緒方理奈/緒方英二1


理奈編は、冬弥の真相とは少し離れた所に存在します。由綺を主役とする物語では準主役の位置にいる理奈ですが、いかんせんWAは元々冬弥が主役の物語ですから、本来、理奈は完全に部外者の立ち位置です。謎が隠されているとしたら、理奈と英二の関係性なのですが、部外者の冬弥から見た二人を検証することになるので厄介です。根拠が乏しい中で推測を述べるなら、理奈は英二の完全な妹ではなく、半妹なのではないかと考えます。半分は実妹だけど、半分は他人なので、血縁関係に頼りきることができない。かといって完全な他人でもないので深い仲になることも叶わない。理奈が英二を「他人みたいなもの」と言い放つ一方で、設定資料などには「実兄」と確かに明記されているのは、そうした相反する二つの事実のためです。それぞれ半分ずつ、どちらも正しいのです。理奈は作中、妹という立場の弱さを嘆きますが、本来、血縁というこれ以上ない絆にもかかわらずそれを嘆くということは、妹という立場が英二の一存で決まる非常に不安定なものだからなのではないでしょうか。理奈は妾腹の妹で、英二とは別々に育ち、年が長じてから身寄りがなくなった等の何らかの都合で英二に引き取られたのでは。断定はできませんが、幼少期に関する言及はほとんどされておらず、ここ最近の情報しか語られていません。また、その限定的な期間中、理奈の社交的な性格とは裏腹に、周囲に英二しかいない限られた世界で生きてきたかのような印象も受けます。理奈の小粋で意志の強い性格は、ひょっとしたら元来のものではなく、アイドルデビューの際に人為的に作られたものなのかもしれません。そうだとしたら、理奈はそれこそ血反吐を吐く想いで虚像を維持していることになり、由綺との対峙で自分の努力のほどをこれでもかと訴えたのも当然のことと頷けます。


緒方兄妹がペアのネックレスをしているということは、初めからキャラデで明らかですが、パネルで触れられるのはそのレベルが上がってからです。彼らの根本に関わる要素だからこそ、話を出し惜しみしていると思われ、あのネックレスには何らかの曰くがありそうです。実際のパネルでは、理奈のデビューの際に英二によって用意されたとしか語られませんが、その実態を以下のように推測します。緒方兄妹の持つネックレスの石は、おそらく石英でしょう。あまり高価なものではないらしいので、水晶とローズクォーツあたりだと思います。まあ素材はどうでもよく、要はそれらの色、白と赤で月と太陽、つまり陰陽を表しています。緒方は糸を紡ぐ者、または紡ぎ糸の意味で、ネックレスのストラップを指し、同時に兄妹の血縁を表していると思われます。緒方英二、すなわち二つの石英を繋ぐ糸/者。英二は、理奈のデビューの際に、陰陽二つのネックレスを通して彼女に何らかの強力な暗示を施したのではないでしょうか。WAという作品自体が、裏でごちゃごちゃ意味不明にこみいった設定がされているような物語なので、英二に洗脳能力というか催眠術というか、何か特殊な超能力があったって、別に驚きません。作中での英二の胡散臭い人物像と比べ、登場人物の多くが持つ英二像は妙に神格化されていますし、大衆を扇動する力があるのかもしれません。冬弥?あいつは本性がずっと奥の方に引っこんでるから、英二の洗脳が届かずまったく効いてないんじゃないかな?だからこそ英二は冬弥に興味を示しているのでは。それは冗談で、英二が普通の人間だとしても、英二だけが頼りの理奈にとって、彼の言葉の力は絶対のはずです。英二が「完璧なアイドルを演じてみせろ」と言えば、理奈はそれに従うしかありません。


陰の白い石は英二が預かっているため、理奈は勝手に元の自分に戻ることはできません。理奈は、陽の赤い石しか持たされておらず、ポジティブな性質のみを持つ完璧なアイドルで居続けなければなりません。理奈は芸能界というきわめて特殊な環境でしか生きられない哀れな存在なのかもしれません。また、そうした不安定な存在であるため、英二によって完全に保護された状態でしか活動できないのです。理奈の名にこめられた言葉遊びは、玉を磨き、ことわりを大きく示すという意味。理奈は、英二の理念を洗練された状態で最大限に具現化する媒体として存在しています。「SOUND OF DESTINY」の歌詞を見るに、英二は妹に何を歌わせているのでしょうか。シスコン極まれりです。この作品、どいつもこいつも頭おかしくて、比較的まともなのはマナちゃんくらいです。デビューと同時に「生まれた」虚像の理奈にとっては、英二はそれこそ生まれた時からずっと一緒にいる兄ですが、理奈全体にとっては多感な時期に初めて出会った素敵な年上の男性です。面会するたびに、兄に対する感情以上の憧れを抱いていったとしても不思議ではありません。はるかの攪乱により怪しいイメージがついて回る河島兄妹は、仲が良かったとはいえ実はまったくのノーマルであり(それ自体は相当な変人ですが)、河島兄妹という陽動のためそういう面でほとんど注視されていない緒方兄妹の方が、実はただならぬ関係にとらわれているのです。ただし、未分化な感情を持て余している理奈の方はともかく、英二側の感情は既に整理されているようで、楽曲作りといういたって綺麗な形態に昇華されています。


高レベルパネルで「愛する女性と二人きりで過ごすことができなかった」「なぜなら別の女性、つまり理奈に妨害されたから」と語る英二ですが、どちらも理奈の話だと思います。結論から言うと、英二が理奈と暮らすようになった時点で、理奈は現在の人格に切り替わったということです。人格交代のきっかけはおそらく英二でしょうに、さも悲劇のように言いますが、オチからも判るように悲痛な語り口はただの茶番でしょう。英二がまったくの第三者を愛していて、それを理奈に邪魔されたという可能性もありますが、そんな理奈の理不尽に英二は普通に屈しており、また理奈に対し何の懲戒も見られないことから、理奈の扱いを優先する特殊な事情があると推測されます。反面、想い人への愛は深く真剣のようで、英二が安易に引き下がるとは思えないことから、恋路?を阻まれた現状でもなお、英二の願望は少なからず満たされている状態だとも考えられます。ここはいっそ第三者の存在を取り払ってしまった方がすっきりするでしょう。相関図はいたってシンプルです。阻んだのが理奈、阻まれたのも同じく理奈なら、誰を責めることもできません。そもそも、ネックレスして斜め立ちして口の端つりあげた笑みを浮かべている英二の姿はだてではなく、その正体がまったく隠れていない基本設定上、妹の他に大事に想う第三者がいたなど到底考えられないことです。このパネルの内容にアブナクない要素なんか一つもありません。英二が自身を軽妙に制御し、問題化を元から断っているだけです。


冬弥は話の途中で「理奈ちゃんは?」と彼女の位置づけを気にしますが、英二の話、登場人物どれも理奈です。パネルでは、キャンプという限定的なひとときを指しての話に過ぎませんが、おそらくは通常の私生活においても現在の理奈が、かつての理奈と英二が二人きりで暮らすことを阻み、そして自分が英二との生活を獲得したのだと思います。冬弥は「兄妹なんだから当然一緒に暮らしてるはず」と思いこんでいるので、理奈の元々の同居を疑いもせず、彼女の動向を気にしますが、兄妹だからって一緒に暮らしていたとは限りません。緒方兄妹が同居しだしたのはここ最近のことです。別パネルで理奈は「『昔から』遊び相手といえば兄さんだけだった」と言いますが、それはここ近年の経過であり、英二と出会ったばかりの当時を「昔」と表現しているのであって「小さい頃から」という意味ではないと思います。何より、英二が元から兄として当たり前に存在していたなら、遊んでくれる(稽古をつける)兄に対し「お兄ちゃんは優しいな」と思うはずで、理奈が言うような「優しいお兄ちゃんだな」という感じ方にはならないはずです。


緒方兄妹が兄妹として出会ってから理奈デビューまでの間に、下準備期間というか、理奈にアイドル教育を施す時間があったと思われます。その間の理奈は元の人格であり、その時点では英二と同居しておらず、たびたび面会して一緒に過ごしては英二から教育を受けていた。才能に恵まれた理奈は英二が納得する出来に仕上がったけれど、おそらくそのままではアウトプットに問題があり、とても表に出せる状態ではなかった。そのため英二は小細工で理奈の人格を切り替えた。そうやって現在の理奈はアイドルになるために生まれてきて、大々的に「英二の妹」として発表され、晴れて同居し始めた、という訳です。教育の過渡期に、多少は元の人格とも一緒に暮らした時期があるかもしれませんが、英二にとってそれはわずかな期間で、二人だけの時間は現在の理奈に奪われています。またデビュー前の触れ回り期間として、業界各所への顔見せにも対応しなければならないはずなので、理奈は先んじて人格交代しており、正式なデビュー自体は、置き換わりの後しばらく経ってからだったと考えられます。少なくともキャンプ時には理奈は虚像と本体に段階的に分離しており、2年前のデビュー時に、ネックレスの暗示により虚像が表の人格として固定され、本体は奥に封じられたのだと思います。


ここまで緒方兄妹の過去の流れについて根も葉もなく語りましたが、理奈の人格事情を含め、細かなことはほぼ憶測です。ひょっとしたら、舞台裏のゴシップ誌では既に理奈の過去は掘り起こされているのかもしれませんが、語り手の冬弥がそういう噂や中傷に関わるのを好まないため、作中では一切触れられません。テキストを精査すればちゃんと事象と時系列が整理できるかもしれませんが、情報自体が少ない上、とぎれとぎれで、何より伝聞でしか事情が判らないので、はっきりとは確定しません。ただ、理奈を見た目通りの何の瑕疵もない完璧なカリスマアイドルと定義してしまうと、物語がただのありきたりな華やかアイドル話で終わってしまい、とことんまでに掘り下げられた他のシナリオ群と比べ、かえって霞んで埋没してしまうので、バランスを考えると、やはり仮定される裏設定を考慮に入れた方が良いかと思います。全攻略キャラ、表層と真相とでその人物像は逆転し、両方合わせてその本質が描かれるという徹底した仕組みです。その完璧さから、To Heartの綾香嬢と何かと関連づけられることの多い理奈ですが、理奈が持っているのは綾香嬢的な要素だけではなく、また先にあったのは綾香嬢要素ではないということです。


理奈は「芸能界の他に世界を知らない」といったことを語るため、あたかも彼女が「『幼少期から』芸能界に身を置いている」かのように受け止められがちです。もっともらしく、いかにもありそうな話で、言わずもがな、暗黙の事実であるかのように。けれど「理奈は業界育ち」などというある種当然のような記載は、物語をくまなく探してもどこにも存在しません。少なくとも私は見つけられませんでした。理奈の鮮烈なイメージにふさわしい栄光の経歴を、私たちの頭の中でついつい勝手に真実扱いしてしまっているだけのようです。理奈のデビューについては、まるで新星のごとく降り立ったかのように語られます。それ以前の理奈に子役等の何らかの実績があって「『あの緒方理奈』がアイドルデビュー!」という形ではなく、あくまで「『あの緒方英二』に妹がいたのか!」という寝耳に水の形です。英二の秘密兵器が突如世に送り出された形で、その瞬間に一気に爆発的な人気を得ています。しかし、あれだけ人目を引く輝きを放つ理奈を隠し通せるものなのでしょうか?普通にしていても自然と目立ち、常に人だかりの中心に据えられるはずで、一般生活でも放っておかれるとは思えません。巷でも有名人であって然るべきです。現状由綺が、理奈にとって「初めてできた友達」「唯一の友達」というのが、まず起こり得ない状況です。理奈が望むと望まざるとにかかわらず、周りが彼女とお近づきになりたくて群がるはずですから。でも理奈は由綺が「初めての友達」と言い切ります。「取り巻きは友達としてカウントしない」などという薄情は、日頃から義理を口実に持ち出してうたう理奈だけに考えられません。事実、理奈には友達が由綺しかいないから、彼女はそう語るのです。


デビュー以前の理奈についてはほとんど何も明かされません。世間的にもそういう扱いのようで、プライベートは謎のまま一貫して伏せられています。これは「今まで『芸能界の他に』世界がなかった」のではなく「初めから『理奈自体に』世界がなかった」のだと推測します。理奈は「いないはずの子供」で元来世界との関わりがなく、英二と出会ってから唯一、彼だけが世界との接点だったのだと思います。嫡子とおぼしき英二には、大学院にまで進めるだけの裕福な経済状況が想定されますが、私生児の理奈はいわゆる日陰の身で、行政の隙間に該当し、公的な教育や福利厚生を正式に受けることもままならない生い立ちにあったのではと考えます。英二が当初から音楽関係の仕事を志していたのか、不憫な半妹のために莫大な富を築き、彼女が「生きる」足掛かりとして環境を整えるために名声を欲しがったのか、順序は判りませんが、何にせよ英二の計画通りにことは進み、理奈は「生きる世界」を得ました。そういう訳で、デビューよりもさらに前、英二自ら理奈に教育を施す以前に理奈が就学していた記録はないと思います。デビュー後であれば「『あの緒方理奈』はお嬢様高校に在籍」とかいう噂は普通に飛び交っていそうですが。金の力にものを言わせて。デビュー前後のほんの申し訳程度のわずかな期間のみ「高校に通っていた」という間に合わせの経歴が作られたのだと思います。理奈本人が「高校の最初の頃は通っていた」というのも、何も「高1からの新入生生活」としての話ではなく、デビュー前後に「中途で入学し、その頃初めて学校に通う経験をした」ことを指していると思われます。


かつては日本の学校ではなく、外国の学校に通っていたために詳しい就学情報がないのだと見せかけようとしているのか、唐突に外国語を口走ったり、「日本だとまだ、キスはスキャンダルのしるしだものね」と、いまだ日本で根付かない外国習慣に納得してみせたりと、いかにも帰国子女を匂わすような言動をする理奈ですが、それはそういう「業界設定」というか「演技プラン」だと思います。理奈の外国かぶれは取ってつけたようなものばかりで、体験的、習慣的な自然さがまったくなく、あくまで知識的、情報的な色合いしか持ちません。先の台詞も、まったく正反対の一般知識として「外国では、キスは挨拶程度のありふれたものみたいね」と言っているのとさして違いません。そういう情報認識というだけで、自分の習慣との対比として指摘している訳ではありません。


ともあれ理奈は豊富な知識は叩きこまれつつも、実体験は何もなく世間に疎いので、世にありふれたことを何でも新鮮に受け取ります。彼女は本当に「何も知らない」「何も持っていない」のです。そして、兄の英二だけが彼女の「知るすべて」「持てるすべて」なのです。理奈が悲惨な経歴の持ち主だということも、壮麗な経歴同様、テキストには存在しませんが、理奈が時折口走る無意識の失言や含みを持たせた意味深発言を整理すると、何となくぼんやりと過去の輪郭が浮かび上がってきます。嘘をつくと足がつくため、嘘にはならないように調整されています。動かぬ事実は事実として明確に出し、その中で機密事項だけは濁すことで、受け取り手の方の思いこみで勝手に都合よく勘違いさせる分には問題ありません。真実をすべて言っているのではありませんが、嘘は言っていることにはなりません。


何もない白紙状態、それどころかマイナススタートで、短期間であれだけ心技体すべてに高度な状態に極めることが事実上可能なのか、付け焼き刃で化けの皮がはがれないのか疑問ですが、英二の洗脳教育と魔法?がそれだけ強力ということだと思います。それと理奈本人の素質とたゆまぬ努力の賜物です。理奈には英二しかおらず、完全にマインドコントロールされているので、彼の教示を全部まるごと吸収します。場合によっては、英二が見本とするために見繕った資料を目通しなしに丸投げで提供することで、理奈は英二自身にはないセンスをも持ちえています。いわば、今まで余計なものを吸いこんでいないからからの土壌なので、水も肥料もぐんぐん取りこみます。それが実際の生長・開花・結実にそのまま反映されるかはまた別ですが。いかにも文学や芸術に造詣深そうな言動をする理奈ですが、どうも教科書通りで薄っぺらい見出し調の論評ばかりで、本当に詳しい人を相手にしたらみるみる浅さが露呈するかもしれません。話す相手が冬弥だから、それっぽい見識を凛として語れば大体丸めこめるので、威風堂々を維持できています。もっとも、嘘が本当になるように理奈は日々研鑽し、品質向上に余念がないので、いつかは虚飾と実質が一致した完全に完璧な人間になると思います。嘘から出た実というものです。


理奈には戸籍がない?説は、かなり攻めた無茶苦茶な暴論です。実際に記載されている理奈の確定情報は「今はどこにも学籍を置いていない」、厳密にはそれだけです。それに輪をかけて戸籍云々がどうかなんて大仰な話はどこにも出てきません。ただ、意味深な英二パネルとして「全体から部分的に切り取られた小さな断片がそのまま、大きな全体像を反映した相似の縮図となっている」といった内容のものがあります。そしてそのモデルは、作中での個別の各キャラエピソード(断片)と冬弥はるかの失われた過去(裏の全体像)との相似という形で、WAの物語全体の構造としても当てはまるもので、かなり重要な意味を持つ観点です。これが、メインである冬弥はるかの設定のみならず、フォーマットの指針として、作品を構成するすべての方面において逐一成り立っているとしたら?つまり、先に挙げた実例「理奈がどこにも学籍を置いていない」という情報は、ただそれ一つの開示のみで役目が完結しているのではなく、それに類似したより重大な情報の存在をも暗示している可能性が出てきます。それがズバリ戸籍問題を指している、とはさすがに一気に飛躍して断定するに繋げられはしませんが、考えられる可能性としては十分に引っかかる範囲内だと思います。


理奈には少なからず学歴コンプレックスらしきものが窺えます。兄の英二は大学院を出ているのに、自分は高校を途中でやめさせられたと憤慨しています。とはいえ単純に理奈が勉強についていけなかったとは思えません。彼女は何気ない言動の端々にも頭の良さを覗かせており、その知能をもってすれば、いくらか仕事をセーブしさえすれば、学業との両立など問題なく可能だったはずで、何も中途半端で強引にやめさせるまでする必要はないのです。理奈は明らかに処遇に不満を持っており、本当は通学を続けたかったようです。一方の英二はたまに横暴な面を見せるとはいえ基本的に理奈を溺愛しており、彼女が自分の要求を主張すれば大体向こうでたじたじになります。順当にいけば理奈の願いは聞き届けられたはずです。理奈の学習意欲は旺盛で、なおかつ英二自身も妹の家庭教師を買って出るくらい教育熱心なのに、なぜ通学の機会を奪ったのか?わざわざ理奈を高校中退させる理由がないのです。


事情の可能性としては、正確にはせっかく入った高校を「無理やり中退させられた」のではなく、理奈の高校通学条件自体が「初めから期間限定」的に区切られたものだったのではないかと考えられます。理奈の高校生活は、期間としては幾分長めの、いわゆる「体験入学」という形でしか実現できなかったとする説です。イメージ戦略の一環か何かで、理奈は一時的な体験入学みたいな形で高校に通うことにはなったけれど、それで正式に入学が認められたかというとそうではない。あくまで放送ベースでない私的な見せ物としての学校潜入企画であって、由緒正しき在校生徒としては登録されなかった。理奈が通った高校は名門校と推定され、であるならばそれなりに家柄が重視され、格式の保持にこだわります。理奈の通学話を持ちかけた英二の方はおそらくは良家の子息で出自が優良で明確であるため、彼が言うなら学校側も一肌脱ぎましょうという感じで、口利きがきいて忖度され、彼の酔狂で無茶な提案はそれでも滞りなく通った。しかし実際に通学する理奈自体の出自はそうでないため、学籍としての正式な受け入れは断固はねられた。誉れある学校の格を身元確かでない者の籍で汚す訳にはいかないのです。一時的な実地体験学習程度ならともかく、れっきとした本校卒業生として理奈がその名を連ねるというのはご法度で、だからこそ理奈は卒業前には高校を去っていなくてはならなかったのだと思います。「我が校はお楽しみいただけましたか?ではごきげんよう」とばかりに笑顔で見送られ、理奈の短い高校生活は終わりを告げたという訳です。ああいう階層のしきたり意識というのはどこまでもシビアです。


他にも理奈の学歴コンプが垣間見える一例として、「理奈ちゃんも読書とかするんだ?」と特に他意なく話を振った冬弥に、理奈は「私だって本くらいは読めるわよ」と、若干の攻撃を帯びて切り返します。学のない芸能人というのは割とありがちゆえに、ぱっと見には単なる「私の程度を見くびらないで」との軽い牽制にしか見えませんが、全体的なニュアンスがどこか不自然です。会話相手の冬弥当人があまり本を読む習慣のない人なので、いわゆる教養という意味で本を読む読まないの話に受け取りますが、理奈はそうではない、何かもっと根本的な素養を指しているように思えます。本を普通に読むことすらまともにできない、そんな風に受け取られることをすごく気にしているというか。これはとりもなおさず彼女が、仮に字が読めないとしてもそれがちっともおかしくない条件で育ってきたからではないでしょうか。理奈は「高校にいっていた」とは確かに言いますが「『高校まで』学校にいった」とは言いません。彼女がいったのはおそらく、先に挙げた一時的な区切りでの「高校だけ」なんです。つまり理奈は、義務教育を課程として受けられなかったという仮説です。理奈はデータ上、この世に存在する証拠としての書面自体がないため、彼女に必要な手続きやら通知やらは実行されないのです。


理奈には実際に本を読みつけているという「事実」があるのだから、その蓄積があれば周りにどう思われようが、たとえ仮に見くびられたところで弱みに思う必要はなく、平然と構えていられるはずです。それでも、どうしても他人の感じ方を気にしないではいられないのは、理奈の過去として実際に、満足に読み書きができない時代があったからではと思われます。理奈はいわゆる基礎教育を受けていません。のちの英二のつめこみ教育により、理奈ができることの範囲は飛躍的に拡張されたけれども、覆せない現実として、できなかった「事実」は依然理奈の中に棘として刺さり、根深いコンプレックスになっています。その「事実」が、自分でも気付かないうちにふとした言動に出てきてはいないか、世間の目をごまかしきれていないのではないか、目ざとく見抜かれてしまわないか、との不安で彼女は心中恐々としています。義務教育を受けてこなかったことは理奈にとって非常に重いハンデで、その弱みが原因で恥をかくのは嫌で、他人に侮られまいと常に気を張っており、彼女は自分を賢く見せることに余念がありません。


理奈には海外修行というか、つまりは海外渡航経験があり、その際、必然的にパスポートが必要だったはずです。一体どうなっているのか?そこは英二がしれっと準備したんじゃないですかね?偽造の場合、法に触れることといっても、たかだかフィクションの話ですし目くじら立てることもないでしょう。リアルな非合法路線かファンタジーな超常路線か判りませんが、そんなのブラックな裏パワーでちょちょいのちょいですよ。「こんなことばかりしていると、そのうち絶対捕まるからね!」の域です。「マスコミに叩かれる」どころではありません。あるいは、英二の素行をいかがわしいと疑ってかからず、すこぶる実直な観点からなされていると考えるなら、ややこしい正当な手続きを面倒がらずに逐一踏んで、困難極まる理奈の戸籍取得条件をどうにかすべて揃えたのかもしれません。通常の行程とは程遠く、そこに行き着くまでのルートは遠回りですが、それでもパスポートは本物です。英二はああ見えて、根はまめで真面目で地に足がついたちゃんとしている人なので、身の破滅に直結するような、目に見えて間違った行いはうかつにしない気がします。