。距離感のない由綺は美咲を姉のように慕っているかもしれないけど、美咲の方は由綺を全然そんな親しげには思っていません。でも「美咲さんすごおい!私、色々教わりたいな」ってがっぷり絡まれたら「え、ええ…」としか言えないです。美咲は冬弥以上に嫌と言えない性格なので、厚かましい由綺はフルパワーで美咲の懐に突撃放題です。内心苦手意識があっても、気弱な顔で微笑んで快く受け入れちゃうんです、美咲さんそういう人だから。それは、美咲のつきまといに心底うんざりしていてもそれをあえて嚥下し、何事もない普通の笑顔で気さくに応対してしまう冬弥のパターンと同じことです。知らぬうちが幸せってもんです。
スーパーはるかの代わりには全然ならないというのはもう初めから大目に見るしかないとして、これといった取り柄がなくても最低限善良で心ある人間ならまだ許せるものを、いかんせん、由綺は人として下の下の人間です。冬弥を馬車馬のように酷使し、ぼろ雑巾のように放りっぱなしにしては「私が頑張れるのは冬弥君のおかげ」みたいな殺し文句を恥ずかしげもなく吐いてくる訳です。冬弥本人はそれで喜んでいるから別にいいんですけど、傍から見ている美咲としては何とも言いがたい理不尽な現場です。
由綺は冬弥を便利に使うばかりです。由綺が冬弥をモブの使用人としか思っていないのを、美咲は敏感に見抜いてしまいます。冬弥自体の持つ価値に一切目を向けずドブに捨て、彼の可能性をただひたすら自分のためだけに無駄にすり潰す由綺の所業は、美咲には我慢ならない訳です。曲がりなりにも真剣に冬弥を想っている美咲としては、由綺のスタンスは絶対に許容できません。森川由綺というとんでもない女に、愛しの藤井君がいいように消費されていく現実に、美咲も気分良くはいられません。表ではいい顔していても、「何なの」って不満に思います。「藤井君はそんな、低い扱いをしていい人間じゃないのに…」と、もやもやしています。好きな人が粗雑に扱われる惨状に、美咲は到底納得がいかないのですよ。私の方がずっと彼の良さを判ってる、私だったら彼をもっと大切にするのにって。ずっと冬弥に粘着もとい片想いしてきた美咲なので、その気持ちでは由綺に負けていない確信があります。ていうか冬弥を人とも思わない由綺には冬弥愛を語る資格などありません。という訳で、美咲ははなから由綺自体を認めていません。美咲が、好意的観点から「由綺には敵わない」と負けを認めた上で、彼女の恋を温かく見守り応援している、というのがそもそも誤解でしかないんです。
由綺を好意的に思い、可愛い後輩として大事にしているなら、人として彼女を踏みにじり真っ向裏切るなんてとてもできないでしょ普通。まともな神経しているなら。美咲編を読む上でどうしても引っかかってくるのはひとえにそこなんですよ。美咲はいつも「由綺ちゃん由綺ちゃん」と口では由綺の優先を促しながら、土壇場では特に由綺のことを持ち出してきません。由綺の存在は見過ごされ、結局美咲は由綺を蔑ろにできてしまうんです。当座の人間関係を考える上で、重要不可欠なはずの由綺を。これって要するに、本当は由綺は重要不可欠ではないのです。美咲は初めから、由綺の存在を大事とは思っていません。何のストッパーにもならないのです。美咲は由綺に親愛の情なんか特別持っていないのに、定説では、あたかも二人に固く結ばれた美しい先輩後輩の絆があって、それを破綻させられないとしながらも裏切りへと進む展開に悩める話であるかのように言われています。そこんとこ偏った冬弥語りと読み手善意の思いこみによって誤解が横行しているのです。
美咲が足元にも及ばないと身を縮め、敬意を払っているとしたら、その対象ははるかです。過去の取り違えさえなければ、人に人間性を解さない由綺に冬弥が身をすり減らすまでしてかしずく理由などどこにもありません。はるかだったら何一つ文句は言えないけど、由綺では何一つ容認できない訳です。諸々割りきれる無関心な第三者ならともかく、美咲も冬弥を好きなことには相当本気だからね。冬弥の冷遇を座視できません。
とはいっても、美咲にちゃんとした立場がある訳でもなし、それってただの横やりですよね?冬弥が由綺の下僕しているのは彼が好きでやっていることで、下僕根性の冬弥は好きで下僕生活しているんだから、それを外野の美咲がいくら不満に思ったって仕方ありません。余計なお世話です。冬弥は由綺という猛毒を浴びても平気でいます。冬弥はデフォの状態異常が重度すぎて、新たに別の異常で苦しむ空きがないのだと思います。彼は劣悪な状況でいて、それでも構わないのです。由綺を問題視して何とか冬弥から引き離したいと願おうが、結局それはただの横恋慕で、どう考えても美咲に正義はありません。由綺にあれこれ語る資格など認められないけど、そんな美咲もまた物申せる立場にありません。それどころか由綺の方はその実態でありながらむしろ立場はばっちり保証されています。それでは関係を妨害する側に非が問われるので、うかつに干渉できません。心ならずも美咲は、座して猛毒の由綺を容認するしかないのです。
美咲視点では、偽物と判っているのに、猛毒と判っているのに、それでも立場が公で認定されている以上、その由綺を最上位の正ヒロインとして持ち上げて扱わねばなりません。好きな男をめぐっての、女心の本音と建前が巧みに表現されていて、すごく面白いと思います。内心反感渦巻いているのに、己を控えて丁重に由綺を立てていられる、美咲さんって女性。その我慢には頭が下がります。けど、正直恐怖で身震いします。
欠片ほども正当性が認められないのに立場を不動のものとしている由綺への不満を、世間体をやたらと気にするその常識と良心によって美咲は何とか抑えてきました。一方で、無敵のはるかカードを無効に留め置くために欠かせない、由綺というスカカードの特大効力に着目します。美咲は部外者でありながら、その条件をただ乗りで活用できます。由綺に「恋人」としての正当性などありはしないと軽んじながらも、当面、由綺がその立場にあることは、冬弥攻略の面で美咲には都合が良いのです。無敵のはるかを消せる上、場に残る当の由綺は話にならないパチモンですから。冬弥を狙う美咲の行く手を阻む壁が由綺であればいくらでも抜けられます。由綺が「前提」として場に展開されている条件は必須なのです。立場に仮置きされた由綺からその座をもぎ取る形でのみ、美咲は冬弥の隣を獲得できます。由綺が場にいない条件だと、美咲には初めから場につけ入る手を持てません。つまり「由綺が恋人として存在している」状態の冬弥でなければ美咲は彼に手が出せず、寝取り展開以外に条件を満たす道筋はないのです。
何より体裁が大事で、誰からも否定されないよういい顔だけを周りに見せていたい美咲ですが、これだけ冬弥攻略の条件が整っているというのは、彼女にとって大きな誘惑です。絶対無敵のはるかが運良く無効になっている。現在立場ある地位にいる由綺にはまったく正当性がない。そして冬弥は今まさに不安定で右も左も判らなくなりつつある。この揃いきった条件でなら、いくらでも冬弥をしとめることができます。それらがすべて冬弥を狂わす異常の産物だと判ってはいても、美咲はその流れに乗ってしまいます。とにかく、美咲編展開は降って湧いたまたとないチャンスなんです。冬弥を得るだけでは全然見合わない、世間的な大痛手が待ち受けていますが、これを逃したら美咲には次はもうありません。
冬弥はただ単純に、由綺に会えない寂しさを抱え孤独に苦しむ自分と、それを見ていられなかった美咲という狭い構図で考えていますが、冬弥が知らない相当こみ入った所までひっくるめて、美咲は多くのことを知っており、思考の前提としています。彼女が所有する相関図は、実際には冬弥が想像するよりはるかに複雑です。美咲はけっして、冬弥の立場に沿った観点から彼だけを主体に考えているのではなく、私情を盛りこんだ人物把握のはてに、彼女なりに色々と利己的に計算して、望みを果たすべく狡猾に動いています。美咲ビジョンを正確な状態に修正した上で、作中彼女の言動の裏にある心境を推し量ってみるのも、シナリオ主旨ががらっと様変わりして味わい深いと思います。
大部分非公開の藤井君情報ではありますが、自分が気になった要チェックポイントは片っ端から全部ピックアップするので、多分美咲さんノートには設定資料集以上にびっしりくまなくその詳細が完全網羅されていると思います。粘着性の鑑。少なくとも、そんな秘蔵ノートを、表に出せる分だけでも応戦カードとして恋愛バトルに持ちこまれては知識量で由綺に勝ち目はありません。ていうか引く。謙遜じゃなく「私じゃ、そこまで冬弥君のこと想えないし」(どうして美咲さんはそんなにまで想ってるの?)ってなって、あっさり美咲に白旗上げると思います。別に由綺には冬弥に特に思い入れはないので、というか冬弥に固有の価値を認識していないので、美咲をそれほどの粘着に駆り立てるその根拠、冬弥個人の魅力要素が判らないのです。
作品上では由綺は特別こじらすことなく裏切りをすんなり許してくれるので、罪の意識が心に痛い苦渋EDではあれど綺麗に着地したと思われがちですが、本当にそれだけの結末で終わってくれるかなあ?まずもって由綺はそんな、人格のできた人間じゃないんですよ?冬弥に執着はなくても自分の哀れはひけらかしたがります。そして由綺は正直すぎて、言っていいこととまずいことが判っていない人です。「信頼していた先輩に好きな人を取られちゃって…。でもお、それは全部私のせいでえ、二人が悪かっただなんて全然思えないんです私い」とかTV越しに大暴露して同情を引くような場面も出てくるかもしれません。事務所の方で局にカットをお願いできればいいですけど、編集をすり抜け、そのまま世に流れてしまった日には地獄絵図です。理奈の場合は彼女優先で事務所で守られるので、由綺には固い口止めが施されるでしょうが、美咲に関しては事務所は部外者なので、事前対処できません。予告なしに炸裂します。さすがに公然の記事になるのはつらいな。そうやって世のそしりを受ける覚悟がないなら、初めから不貞関係に進まなきゃいいんです。