由綺7


由綺に示された可能性の話。弥生が「由綺さんは犬ではありません」と言うのも、由綺がただ愛玩されるだけの従順な人物ではなく、そこを見誤ると手痛いしっぺ返しとなることを示しているのでしょうし、英二が「由綺は『あんな性格だから』冬弥が浮気しようが軽く許す、が、浮気相手にされたとしたらそれを許さないだろう」と言うのも、自分が一番である限りは多少のよそ見は許すけれども、一番以外の扱いは認めないだろうという見解でしょう。寛大に「過ちを許してくれる」という意味ではなく、自負から「他を歯牙にもかけない」自尊心の高い人物ということです。あの二人は、由綺が冬弥の手に余る人物であることをよく判っているのです。由綺は自分の多忙な生活が心離れの原因だとしか思っておらず、また冬弥にとって「本当は由綺が一番」だけど、彼の心の弱さから「やむなく」他の女性に浮気したとしか思っていません。実際、そうとしか見えません。そのため冬弥が浮気したと知っても、由綺が憎悪を示すことはありません。冬弥の心情がどうあれ、由綺にとっては、他の女性はただの火事場泥棒に過ぎません。冬弥の心の中で、他の女性が自分より重い存在になっているかもなんて思いもしないのです。由綺がポジティブで良かったですね。そしてまた、由綺は自分だけを第一に考えてくれる「冬弥君」が好きなのであって、冬弥がよそ見をした時点で、その人物像は乖離し、興味がそがれます。冬弥を許すのと、冬弥を愛し続けるのとは、まったくの別問題です。それでも出会った頃の「冬弥君」イメージを胸に、由綺は冬弥の幻だけを愛し続けるのでしょう。それも結局、由綺の気分次第なので、冬弥より魅力的な人が現れたら普通にそっちに行くでしょうけど。ただ由綺にとって大事なのは、人そのものの魅力ではなく、いかに自分を投げ出して由綺を優先するかにかかっているので、冬弥ほど由綺の理想に適している人物はいないかもしれません。


由綺は、自分が一番だという根強い優位意識は当たり前に持っていても、しかしながら独占欲はそれほどでもないため、冬弥が他の女性を好きになることに寛容です。そのためどうしても由綺を、裏切りでも何でも見逃してくれて、それでもなお変わることなく愛し続けてくれる器の大きい人物と見なす、といった都合のよい解釈を誘います。けれど心情面において、そこんとこ細かい設定バランスの調整がなされており、由綺が冬弥を独占しないからといって、所有権を主張しない訳ではありません。冬弥は由綺だけのものではないけれど、冬弥は断然由綺のものと、彼女の中では決まりきっているのです。だから、自分の所有物である冬弥を他の女にも使わせてやるくらいなら別に何とも思いません。共有ではなく、あくまで貸与です。すべての権利は由綺にあります。冬弥の心情がどうかは一切問いません、あくまで由綺の心情だけが重要であり、指針です。そこをはき違えて由綺を甘く見ると、思わぬ惨劇が待ち構えているかもしれません。間違っても、冬弥が自分の気持ちを詳細に表明することはあってはなりません。危険です。要するに、由綺の方で愛想を尽かして冬弥を捨てる分には何も問題ないけれど、一転、冬弥側が由綺をふることは許されていません。幸い、多くの展開で由綺の冬弥への思い入れは薄れているため、由綺は特にしがみつくことなく別れを承諾します。彼女自身においてもそれはやぶさかでないからです。また、その別れの原因は、あくまで「他の女に奪われた」といった形で、由綺にとって冬弥は哀れな被害対象です。被害品、つまり物に過ぎない冬弥の心境は明確でなく、それ以前に冬弥君の心を信じる由綺には、それを知る必要もありません。「冬弥君が今も自分を好きでいる」ことは由綺の中で絶対で、それでも誘惑に負け?傷物になった冬弥には「私の冬弥君」たる資格はもうないので、現物の冬弥にはもう興味がなく、由綺は彼を必要としません。冬弥君が今でも私を好きなことは判ってるけど、でもごめんなさい、私の方はもう、そんな冬弥君は好きでいられないし、付き合えない。私が好きなのはこれからもずっと「冬弥君」だけ。再度言います、由綺の一存で別れるのならば、それは可能です。そういう奇怪な仕組みで、由綺はあっけなく冬弥を手放すのです。


冬弥が設定上、浮気の理由を説明できる状態になく、由綺への気持ちが半端に残って彼女を捨てる潔い宣告ができないのは、図らずも、彼の身の安全を確保する結果となっています。真相としては、破局に至った正式な理由も明確な心離れの事実もありつつも、多くの場合、それらは冬弥には知覚できず、由綺を切るだけの名分は意識上のどこを探しても見つからないため、由綺を好きな事実だけは変わらず有効で残留扱いとなります。それが「由綺が好きなのに他で浮気をした」事象として自他に受け止められます。そして真の真実の所在がすべて無意識下であり、「説明不能」と「未練」という最終形態もまた紛れもない真実であるがために、相手の嘘と自らへの関心に敏感な由綺にであっても真意を感付かれることなく、たまたま結果的に冬弥は助かっています。物語としてちゃんとした説明がされないまま終わるのはプレイヤーとしてはいささか不満ですが、プロット的にちゃんとした意味があるから、そうなっているということです。優柔不断という単純な原因で説明しないままの結果に終わっているのではなく、説明できるだけの認識を設定レベルで元から持たされていないから、また説明できた場合の展開に一ひねりあることを加味し、その想像分を挿しこむ余白を確保するためにあえて空白としているから説明されないのです。それらをいちいち言葉で説明するというのは、滑らない予防線として、ギャグの笑いどころを発信者本人が解説した上で笑いを求めるようなもので、陳腐で野暮ですごく恥ずかしい行為になるので、あえてみなまで言わない形式です。実際に説明がなされた場合の結末というのは、本文としては提示しないので各自で状況に沿って組み立てて下さい、というやつでしょう。おそらくは、あまりにも後味が悪く作品本来の雰囲気を著しく損なうもので、また途絶した半端な終わり方にしかなりそうにないので、一層のバッシングを招くようならいっそ省いて未公開状態にとどめておこうという計らいなのではないでしょうか。文章化されていない箇所の解読は、プレイヤーとしてゲームに関われるWAの真のプレイ部分です。空白を埋めることがメインテーマです。WAは全体が論理パズルになっており、作中に散らばるあらゆる情報ややりとりを参考にして、合致する答えを導き出すことを狙いとして枠が組まれているのだと思います。人物の出方を予測して何手か先を想像することが求められますが、冬弥の思いこみによる誤情報やプレイヤー自身の先入観や勘違いを助長する微妙表現といった脚本的なトラップもあるので、読みこむ過程でそういうのを丁寧に補正しつつ、理詰めで駒を詰めていきましょう。登場人物は基本的に基本動作から大きく逸脱した動きはしません。ただし、基本動作には数パターンのバリエーションがあることが多く、画一的な単純行動とはなっていないため注意が必要です。


冬弥が「自らの意志」で「本心から」由綺に別れを切り出すとしたら、それは由綺にとって認められる申し出ではなく、冬弥にとって由綺が危険な存在に変わる一手となるとの仮説を立てました。とはいうものの、破局展開として理奈ED・美咲EDがありますが、別に由綺はそんな恐ろしい状態にはなりません。結論からいうと、由綺と別れて浮気相手を取るという選択こそなされているものの、この二つの結末には冬弥の「本当の意志」は反映されていないからです。冬弥が浮気をしてしまう機構としては、彼にとって各シナリオヒロインの存在が由綺の価値を上回ったからではなく、本当の所は冬弥一身上のはるか理由が主なので、冬弥自身が口でどう由綺に説明しようが、彼の意識に直接作用し現状を一変して覆すに十分な愛情までは彼女たちに寄せていないのが確かな真実である以上、由綺は特有の動物的勘でそれを鋭く嗅ぎつけます。浮気の「本当の理由」は「空白」として「抹消」され「存在しない」ため、冬弥にも自覚できないし由綺にも感知できないのです。結果、表面上の関係を元にした釈然としない理由だけが残ります。浮気相手が何となく気になったからそのままなびいて勢いで浮気した、だけでは理由としてあまりにも不十分ですが、実際「手元にある情報」はそれしかないのでそれだけを元にしどろもどろ説明するしかありません。冬弥がそんな過ちを理由に由綺に別れを請うとしても、自分の気持ちさえまともに把握できていない彼には、相手を納得させるだけのまっとうな説明はできません。結果的に浮気相手を選ぶことを決め、それを由綺に伝えたとしても、そこには自主的で能動的な意志など存在しません。自分でも何でこうなったのかよく判らないというのが実際なのですから。そんな冬弥の決断基準の脆弱さを、何の思案もなしにそのまま直受けで、真正面から全身で感じ取った由綺は、それゆえ略奪者を下に見ます。「冬弥が」彼女たちに本気でないことは、遮る曇りのない晴れ渡った由綺の目には判ってしまうのです。由綺は、「彼女たちが」冬弥に本気で、彼のために自分の中の何かを犠牲にできることへの敗北感?(というか「自分にはできない」との指摘)こそ語りますが、「冬弥の中で」自分が彼女たちに負けただなんて少しも思っていません。由綺は、他の女に「勝手に好きになられた」冬弥が「優しいから」、本人には強い気持ちなどなかったのにどうしても断りきれず「無理やり」関係を強いられたとしか思っていません。結局冬弥は、由綺の脳内ではその程度の浅く弱い男でしかないということです。そして、はなから冬弥には自我など認められていないのが前提です。さらに、基本はそうであっても由綺自身に関する限りは、自分をいの一番に想ってくれる冬弥君というのは終局に至っても不動です。由綺の頭はとりわけ自分だけに厚遇的で都合よい幸せな回路でできています。そのため、浮気相手の強制により奪われた冬弥には、由綺を積極的に蔑ろにするベースはなかったと判定されるため、由綺は彼に怒りを覚えることはありません。


由綺の一般認識としては、責められて当然な冬弥を少しも責めることをしないで、それどころか罪のない自分ばかりに過ぎた原因を無理やりこじつけて心痛め、ひたすら内省に徹する、どこまでも透明で汚れない人物、といったものがありふれています。破局にあたって、冬弥は冬弥で完全に自己嫌悪モードで、由綺の方も切々と否定的な自己評定を言い連ねるので、お互いが自身を責めているミラー状態のように思われがちですが、冬弥は確かにそうだとしても、はたして由綺もそうだと言い切れますか?本当に自分を責めていると思いますか?由綺の発言をよく読んでいますか?彼女は多忙を悔やんではいても、自分自身の過失についてはまったく言及していないはずです。忙しさにかまけて冬弥を後回しにしたことは反省していても、そもそもからして冬弥を個として尊重していないひどい扱いには自覚がないので反省しようがありません。本当に反省すべきことは一切感知せず、少しも反省することがないのです。「反省点が見当たらない」「反省する気がない」の両方で。多忙という、由綺の非が問われないどうにもならない理由についてだけ、大仰に省み、自分をそしる態度を見せますが、それは結局「自分の落ち度は仕方がなかった、見直すべき所など自分の力の及ぶ範囲内にはなかった」と言っているようなものです。百歩譲って、由綺が本当に自分の問題としてとらえており、冬弥に期待を押しつけすぎた態度を猛省しているにしても「冬弥を信じすぎたのが悪かった」と言っているのであって、信頼といういわば善の要素を貫く由綺にはこき下ろされるいわれなどなく、結局は信頼に足る人物たりえなかった冬弥に問題があったという論理になります。自分を責めるような口ぶりで由綺は、つまりは強調して冬弥が悪いとしか言っていません。そして「何も悪くないのに一方的に恋人に裏切られた自分」「それなのに、自らを責めずにはいられない哀れな自分」という悲劇性は、ある意味圧倒的なヒロイン性ともいえ、自己陶酔を好む由綺にとってそれはそれで望ましい自己像で、さほどの抵抗もなく現状を受け入れます。自分の魅力が映えるならそれで満足なんです。そんな自己満主義の由綺をもってしても許せず断固受け入れがたいのは、自分がヒロインとしての価値を保守できず、ただの舞台装置に成り下がり、他を際立たせるための引き立て役としてしか扱われない事態が存在しうるということです。ただし作品内においては、その前条件としての展開は「控えるべき」とされ、実現には至らないであろうことが示唆されているため、それが破られない限り由綺が牙をむくことはあり得ず、変わらず徹底して愛くるしい無害な由綺のままでいられるという訳です。


要するに「由綺が泣いちゃうなら」どころの話ではなく、由綺が激情のままにお縄になりかねないことなどあらゆる不幸や凶事を見越し、彼女が人の道に外れないように、遠慮だとか保身だとかよりももっとずっと広い視野で、はるかは考えられる限り最善の着地点を示しています。それが、自ら日陰の身に甘んじるものだとしても。ヒロインレベルが雲泥の差で、悲しくなってきますね。人格レベルっていうか品格レベルっていうか、同じ土俵に立つなんて無謀な話です。こんなじゃ、冬弥は選ぶに及ばず一択しか考えられません。由綺を軸とするWAの物語は、そのレベルに見合ったそれなりの内容でしかありませんが、実際ははるかを対とする物語が本来の筋です。憂慮による彼女の慎みがかえって余計に胸を打ち、もう彼女以外受けつけません。他編での浮気展開も、結局ははるか恋しさに発生しているもので、冬弥は初めから、徹底して彼女だけを求めているのだと思います。冬弥にそれだけの想いを貫かせるほどの説得力が、はるかの人間性には確かにあり、いうなればWAという作品が描き尽くす理想の女性像そのものなのではないでしょうか。人生の初っぱなからこんなんに出会ってちゃ、冬弥が他の女性に見向きもしないのも仕方ありません。いやもう、他に行くなんて無理、絶対不可能でしょ。冬弥は「はるかなんかに…はるかなんかに…!」と恥じ入るかもしれませんが、ただのいつもの難癖です。冬弥にとってはるかは頂点の存在で、もう母ちゃんレベルです。冬弥が母というものを知らないことも多分に影響し、その理想は無限の母性に満ちています。冬弥が要求するまでもなく、はるかは元からそれを有しているので、はるかのそのままを認めることは即ち、彼女の母性に浴することと同じです。冬弥が自分本位に都合のいい理想像を描いて追求しているなら問題がありますが、たまたま素のはるかが理想像にがっちり合致していたというだけで、そのはるかをありのまま受け止めることは叩かれるべき難点には当たりません。冬弥の欠けた部分を満たし、冬弥が必要とするすべてがはるかにあるので、冬弥は何よりも強くはるかを欲してやまない、という次第です。


WAはヘタレ主人公作品の走りとしてあまりにも有名です。そんなネガティブな比較の中でもWAというのは、時間の経過と停滞による残酷な落差がありありと描かれるでもなく、不実に対し胸のすくような成敗劇が描かれるでもなく、ただただぬるく中途半端でスカスカな物足りない内容だと思われていますが、どちらも直接描かれていないだけで、WAは先んじて、見えない所でそれらをしっかり網羅していたということになります。ただ、変な価値観とプライドで、展開をひけらかすことを好まなかったのか、厳重に封印され、手つかずのまま凍結されているだけです。多分、最終的に解凍してほしくはあるのでしょうけど、のっけから解答を安売りしたくはないのだと思います。本当に面倒な作品です。