補足26


美咲編冬弥の発言はこの際まともに読む必要はありません。冬弥の話が話にならないその仕様を押さえることが重要で、冬弥の話自体を話の筋として押さえることは重要ではありません。「冬弥は」何の参考にもなりません。強力なハンデを負っている冬弥の言うことは、もう本当にあやがなくて使い物になりませんが、そのかわり「美咲の」言動というのが、作品構図をとらえる上での指標として結構な意味を持ち始めるようになります。


真相を把握した頭で改めて美咲編美咲の言動を見返してみると、プレイヤーとしては手に入れるのにそこそこ難儀した「その真相」が、既に美咲の中でも了解済みかのような雰囲気を感じます。はっと静かな衝撃が脳裏に走ります。あれっ、ひょっとして美咲さん、もう「これ」知ってる?知ってた?と直感します。プレイヤーが「冬弥の」裏設定を知った時点で、それに伴って「その設定を知っていた?」という「美咲の」裏設定もまた示唆されることになります。いや、当の美咲は固く口を閉ざしているので証拠は一切出ませんが。視認対象としての美咲はあくまで「冬弥から見た形」でしか描かれないので、彼女の正確な認識度については証明できません。けれどもそれまで不可解だった彼女の言動に何となく納得がいく状態にはなります。


美咲編で美咲がものすごく深々考えこんでいる姿がたびたび目にとまると思います。何を考えているかの詳細は外部からは判らないけれど、その重くて長い思考が、ただ冬弥が無思慮に向かってくるのを甘んじて受け入れるためだけに費やされているとはどうしても思えないんです。「嫌と言えずに困っている」「立場の板挟みに苦しむ」等の受動反応だけじゃなく、美咲は明らかに「何かを思考」しています。その有意な思考の総量と、消極性極まる対応とが釣り合わないのです。普通の心境類推程度では導き出すことのできない答え、何か別のことも彼女は考えているのではないか?はっきりはしないものの何となく、引っかかる何かが事情として残っている気がしてきます。要するに、話としてまだ出てきていない何かが他にも裏にあるんじゃないかと。


初動の常識では、シナリオ上の懸念材料というのが「由綺」しか存在しないので、当然それを主軸に物語をとらえることになります。外部からは判らない美咲の心情についても、当然「由綺」を主軸にして推定することになります。ただ、どうしても腑に落ちません。これは個人的な感覚の問題なので恐縮ですが、特に由綺を想起しそうにない由綺関連でない場においてもなお美咲が物思いに沈む様子は一度限りでなく幾度となく描かれており、彼女の頭を占める思案ごとは、由綺ではない何か別のことのような印象を受けるのです。大筋では「引け目に弱い美咲は場を問わず常時由綺をちらちら意識している」でも確かに話は通るのですが、それ前提で美咲編美咲の挙動を整理するとなると、根本から噛み合わない違和感が否めません。傍目からの見え方に過ぎないので断定はできませんが、それまで頭になかった由綺の存在をその場になってにわかに思い出してはっとする感覚?といいますか、そんな風に美咲の挙動は描かれています。逆に「常時は由綺のことを失念している」ように見受けられるのです。


現状認識として絶対に外すことのできない由綺の存在ですら頭から消し飛ぶまでに、長年想いを寄せてきた冬弥からの突然のアプローチが思いがけなさすぎて、混乱でいっぱいいっぱいになっているとも考えられなくはないです。立場はどうあれ、好きな相手に求められたらそれだけで舞い上がって、前提も後先も考えられずにそのまま受け入れてしまうものだと、そういう女のさがを描いた話なのだと処理されるかもしれません。単純に美咲がそういう押しに弱い流されるタイプの女性だからこその展開だと結論づけることもできます。ですが、本当にそうなのでしょうか?


断れない美咲の性格は「シナリオだけ」見ていたらそうなのかもしれません。しかし他シナリオでの振る舞いやパネルでの傾向を見るにつけ、基礎として丁寧に描かれている人間性からはそんな短絡的でうわずった感情だけで動くような美咲像には繋がらないのです。確かに彼女には強く出られると怯んでしまう一面はありますが、同時にとても思慮深く落ち着いた人です。まともな範囲でなら押しきられる形で要請に協力してしまうことはあれど、害が出ることにまで流されて同行するような人間ではありません。それに、本気かどうかも判らない相手がろくな脈絡もないのに過剰な勢いで詰め寄ってきているのを、要はちょっと考えれば明らかに「おかしい」と判るはずのことを、そのまま締まりなく受け入れるような浅い人間にも思えません。美咲という人は、いわゆる思考できないお花畑とは違います。自分なりの分別もないまま雰囲気と感情にのまれて従うだけの愚かな女性にはどうしても思えません。ただ、結果的にはそうとしか見えない現実があるため、「優しいけど弱くて可哀想な人」という定説で大部分固められているようです。


美咲が何か別のことを考えているらしき感じ?は、語り手の冬弥視点からもたびたび匂わされる描写です。フェンスイベントにて冬弥は「憂いがちに微笑む美咲の表情からは内心が読み取れない(要約)」といったような言及をします。「常識的に」考えたらこの時、絶句して本気で引きませんか?そんなの考えるまでもなく、美咲の胸中は由綺を裏切った罪悪感で潰れそうな状態に決まってるだろ、逆にお前はそうじゃないんか?って。判りきっているはずのことに考えが及ばない低質さ、罪深い状況にも心を痛めない無神経さとして描かれているようにとらえられがちで、これがまた冬弥叩きの要因になるのですが、よくよく考えると、どうもそういう意図で置かれている一節ではないんじゃないかと思えてきます。


由綺への罪悪感に想像が及ばない冬弥に反感を持つのは簡単です。そんなことより注目すべきは「なぜそのような表現になっているのか」です。普通に考えたら「由綺」以外に苦悩の要因など考えられないはずの所を、なぜかそこを飛ばした上で美咲のくみ取れない胸中に問いを抱くという不可解な形で冬弥は思案します。こんなの間違いなく叩かれると判るはずなのに、なぜこういう表現になっているのか、「脚本的に」なぜそんな表現をあてているのかがポイントになります。意味もないのにこんな下手な劇作を通すなど普通ありえないです。これはひょっとしたらとても重大な意味合いの細工かもしれない。そう思いつつ、しばらくは保留するしかありません。


美咲編の内容には本当の本筋があったというのは結局「後になってから」でないと判らないことなので、それまではとりあえずいったん保留のまま流すしかなく、真相を得た時点で「こういうことか!」と、今まで釈然としなかった描写に説明をつけられるようになります。実際、シナリオ構成上で重きが置かれているのは「裏切りの苦悩」以上に「理由が判らない」の方です。つまり「問題はその謎部分」「問題は別にある」ということです。浮気問題を問題扱いすらしないだとかそういうことではなく、それはもちろん問題なんだけど、要はそれは全体の中の一部なのです。浮気はあくまで「真の問題」によって引き起こされた事象の一つに過ぎず、問題の本質はもっと根本にあります。作中での冬弥の浮気は、彼の「記憶障害」「認識異常」のゆり戻しで起きています。つまりそれ以前に「由綺との交際自体が」これらの原因で起きている前提があります。由綺との人間関係の盛衰は、冬弥単身の問題のただの余波です。どちらが問題としてのウェイトが上かは言うまでもないでしょう。ただ謎解き仕様の性質上、その解答にはあらかじめシークレットをかける必要があるので、そのままを言語情報として明確に暴露することはできません。


冬弥が美咲の胸中を察する上で「由綺」への想像が欠如してしまうのは、その当人である美咲の中で、実際に「由綺」が苦悩の大元になっていないからです。冬弥は、美咲が抱える懸念の本丸として「由綺ではない何か別のこと」の存在を無意識に感じ取っており、彼の着眼は一周回って実はちゃんと正しかったという大逆転になっています。プレイヤーは何かと冬弥を下に見がちですが、その想像は大抵プレイヤー側にあるただ何となくの優越意識によるレベル判定ミスで、実際の彼は暗愚に見えてとてもセンサー精度に優れた人です。彼の見ている世界は多分プレイヤー標準よりもはるかに高い域にあると思います。プレイヤー側が冬弥という主人公を低く設定して彼の言動を受け取っている限り、彼はそれ相応の人間にしか映りません。多くは冬弥との間に感覚の違いをとらえた時に当然に彼を下と見なすけど、多分それ逆なんです。冬弥は人の気持ちの判らない人間ではなく、むしろ判りすぎる感度を持つために、普通なら何も感じ取れないようなレベルにまで着実に感覚が及んでいます。しかしながら具体的な内容までは判るはずがありません。美咲が「由綺」ではない別の何かに苦悩していることを、冬弥はその事実内容を手にすることが不可能な身でありながら敏感に察知しているという能力描写となっています。


要するに「由綺」は苦悩の美咲脳裏を占める正式な解答ではない、他に何らかの事情があってそっちがシナリオ本線、つまり美咲編要旨としての実質が「由綺」に存在しないからこそ、そこを掘り下げることに積極的でない筆運びになっています。「由綺」は本当のストーリー構成の上で重要な立ち位置を占めていません。けれども名目上はあくまで由綺が中心であるというていで通すしかなく、前提をいじることはできません。謎解きものとしての組成上、謎に未到達の段階においては「当面さしあたっての便宜上の現状認識」という空の見せ箱が置かれていることが必須だからです。


そんな「由綺が本題」という常識定置の中、固定観念を突破した「本当は由綺は本題ではない」という撤回の真実を示さなくてはならない訳です。そこまでは無理でも真実に至るきっかけは明確に示しておかなくてはなりません。謎解きは謎が解ける結末あってのもので、そこを見据えて構築されていなければ話になりません。これは真実を得て初めて納得いくようになることですが、制限のある舞台で制限のある冬弥に、それでも糸口として有効な発言をさせようとするなら「あの形でしか実現できない」のです。(見せかけの)常識から外れたことを、いたって素で語るという見た目に印象悪い形でしか。印象悪いだけにインパクトは強く、注目効果は抜群です。冬弥はけっして大事なことから目を背けているのではなく、むしろ注目範囲は大局で、全面的に問題をとらえようとしています。そして状況に即した大事なことを指摘します。でも残念ながら解答を得た後でないと、冬弥の示す筋が「おかしくなかった」「あれでちゃんと合っていた」という挽回には至りません。


いわゆる典型通りの筋立てでない筋書きに、主人公がゴミだとかシナリオがゴミだとか、ややもすると冬弥ないしシナリオさんの人格否定に終始しがちですが、「仕様として意味があってこうなっている」構造を、「何の意味もない」のにただ思わせぶりなことをほざいているだけと断じてしまうとそれまでです。意味はあります。真相を得て一転、作品常識と見なして疑いもしなかった要素は大体無効化する一方で、理解に苦しむたわごとにしか見えなかった論理がにわかに意味を持つようになります。また説明不足を批判されますが、真実到達に必要な誘導が適宜なされ、説明自体には何ら事欠かなかったというのはそれを知った後での振り返りで強く実感することです。知ってからこんなにも情報に満ちていたと判ります。ただその説明的な誘導に「これは大事な真実に関する大事な誘導情報です」との説明など当然つかないため、多くが無価値認定され、切り捨てられる結果になっているだけです。冬弥もシナリオさんも言行縛りの単独ハンデ戦耐久に走るもんだから、後になって大事だったと判る(判らなかったらそのまま判らないで終わる)伝達方式に特化していて、そこはさすがに何とかせえよと思います。やりすぎもほどほどに。


この通り、美咲の真意不明な態度、冬弥の一見常識にそぐわない陳述によって、由綺ではない何か別の問題が存在することが「脚本的に」示唆されています。それはその別問題の存在を知らしめようとする狙いがあるともいえ、つまりは伝えたい核心はここにこそあるといえます。美咲が悩んでいる主因は「由綺のことではない」という絶対的事実が、暗にかつ強固に表現されています。「本題は由綺ではない」ということが美咲編の要点です。


ちなみに美咲の中に由綺を裏切った罪悪感自体がない訳ではけっしてなく、これもまた比較の問題で、彼女の性格上、それはもう人一倍気に病んでいると思います。ただ、その自責の度合いが「他人との比較」ならかなり重度であるものの、懸念としての「彼女内部での比率」はそんなに高くはないということです。というより裏で抱える機密案件の問題値が高すぎて比較になりません。由綺への裏切りよりも「その前提」の事情が大きくて、問題全体に対し「由綺」自体の占める比率は相対的に非常に低くなります。けっして由綺問題が小さい訳ではないけれど、それより本題がずっと大きいのです。


改めて記しますが、冬弥には記憶障害および認識異常があります。もう幾度述べたか判らないくらい当サイトではこの記述が恒例行事になっていますが、これに気付いてしまった後の頭ではもう完全にこっちが作品構成のベースに置き換わってしまうので、知る以前の認識に戻すことは不可能です。感覚が麻痺する?というか、知っていることが当たり前になってしまって、知らなかった頭にはもう戻れません。しかもこれ公式告知にはない話だけに、下手するとお触り厳禁の妄想幻覚サイトとしてまともに取り合うものでないと思われるかもしれません。いやそれは冬弥設定にかけられたギミックで、その設定を特定するのに要した思考は別に幻覚じゃないんだけどな…。ともあれ私としても、作品を読んだ初見でその時瞬時に気付き視点を得られた訳ではなく、事情を知らなかった時期は一定期間存在するので、事情を知らない人がどういう感想を持つであろうかも経験により大体の想像はつきます。その辺なるべく心して、両視点での見え方に留意することを努力目標にしたいと思います。


それら両視点、知らない立場と知る立場が、数奇なことにちょうど冬弥視点と美咲視点に振り分けられます。といっても無論、語り手は冬弥でしかないので、美咲の内心は直接には判りませんが、必要なのは当人の立場になって物事をとらえる共感性と少しの想像力だけです。WAの作品コンセプトは徹底して、「浮気」ではなく「記憶障害」「認識異常」の設定がメインです。それを踏まえて美咲編美咲の言行を振り返ると、面白いくらいに彼女がそれを知っているように「見え」ます。実際に知っているかどうかの確定は得られません、そう「見える」だけですけど。また彼女が時折見せる違和感、意識が由綺に向けられていない感じの事例に出くわすほどにその「可能性」は強まります。ただしあくまで「可能性」の域、美咲本人の言質は取れません。


とある場面、内心の読み取れない美咲の表情は「仕方ないよ」と言っているように見えるらしいです。冬弥の見え方に過ぎないので実際の美咲がそう思っているかは不明ですが、仮に冬弥の感覚が指摘分そのままで的中しているなら、その美咲の表情は、単純に浮気を「仕方ない」とするぬるい擁護の意味ではなく、手の施せない病状が「仕方ない」ニュアンスでの表情だったのだなと、彼女の憂いと冬弥への憐憫を読み手側で察することはできます。冬弥視点という形式上、けっして開示されることのない美咲の心情に「理解を寄せる」ことが、美咲視点ベースで読み解く美咲編の意義です。


事実関係が確定しない制限は正式には絶対外せないものと前置きして、仮に美咲が事情を知っていることを事実とします。美咲編は「事情を知る美咲」の姿が「事情を知らない冬弥」の目を通して語られる構成になっています。つまり冬弥自身は事情を知らなくても、その目に映る美咲というのは自動的に事情を知っている状態で描かれています。読み手が事実を知った時点で、美咲と世界観認識を共有することになるので、美咲視点に立った美咲編解釈が可能になります。それは視点一転、美咲視点から見た「事情を知らない冬弥」の姿を見つめる行程でもあります。美咲編美咲の苦悩の本意はこれに尽きると言えます。


真相を前提に読み返すと、美咲の動きは胸がすくほど「裏設定でこそ答え合わせができる」形で描かれていることに気付かされます。美咲編通して何かを言いあぐねている様子の美咲が持つ全体的な違和感、その「話が全然見えてこない」感から、美咲が悩んでいるのはどうも由綺のことじゃないような、由綺への意識を表した描写ではなさそうな引っかかりを覚えます。その条件で普通こんな、美咲がとるような挙動になるだろうかと本気で首を傾げます。真相を得て「ああ、こっちか」と確信します。やはり焦点は由綺じゃなかった、他に理由があったのだと納得します。


何事にも物事に白黒つけたい果断なタイプの人だと結構、美咲編美咲の言動は見ててイライラすると思うんですよ。冬弥を受け入れるにしろ何にしろ自分の意志で決めて、思うことをはっきり主張すればいいのにって。その辺り美咲は煮え切らない態度のままひたすら冬弥に流されているようにしか見えません。でも実際には、相手に強引に言い寄られて…、困るけど…、断りきれなくて…、ではない。そうではない。「冬弥に対して嫌と言えない」よりも「冬弥の異常を知っている」ことの方が美咲のキャラコンセプトとしては断然強力です。感情に整理をつけられないとか、優柔不断にゆらいでいるとか、美咲は自分の気持ちに迷っているのではありません。否、迷う気持ちがない訳ではないけれども、自分の気持ちがメインではありません。美咲は冬弥の病状の見通しに苦悩しているのです。


冬弥の事情を特定して、追って美咲の認識にも考慮が及んで思うに、ああこりゃ美咲さんには言えないよなあって。言おうにも絶対に言えなくてぱくぱくするしかない感じがよく出ています。美咲本人が気弱だから言いたいことを言えなかったのではなく、問題が秘匿事項だから、またそれを一存で明かせる立場でもないから何も言えなかったのです。品位のない人ならこういう時、(自分のでない)極秘情報の所有を得意げに思って、口出しする立場でも何でもなくても平気で事情をスピーカーしてしまうと思います。火力として結構な規模で顕著な炸裂感が見込めますからね。冬弥本人にも平気で告げるかもしれません。結果どうなるとも考え及ばないままに。けれども美咲はそう軽率ではなく、絶対に口外してはならない重大事項だと心得ています。かといってその爆弾を抱えて平静でいられるほど彼女は強くありません。美咲がキャパオーバーして息を吸うのも吐くのも難しい窒息同然な状態になるのは、当然といえば当然です。


冬弥は目に見えた地雷、というか診断つきの事故物件なので、普通なら当然のパス案件です。それを知らないで運悪く深入りしたならともかく美咲はその事実を知っています。避けようと思えば動きのない初動の段階でいくらでも避けられたし、それ以前に距離を取って近寄らなければいい話です、ハイリスクと判っているなら。それなのに彼女はその冬弥との同行を選びます。自分の頭で考えて「主体的に」選んでいるのです。


冬弥が「現状おかしくなっている」のは判っています。元来は人に気を遣いすぎる性根の綺麗な冬弥が、本人の認識が絶対に及ばない無理すぎる強制条件によっておかしくなっていると「知っている」からこそ美咲は彼を見捨てることができないのであって、純正のくずであっても意味なくよろけてしまう女性ではありません。美咲を何だと思ってるんですか。元から身勝手なやつがいつも通り身勝手しているだけなら美咲だって選ぶ理由はありません。そんなのには初めから近寄りません。


美咲はけっして、心が弱くて相手の言いなりになるだけの愚かな女性ではありません。美咲は愚かではない。ただし賢明でもない。不憫な冬弥を憂い、彼のために尽力しても、美咲自身には何のメリットもありません。自らリスクを負いにいくのは得策でなく苦労しかないのは承知で、考えに考えて考えた挙句よりによって自分に苦難な選択をとってしまうってことは、時として彼女は思いきってやってしまいます。流されて考えなしに不徳を選ぶことはなくても、自ら考え抜いた末にそれでも不徳を選ぶことは、彼女ならやります。日頃は慎重に慎重に考えているのに、時に考えが煮詰まって(正しい意味、結論に至ってしまって)、いいことないのに決行してしまう、世渡りが一番下手なタイプの人間です。彼女は自分で考えてあえて苦行の道を行きます。本人納得の上です。どうしても功利的に生きることができない、賢明ではないけど信念の人ではあります。


美咲に限らず、各ヒロインは主人公が想定する方向とはまったく違う思考で行動しているというWA独自の型が存在します。冬弥による叙述表現はあくまで「冬弥が考える」範囲内の解釈でしかなく、それとは別個に「ヒロイン視点で考える」構図があって、その構築を読者に委ねるためにか何かしら意図した表現が敷かれています。で、この思考の食い違いが問いただされることなく、相互確認がなされないままでも、そのまま話がオチてしまう所がWAの面白さでもある訳です。楽しいの意味じゃなく興味深いの意味で。相手は必ずしも主人公の解釈通りに考えているのではないようで、設定を正しく配置し直してから読み返すと、それまで不可解だった部分がいくらか想像のつくラインにまで具体化してきます。「前提に(冬弥が知らない)この条件があるなら」多分こう思うだろうな、と。そしてそんな読者解釈もまた想像の域でしかなく、意図が通じることの難しさをこれでもかと畳みかけてきます。結局は他人の本心なんて誰であれ判らない、それでも何だかんだで話は転がり状況は止まってはくれないという無情な真理描写が、私は好きです。


WAという話は非常に難解です。かくいう私も判ったような気になっているだけで到底理解が及びません。何しろ具体性が慢性的に足りていませんからね。特に美咲編についてはただ単にシナリオがお粗末で、読む人みんなが状況を理解しやすいよう配慮するといった文章構築の水準点に達していないとかでなく、それ以前に縛りとして絶対に「描くことができない」部分があります。多分、描こうと思えばいくらでも描けたんじゃないかと思います。エピソードとして、美咲から冬弥に向けて直接の暴露がなされたなら。ところがそれが実現してしまうとその時点で話を描く意味が消失してしまいます。美咲編では、美咲の「重大事実を口に出せない苦悩」の様子がキーポイントだけに、その事実自体が本文公開された時点で主旨の意味がなくなります。美咲が抱える重荷は「言ってはならない」こと、かつ「言う権限のない」ことです。開示できるものならばその方がよっぽど物語としてまとまりがつきますが、そうすると物語の主題が破綻します。冬弥に事情を伏せ通したその根気が美咲最大の強みであり、人間ドラマとしての美咲編の意義です。