補足14


彰EDに至る過程。周知の通り、美咲編冬弥は全方位に向けて誠実さを欠いた姿勢で、分別なく破滅的選択を重ねていきます。そんな冬弥が彰によって成敗される彰EDは、美咲編での所業にはまったく当然の報いな結末です。みじめで救いがなく、こっちの方がくず冬弥の正式な末路としてふさわしいです。ですが、その泥沼な物語を締めくくるのは美咲でも由綺でもなく、処刑人たる彰がそのまま終わりまで話を引っぱるのでもなく、最後に登場するのははるかです。はるかなんです。なおかつ、美咲編通して自分がとことん心痛を負わせている美咲には一向に謝る気配のない冬弥が、なぜかはるかには謝ります。謝る理由も判らないのに、なぜか謝っています。身を滅ぼし周りのすべてを傷つけてでも冬弥が叶えたかったこと、それは何かというと、彼はただ一心に「はるかに謝りたかった」のです。


冬弥はその折、はるかに「さえも」何か謝らなきゃいけない気がしたと語ります。でも、何を謝るのかは何も判らないでいます。本当は、冬弥にははるかに「こそ」謝らないといけない事情があるというのは一貫して説明してきた通りです。別の誰か、たとえば美咲関連の構図のその他枠でついでに視界に混ざるだけの対象ではけっしてなく、冬弥の物語は徹底してはるかが主題です。はるかを忘れてしまった冬弥は、はるかを忘れてしまったそのことを、自分のせいで辛い思いをさせていることを、はるかその人に詫びたいのです。はるかを忘れたことで一番苦しんでいるのは、その喪失物の特定すらできない当の冬弥です。そして、そんな自分を一番許せない、自分で自分を一番許せないのが冬弥です。はるかに謝らねばならない重い事情が自分にあることを彼は無意識に感じていて、そのため理由は判らないというのに、何はさておきはるかにだけはちゃんと謝る、という現実行動として明確なけじめを見せます。


冬弥の謝罪に対しはるかは、ここぞという時に必ず見せる恒例の優しい眼差しをして「何が?」ととぼけます。はるかは、冬弥が自分に何を謝ろうとしているのかを判っています。そして冬弥が何について謝っているのか彼自身には判らないことも判っています。彼女は「全部」判っていて、その上でとぼけているのです。はるかとしては、その慈悲により冬弥の謝罪を受け入れ彼の心の縛りを取り除いてあげたい所ですが、肝心の冬弥の認識が不完全なため、はるかから許しを受けたとしても彼には許しとしてまったく機能しません。また冬弥が美咲を巻きこむことで、もはや冬弥はるか二人だけの話ではなくなっている時点で、はるか一人の立場でもって冬弥を許すという救済をもたらすことは叶いません。「はるかからの許し」こそが暴走冬弥を鎮める唯一の切り札なのに、それは行使されません。どうしてこうなったか判っていて、冬弥が何を求めているのかも判っていて、どうすれば冬弥の気が収まるかも判っていて、全部全部判っていて、それでも目下はるかには冬弥の謝罪をただとぼけて受け止めることしかできないのです。


長らくはるかに許しを乞うべき状態にあった冬弥としては、その彼女に直接謝ることにより、ちゃんと彰EDで彼の最重要目的を達成しています。はるかに実際許されるかどうかはそこまで論点ではなく、彼女に誠意を示すことが重要で、その時点で正当な決着がついているのです。ただ、認識が欠けた身だけに冬弥本人にはその完結状況が自覚できておらず、加えてその後はるかが冬弥にそんなにまで付き添わずすぐに帰ってしまうことでまたもや行き違いが生じ、冬弥ははるかにも見捨てられた判定をしてしまいます。そして孤独感を極めた彼は完全に心の平衡を欠き、焦点が本来向けられるはずのなかった美咲と由綺の二方向に裂けて定まらなくなり、最後とうとう発狂したかのような一文で終わります。


美咲編冬弥の真の目的および真の着地点が明らかになることで、シナリオは派生元とぴったり構成が揃うことになります。原典ともいうべき派生元を見返してみると、あれだけ猥褻放題しておいて結局あの人が何をしたかったのかっていうと、最終的にたどりついた結果を見る限り、早い話「ただ妹に謝りたかった」だけなんですよね。そんなの家庭内だけで話を終わらせて下さいよ。彰似の少年が心底嫌そうな顔でげんなりしてそう。だって仕方ないじゃないか、今はもうまともに顔も合わせられないんだから。だからって普通よそで淫行しないでしょうが。言い訳すんな。


冬弥にしろ派生元のあの人にしろ、愛する対象として価値を置いているのはそれぞれの本命にだけです。最優先される人物は一人に定まっています。あの人は「大切なのは妹だけ」と豪語…まではしていなかったと思うけど、それを一挙一動で強烈に示しているような人です。実際、妹以外は虫けらみたいに思っている感じです。冬弥にはまだそれでも少しは人の心が残っているので大々的にそんな思考をむき出しにすることはありませんが、大切なのは本命ただ一人で、他の人間に対してはそこまでの愛着はまるでないというのは、原型から脈々受け継いでいる基礎性質です。自己壊滅寸前の超切迫状況に至っては、由綺とか美咲とか、部外者の彼女たちには恋愛感情はおろか人間相手の最低限な思いやりすらまったく持てません。ただはるかだけが唯一尊重される最愛の存在なのです。それなのに冬弥にはその対象を自分の中で特定することができず、表面上では由綺と美咲の二人を恋愛区分に置き、彼女たちに二股で焦がれて思い悩むという脱線現象が起こっています。冬弥にとってどちらもそういう対象ではないというその重点を押さえない限り、彼の取る行動の支離滅裂に説明がつかず意味判んないと思います。冬弥の目標点は全然別の所で固定されており、それ以外に対してはまともな配慮は向けられません。


美咲編の前提として、由綺が多忙で側にいないことは冬弥にとって全然まったく何ともないんだけど、はるかの痕跡が日に日に失われていくその見えない切迫は非常に脅威です。そんな中で冬弥は、はるか記憶が戻ってくるあてもないのに、何を探しているかも判らないのに、自分を立て直すためになりふり構わず暴走することになります。冬弥は自分の生きる意義をはるかへの愛情に全振りしており、それを貫くためならばいかなるそしりもおそれません。冬弥の暴走は、はるかを見つけ出し取り戻すためという彼なりの正義に則っているのです。


はるかを唯一求めているはずの冬弥が、なぜ「美咲を」求めることになるのかが疑問となりますが、おそらくは、かつての冬弥はるか二人きりの想い出の中、視界の隅に物陰の美咲が映りこんでいるパターンがいくらかあるのだと思います。もうそれは美咲さんの性癖だから諦めて黙認するしかないです。そこからはるかの姿が失われることで、「誰か」をいとおしむ自分と遠くの美咲の姿だけが残ります。つまり、想い出はメイン人物がいなくなった状態で、モブのはずの美咲の情報として取り出されるようにすり替わってしまうのです。はるかを思い出そうにもそのシチュエーション追想はなぜか美咲に紐付けられているので、冬弥はいらいらします。でも「そこ」に重要な「何か」があるのは無意識に知っているので、冬弥は核心に繋がる手がかりとして美咲を探らずにはいられないという次第です。しかし美咲と関係したところで該当のはるか記憶が戻る訳もなく、何の成果も得られないままただ無意味に関係をもつれさせていくことになります。


要するに、冬弥は美咲が好きだから彼女を求めている訳ではないんです。あくまではるかを探す流れの一つのとっかかりにすぎません。そもそも普通に考えて、美咲編冬弥の美咲への態度を愛情からなるものだと本当に思えますか?勢いに任せた身勝手ばかりで、明らかに状態がおかしいでしょう?あの冬弥の動向を、立場を考えていないにしろひたむきな純愛の極致だとそのまま当たり前に解釈してしまえる人は、手持ちの恋愛観がゆがんでいないか少し見直した方がいいと思います。美咲編冬弥は相当ゆがんだ状態前提なんです、あれはゆがんでいるんだとしっかり認識できなくちゃ人としてだめなとこです。


美咲編冬弥の所業とは、定説で叩かれている指摘点よりも実情はもっとずっとひどいものです。美咲への扱いの心なさにはもう最低最悪と言うほかありません。そんな訳で、彰殴打イベントで美咲への愚弄について非難する彰の台詞は、非常に的を射たものです。基本物分かりの鈍い彰ですが、知っていることが限られている中でも、本当に肝要なキーポイントはけっして外さず的中させます。自身がファイナルステージに立つまで状況変化をまったく検知できていない分、かえって彰には大事なことだけがはっきり目に映るので、最短経路で解答に行き着くことができます。「冬弥は、美咲でなくても別によかった」、彰の指摘こそが美咲編を突きつめた真実の結晶です。


美咲というのは、人を殴ってでも力ずくで奪うくらい本気で向き合わなくちゃいけない人なんだ(要約)と彰は言います。でもそれは彰にとってはそうなだけで、冬弥にとっては美咲が特別大事という訳ではありません。それほどまでに美咲は尊ぶべき存在だというのは美咲の絶対評価ではなく、彰個人の見解です。一方冬弥が何を代償にしても得たい大切な人というのははるかだけなのであって、美咲はその位置にありません。他のすべてを犠牲としてたった一つしか選べない究極の状況であれば絶対に、冬弥は何に背いてでも本気ではるかを取りにいきます。取るのははるかだけと決まっています。美咲はそれこそ犠牲にしても構いません。最優先される人物はそれこそ人によってそれぞれ違うのです。誰を「大事にする」かはその人の自由で、それを他人に強制されるいわれはありませんが、冬弥の場合で問題になるのは、美咲を「粗末にする」ことです。大事でないからって粗末にしていい理由はどこにもありません。そして彰の意見で問題なのは、美咲を「大事にする」価値観を冬弥にも当然と強要することです。冬弥にとって美咲は大事でないだけに、そこまで大事にするほどの理由もまたどこにもないのです。


本気でないのに美咲に手を出すのは擁護しようのない行いではあるけれど、美咲との関係を掘り下げることがはるか奪還の一経路(ただし実現は不可能)として冬弥内部で認識される以上、美咲への接近は、はるかのためなら手段を選ばないという強い信念ゆえであり、それこそ冬弥は本気も本気です。その本気が対面の美咲には向けられないだけで。冬弥の本気は、本命のはるかのためにしか使われることはありません。


WAの裏の規則性として、原則冬弥ははるかトリガーがそこにない限り一線を越えるには至らない、というものがあります。直接的にしろ間接的にしろ、何らかのはるか彷彿要素があって初めて、体の関係に進行するという強力な縛りがあります。ところが美咲編だけは例外で、美咲本人あるいはその立場、発言の含ませにはるかの空気は特に見当たらないにもかかわらず肉体関係に及びます。これはどういうことかというと、美咲編においては平時から冬弥の内的欲求(はるか渇望)があまりにもたまりすぎていて、外的刺激(はるかトリガー)によることなしに素で高ぶった状態になっているのです。つまり、はるかを求めて常に発情状態ということです。でも冬弥は自分が何に対してせっついているのか判らないので、体感では一人自ずとむらむらしていることになります。その流れで気休めで美咲に手を出しているだけで、美咲自体に誘因要素があるのではありません。正直、繊細で叙情的なWAの透明イメージを下卑た考察で傷つけたくないのですが、はばかりなしのあけすけな話、本来の対象に欲求を向けられない不満を、美咲を「道具」に使って解消しているということです。


美咲への扱いが粗雑でまったく人情を欠いていることは、冬弥の背景を考えれば自明であり、また派生関係の図式からも順当です。原型のあの人の、包帯さんに対する処し方というのは人でなしもいいとこですからね。もっと大事にしろって怒っても「君は何を言ってるんだい?包帯さんは妹じゃないじゃないか」と飛躍論理を真顔で答えると思います。冬弥も同じで、はるかでもないのに美咲を大事にする了見はないのです。ただ一時の性欲を晴らす玩具(道具)があればいい、道具に心は求めていない。だから大事に思うこともないんです。往生際悪くも冬弥は頑なに善人面を外そうとせず、必死になって論点をずらして語り、かろうじて自己スタンスを幾分ましに見せかけていますが、あの人ってば既に冬弥発祥以前から、目も当てられないくず思考論理を包み隠さず全開で言い放っちゃってるから。冬弥がひた隠す内心の大体の所は全部あの人の論理で説明がつきます。


では性欲を満たす対象として置くとなれば、美咲の抜群の肉体だけが目当てなのか?というとそれは違うんですね。体すらも間に合わせの対象で特に眼中になく、本当に「道具」としてだけの扱いです。肉体に魅了されて引っぱられているのではないから、文字通り「道具用途限定」の存在です。女は巨乳がいいに決まってるとか、プレイヤー各自のそれぞれの当然が、必ずしも冬弥にとっても当然だとは限りません。プレイヤー視点とは切り離され、個のキャラクターとして独立している冬弥には彼なりの嗜好があります。美咲を巨乳だと喜んでいるのは個々のプレイヤー感想に過ぎず、当の冬弥は特に何の感慨もありません。心なしかやっつけで雑です。プレイヤーは美咲の体にほいほい食いついたとしても、冬弥当人はあんまり気乗りでありません。食べてと言われたらまあ食べなくはないけど、別に好物って訳じゃない。全然味わって食べない。ただ流れで流しこむだけ。冬弥としては美咲の体はそこまで心を掴むものではありません。プレイヤーに、おざなりなの何なんだと気い悪く思われるのもままありそうですが仕方ないんです、冬弥そういう人だから。美咲ではたたないんです。


困ったことに冬弥は特殊すぎる嗜好の人物で、唯一はるかだけがストライクゾーンなので、はるかでないと(あるいははるかを喚起しないと)たちません。美咲編の場合、見えないはるかへの届かぬ想いを募らせてたったのを手近な生身である美咲でとりあえず収めているだけで、本来美咲だけでは冬弥は反応しません。行き場のないはるかへの欲求を美咲で紛らわしているだけで、美咲自体にはまったく性欲を感じていないのです。うーん、最低!何というか、普通に解釈するよりずっとくずなんですけど。美咲のことを完全に道具扱いというか、処理のための担当にしていて本当にひどいです。もげてしまえ。でも仕方ないんです、そういう「縛り」だから。「元がそんな感じ」ですからね。道具扱いは派生元の基本スタイルで、定型には従うしかなく、コンセプトは変えようがないのです。冬弥もあの人同様、諸事情で性欲を本命に向けられないため、かわりに「道具」で解消するしかありません。バレンタイン回で夜通し何度も交わるくらい美咲を貪って離さないってことは、よほどあっちの具合がいいのかと妄想してしまいますが違います。単にはるか欲がたまりすぎているだけです。そして美咲ははるかではないから結局はるか欲は解消されませんよね?だから何回いたしても全然収まらず、しつこく延長するんです。何というかうん、浅ましさ限りなしです。


通常叩かれている以上に美咲編の内情は醜悪なものですが、ちょっとこれは原型を思いっきり引きずっての所業で、自然とヘイトを誘う方向になるっていうか、そうでなくては派生にならないのでやむを得ない構図です。美咲編冬弥がくずなのは仕方ないんです、くずでなくっちゃ始まらないですから。冬弥を正すにはまず派生元から正さないといけないんですけど、派生元を改心させるなんてまあ無理ですよね?あの人は大いに血迷ってなんぼのキャラで、身を慎んだら存在価値がなくなります。満場一致でくず認定な、弁護しようのないくず中のくずというのが彼の本分で、ムカつく悪役としてこそキャラ立てが活きてくるというものです。汚らわしい悪役論理を展開する上で、何よりも嫌悪誘発を「求められる」ので、結果、それを引き継いだ冬弥の真意は擁護不能なひどいものとなっています。シスコンを貫くがゆえに、迷惑にも周り一帯を平気で狂騒に巻きこむような人が固定のベースだから、後続の方向性も同じくまともになりようがないのです。冬弥がいかに体裁を整えたところで、彼がキャラ構築される前から母体がスタンスを確立しているため系図には抗えません。冬弥自身は不満げに「俺、絶対あんなじゃないぞ」と異議申し立てするんじゃないかと思いますが、いやお前ら相当同じだからな!


美咲に対しての倫理ゼロな見方は、冬弥の潔癖な価値観からすると、自分の真意として絶対に受け入れがたいものです。迷える表面以上に内部ですさみまくっている冬弥ですが、基本は清浄すぎるほど綺麗な人間です。汚れた思考を自分に許可する訳にはいきません。邪念が意識に上ることのないよう押しこめます。そこで用いられるカバーが、いわゆる「美咲さんが好き」というものです。普段から、美咲に対する好意陳述は大部分「お愛想」です。その上で、美咲編においては「名分」の役割も追加されます。「美咲が好きだから求める」というのは必死にうたい上げている大嘘で、彼女を求める真の理由を隠すためのものです。本当は求めてなどおらずただのその場しのぎなのだけど、それは真意として自覚したくありません。好意ゆえの強行としてすり替えれば、まだ少しはましな論理に落ち着きます。美咲へのいたわりを確保するためにも「嘘も方便」です。


冬弥ははるか奪還最優先で動いていながら、本人にはその最優先枠に据えられた目標の人物がはるかだとは認識できません。つまり渇望の自分が今まさに追いこまれて荒れている根本の理由が自分でも判らないのです。そして自分の気ぜわしさに理由がないままだと自分でも落ち着かないので、現状関係が深みにはまりつつある美咲を特別視の対象として指定します。ですがシナリオ裏の真の構成として、はるか以外の対象に惹かれることは現実的に起こらないと確定している冬弥では美咲に特別な感情を持つはずがないと結論づけられます。親しみは感じているとしても、普段から冬弥は美咲が特に好きではなく、美咲編に至っても別に好きになりはしません。使い道があるから使うだけです。彼がシナリオ内で美咲への好意を言いまくっているのは完全に口からでまかせです。


ただし、この噓を自分に刷りこむことで、自分の観点をかろうじてましな状態に矯正できます。真意を厳重に封じこめ、多少は良心の残された心境説明を展開します。つまり結果的には、表で色々語っている冬弥はまだマイルドな方なんですよあれでも。問題は、隠された方の語らない冬弥です。沈黙の冬弥が発散の機もなく抱える真意は累々と内に蓄積しており、それがそのまま当座の冬弥をふいに突き動かす直接の要因となります。要するに、冬弥暴走の原因は独白裏にとどめられたままテキスト上には上がってこないのです。意識的にしろ無意識にしろ冬弥は正確な説明をしないので、よって彼の言い示すままの条件で物語を追ってしまいますが、実際にはそれは、文字通り言葉にできない裏あってのブラフ情報に過ぎないのです。


二人の関係図として、身勝手な性欲を手っ取り早く解消するためだけの存在ということで、弱い立場の美咲の気も知らず冬弥が一方的にせまって無理強いしているとなると大問題なのですが、実際、舞台裏は全然そんな構図じゃないんですね。二人の間にはそれより先に、長期にわたって日々一方的に粘着して冬弥をつけ回す美咲と苦情も言えずに困りはてている冬弥という形態が成立しています。ストーカー被害で心労を抱えて、ノイローゼにならない方がおかしいです。それでも冬弥は、そんな重圧をも自分を正当化する言い訳としては出してきません。通常は何とか棚上げしてやり過ごしています。しかしそれは彼の耐久力頼みでどうにか成り立っていることで、いつ心くじけて自分を諦めてもおかしくない瀬戸際です。そして作中、あらゆる悪条件の重なりにより、冬弥手持ちの余裕は完全になくなります。現状自分は自分を御しきれないし、この際美咲に屈するのもそれはそれで悪くないんじゃないかと思うようになります。冬弥の立場を心得ながら仕掛けてくる美咲は無論「その気」でそうしている訳で、その算段に乗っかるのも一つの選択です。冬弥がなびくのを狙って地味に策謀を続ける美咲、その一方で抑えがたい鬱憤を晴らしたい冬弥、二人の間に限っては利が一致しています。これは美咲にとっても悪い話じゃなく、むしろ彼女が望んでようやく実現にこぎつけた悲願なのです。冬弥は美咲の足元を見てつけこんでおり、その意図は確かにずるくて不誠実ではあるんですけど、一応両方に取り分があり筋は通っています。冬弥は一連の動向を説明抜きでやらかすのでほとほと理解不能な状況展開になっていますが、そういうことなんです。


またこれは冬弥には知るよしもないことですが、美咲は何も知らない身で運悪く巻きこまれたのではなく、自分への扱いがどういったものとなるか承知の上で冬弥を受け入れています。美咲は独自調べで冬弥の事情を色々掴んでおり、ある面では冬弥本人以上に冬弥のことを把握しています。美咲は、明らかに病的な異常が冬弥にあると判っていて、手出し厳禁な領域と知ってなお手を出しています。包帯さんみたいに、好きになった人が「たまたま」たち悪い爆弾を抱えた危険人物だった、という偶然の不幸ではないのです。美咲は今の冬弥が破滅と紙一重であることを知っています。そしてそんな危うい彼からは真の愛情など望めないことも「初めから判っている」のです。美咲自身、粗末に扱われること前提で冬弥の相手をしているということです。つまり自分が「道具」にされて少しも顧みられないことは美咲には既定なくらいに想定内で、また「道具」としての役割でこそ彼に求められるのならば、その立場に身を落としこむのもそれはそれで役得なのです。


先に、美咲は冬弥が由綺に「道具」としてずさんに扱われることに心穏やかではないと述べました。この辺構図としてとても絶妙にできていて、由綺に道具扱いされるその冬弥から、美咲はひどい道具扱いを受けることになります。そして不思議なことにそんな自分の扱いについては、美咲は不満を感じません。好きな人が冷遇されるのは納得いかないけど、自分が冷遇されるのは全然構わないのです。むしろこっちがいなされてでも向こうの気が済むならそれが幸せ。自分よりも他人を重んじて思考を構築してしまう美咲ならではの脳内回路です。


美咲を気に入ったプレイヤーが彼女のキャラ萌えを楽しみたいと思って、胸躍らせて美咲編をプレイしたらほぼほぼ内容に裏切られます。美咲といい雰囲気で距離をつめる展開を期待したとしても(もっともそれは冬弥の初期状態的に初めから厳しいですが)、必ずしも冬弥はプレイヤーの希望通りに動く訳ではありません。プレイヤーは美咲を気に入っても、冬弥は彼女を特別好きにならないからです。思いやりのない荒れた扱いが基本です。美咲の見た目中身問わず、彼女自身の武器とされる価値が冬弥にとっては価値をなしません。美咲編というのは一貫して、美咲の価値をむげにドブに捨てて展開していく構成です。受難に耐える美咲にそそられる意味で話をとらえるのであれば、それが唯一美咲の素材を活かせているポイントで、美咲を好けば好くほど美咲編を進めるのが苦痛になる何ともやるせない読み口です。


ただ普段の冬弥はとても美咲になついているので、変にルート入りせずにいればいたって和やかに美咲と交流できます。適度な距離感が確保される範囲でなら何も問題は起きません。美咲シナリオを攻略しないで美咲パネルを攻略するというプレイスタイルならば、本来の意味での美咲萌えを楽しむことができるでしょう。おっとり優しいお姉さんの王道を行く美咲と、犬猫みたいな通常冬弥の無邪気っぷりにほっこりします。基本がそれだけに、美咲編冬弥の邪悪っぷりのギャップがどうしてもね…。許されまじですよ。


この美咲編が世の風当たりが厳しい筆頭ですが当ルートに限らず作品全体として、もうちょっとこうマーケティングていうか、世間の潮流・ニーズを優先じゃないけど考慮するなり何なり、どうにかならなかったものかと思います。プレイヤーの期待の裏をかいて真っ向逆行するのがそんなにそそるのか。もっとも、それがありふれず手垢のついていない独特の感性をかもし出していて個人的にはすごく好みですが。WAに類する傾向の作品なんてそんなに見ないですもん。しかも解釈を二段構成で用意してあるような、そんな無駄に手の込んだ仕様なんて唯一無二の作りです。こだわりが強すぎるばかりに理解を得られず世評が散々なのも納得の結果ですが、私は好きです。


冬弥は普段、彰の恋を素直に応援しています。っていうかさかんにけしかけます。美咲編では結果的に、彰の想い人を横取りするといった形で進行するため、面従腹背というか、通常からしてその気もないのにアシストしているようで、美咲をめぐっての元々の彰への態度が変に腹黒い構図でとらえられがちです。夢中で美咲さんの話をする僕を、ほんとは冬弥、心では見下してたんだ!話を聞くふりして僕をずっとだましてたんだ!みたいな。えー誤解ー。俺の友情はちゃんと本気ー。冬弥喋り(推定)だと彰の怒りの火に油を注ぐようなものなので真面目に述べますと、本来の冬弥は彰をかなり大切な存在として区分しており、その友情は確かです。冬弥は純粋に彰の恋を応援しており、その気持ちに嘘はありません。冬弥も前々から美咲には抗えないものがあって彰を内心疎ましく思っていたとか、そういうのは全然ありません。冬弥の優先順位では、距離の近い彰の方が美咲より格段に上で、その彰が美咲を好きだと言うのなら冬弥はそれを尊重します。やや空回りしがちですが、冬弥は彰のためなら自らピエロになって、彰を引き立てる場面をお膳立てします。冬弥は大切な彰には本気で相対している一方で、別に美咲は特に好きではなく彼女に本気を向ける理由がないのだから、彰を欺く理由もまた全然ないのです。


冬弥の中では彰への応援は一貫して変わらないけど、美咲編ではその彰を裏切る結果となります。それは、彰とは関係ない所で冬弥の状態が変動したからです。友情と裏切りとでは根源となる要素が別なんです。そもそも彰を切って美咲を選ぶという「彰か美咲か」「友情か恋愛か」の比較ではありません。別に美咲への好意が彰との友情を上回ったからとかではなく、彰は切っていない、美咲を選んでもいない、でも結果的に彰を裏切ることになってしまうのです。その理由はただ、冬弥単体で冬弥が自分を見失ったからです。彰を応援するという据え置きの自己スタンスをも無効にするに相当な原因がそこにあるのです。それがはるかならもう仕方ない。はるかは何者にも上回る。はるかが自失の原因ならどうにもできない。冬弥は彰への友情には何の偽りもないまま、図らずも、彰との友情が視界から消し飛ぶ状態に陥ってしまうのです。冬弥内部でかなり優先的な位置づけにある彰であっても、はるかと並ぶとただの空気です。


さて、可愛い彰の恋の仲立ちのためにと、通常冬弥は何かとしゃしゃって裏であれこれ仕向けます。一方で美咲というのは冬弥が常々語るほど好ましい人物ではありません。冬弥普通に困らされています。表向きは親しくしていますが、その粘着傾向には内心迷惑しています。「その美咲」を彰と取り持とうとしているとなると、多大な難を知り置きながら「その地雷」を平気で推し薦めてくる鬼畜の沙汰にも思えますが、そうではありません。冬弥にとっては頭の痛い美咲でも、彰にとってはそうはならないからです。


実際美咲は冬弥との相性がとても悪いんです。美咲は心の内では色々渦巻いているのを巧妙に取り繕って善人然と振る舞いますが、感受の鋭敏な冬弥は自然とその裏を検知してしまいます。美咲が裏を隠せば隠すほど冬弥にはそれが筒抜けで、その裏表の確信により不信が一層増幅されます。そして冬弥は冬弥で反感を覚えていながら平気で表面にこにこして抑えてしまうからさらにこじれます。美咲と接するだけで冬弥は疑心ですごく消耗して心身もたないんですよ。でもそれははっきり言って、神経質すぎる冬弥が不必要に察しすぎてしまっているだけで、美咲の偽善性なんてごくごく人並み程度で大したあらにもなりません。彰ならば、美咲に裏など存在しないに等しく、見たままをそのまま受け取ります。美咲本人が知られたくなくて苦心して伏せている下心など、あえて暴く必要はありません。表に振り分けられたことだけ受け止めればいいんです。真の善人だろうが偽善者だろうが、実践する行動が善良ならそれでいいじゃないですか。


美咲の場合、何をするにしてもいちいち複雑深刻詳細に考えをめぐらせているというのが非常に重い訳ですが、過敏な冬弥はそれを感覚としてもろに受容してしまいます。重さがまるごとのしかかってしまうんです。対して彰はとても晴れやかな人物で、ぐずついた探り入れとかをあまり気にしません。彰視点では、重い美咲でも重みが放散され、重さとして体感されません。美咲自身も、こだわらない彰を前に不要な気疲れは軽減されます。彰は鈍感ですが無神経ではないので、繊細すぎる美咲の心をむやみに踏み散らすこともありません。反面、彰はあまりにも考えなさすぎて危なっかしい所がありますが、そこに考えすぎる美咲を添えればうまくフォローできます。美咲の湿度と重さは状況に落ち着きをもたらしてくれます。つまり、この二人はいい意味で対照的でうまく噛み合い、相性としてすごく好感触なのです。


派生配分の上で、兄と弥生のペアに相性の良さを必要以上にごっそり全部持ってかれちゃってるから、出がらし的に冬弥と美咲に残されているのはぎくしゃくしたステップの合わなさだけです。さらには悲観と悲観の相乗で共倒れになります。冬弥にとって美咲はお互いにマイナスな相手となります。でも彰とであれば、美咲は彼女自身の持ち味で相手を引き上げ、また本人の良さをもそのまま高くもたせることができます。お互いにとって実りあると見込まれる最良の相手なのです。冬弥はそれを何となく確信しているので、二人がうまくいくよう取り計らいます。彼は意外と人をよく見ていて、頭を使って最善策で動いています。


そういう訳で冬弥は、二人をくっつけようとやんやとはやし立てます。たまにやりすぎてちょっとうざい時もありますが方向性はけっして悪くないと思います。彰の気持ちを主体に考えても、二人の相性を客観的に考えても、そうなるのが一番望ましく、収まる位置に収まる安定の落とし所です。また、それらの観点とは別にもう一つ、冬弥ベースで決着に持ちこみたい彼なりの計算があります。彰と美咲がそっちでまとまってくれると、冬弥は無駄な心労を抱えなくて済むようになるのです。美咲の興味を彰に引きつけることで、冬弥は晴れて自由の身になります。美咲の追尾の目がなくなるというのは冬弥にとってまたとない平穏です。美咲を「彰に押しつける」ではないけど、美咲の視線を何とか自分から引きはがし、安息を得たいのです。冬弥にとっては息苦しい美咲だけど重いだけで特に人を傷つけるような悪人ではないし、美咲が重かろうが彰は彼女が好きだから何でも大歓迎です。だから冬弥としても美咲は彰に全力でおすすめです。彰軸では何の問題も起こらず、美咲そのものを最大限好意的に受け止められるから、彰に任せておくのが全面的に正解なのです。適材適所です。


美咲編の要所で、ふらっと現れてはすべてを見抜いているかのように悟った立ち居振る舞いをする超越者はるか。いや、「かのように」じゃないんです。彼女こそが場を制する中心人物ですからね、全知は当然です。美咲編はるかの侮れなさにおみそれする人も多いかと思いますが、実際にはあれって、責任重大なのに様子見決めこんでいる大失策なんですよ。はるか傍観してないで早く冬弥を止めろ。状況一番判ってんのお前なんだからはよ冬弥止めろ。「んー」じゃない!はるかは自身の立場が重大であることを認識できていません。まるっきり自分の価値を自覚していない人なので。自分が重要人物だという意識が全然ないのです。


はるかは奥の手、緊急非常停止ボタンのようなもので、その一声で問答無用で冬弥を止めるだけの威力を持っています。そうなるように多分初めから冬弥の素体に組みこまれているので、はるかが止めれば必ず冬弥は止まります。きっと止まるんです。美咲編冬弥の現状把握は軒並み的外れで、本人には理屈が判らない状態であっても、それでも機構に沿って冬弥制止プログラムは作動するはずです。はるかさえ動いてくれればその場で即時収束、冬弥は暴走ストップするので被害は都度最小限で食い止められるはずなんです。でもはるかは一向に中央の表舞台に立とうとせずキーパーソンの役目を果たしません。彼女なりに方々思案しつくしてのやむを得ない選択なのかもしれませんが、彰介入までの間にひたすら悪化の一途をたどるのは本当にいただけません。はるかは、自分が出れば冬弥は止まるというその解答を知りません。読み手視点では解決法がそこに見えているのに、解決法である肝心のはるか自身が自分を解決法だと見なしていないというのはとてももどかしいです。


解答としての自覚がないとはいえ、はるかは別に問題に対し何の対処も考えていない訳じゃないんですよ。むしろすごく考えています。はるかは賢いので考えなしの下手な手を打つことはできません。それこそ何か良い手はないかとフル回転で考えてしまうんです。でも末期的にこじれた現況では、良い手など初めから存在しません。はるか納得の手がなければ彼女は手を打つに踏み切れない。そして実際手のつけようがない。介入のタイミングを見計らってはいるけど、なかなかその間合いは訪れない。元より説明すること自体が困難で、話の切り出しようがない。つまり打つ手がないのではるかは手を打たない。何の手出しもできず保留するにとどまります。いっそ感情に任せ、話の流れや状況把握を荒らしてでもとにかく舞台に躍り出て制止すれば、それで有無を言わさず収まったかもしれませんが、理性に寄りすぎているはるかが感情のままに行動するなんて無理な話です。本来問題解決には欠かせないはずの理性が仇となって問題を止められないのは皮肉なことです。


そして最終的に、彰による決着を仰がなくてはならなくなります。はるかにはおそらく、彰に助けを求めるという選択肢も腹案として常に意識にあると思います。けれども彰を呼び出すことは効果てきめんだけど劇薬も同然で、到底無傷では収まりきらないと潜在意識的に判っているからどうしても実行には乗り出せません。全面対決ははるかとしても望む方向ではありません。


彰ED後では、美咲への失恋以上に冬弥の裏切りによる痛手で彰の視界は全域モノクロかグレーに変容していそうです。先祖返りして、自分だけの世界に浸って危険思想を構築しているかもしれません。彰から朗らかなイノセントスマイルを奪った冬弥、万死に値する。以後、人生どん底の幼なじみ二人も抱えてはるかも大変だなー。でも、それもこれも、先が見えているのに見ていただけのはるかが悪いんですからね。美咲編最大の戦犯、はるか。彰ED後さらに一悶着して、種明かし的な真の到達点があるのだとしたら、彰には冬弥だけでなくはるかにもガツンとぶちかましてほしいです。最終兵器・彰は、他人に迎合しない独自の立場だからこそ全方位に向けて正論を繰り出せます。勝手を知り尽くした間柄だから遠慮もありません。二人ともそこに正座!…そりゃあすぐ近くで事情を全然知らなかった僕にもちょっとは責任あるけどさ…。だんだんと語気弱めになっていく彰の説教タイム。この分だと失意の絶交なんてそれほど続かないんじゃないですか。


共通認識により話が通じるのもあって、冬弥は彰の前ではその重症なはるかコンを全然隠そうともしません。常時爆発させています。何かってーとはるか話に持っていくし、冬弥の世界ははるか中心に回ってんだなというのは、やりこむほどに嫌でも判ってきます。たまに申し訳程度に話題に上る由綺とは比較になりません。気持ちの入りようが確実に違うし断然はるか重視です。それは目にも明らかで、直接目の当たりにしたなら誰でも確信せざるを得ないくらいです。そして面白いことに実際彰としても、冬弥の執着がはるかに集中していること自体は普通に認識しています。ある難パネルにて彰は、はるかとの間に誰も立ち入れさせたがらない冬弥を察し、こと邪魔立てしない方針を示します。それを受けて、めちゃくちゃ慌ててしどろもどろになる冬弥。正直すぎる反応で、誰がどう見ても、隠しきれない丸出しのはるかコンを必死にごまかしている姿です。見れば普通に判ります、強烈な冬弥の意識ははるかにまるまる向いているって。


それなのに彰ときたら「そんなに気になるの?由綺のことが」と当たり前に訊いてきます。はい?由綺って?何でそうなる?この冬弥挙動のどこに由綺要素があるの?相当量なはるかコンどばどばを直浴びして、どうしてその結論になるのか訊きたい。これだから彰は。鈍すぎて話になりません。繰り返しますが、彰は冬弥のはるかコン自体はちゃんと認識できているんですよ。それを理解する旨も示します。そうやって九分九厘状況を把握できているのに、最後の決め手、冬弥の本命がはるかであるその事実には気付きません。そこまで到達していてどうしてあと一歩先が見えていないのか意味が判りません。彰はあの至近距離で、加えて冬弥の歴然すぎる情動を前にして、清々しいほどに何も感知しません。鈍すぎるにもほどがあります。逆にすごい。そらこの彰では、いつまでたっても冬弥はるかに課せられた謎の異常状態になど気付けるはずがありません。