美咲編で、はるかが訳知り顔でうろちょろしてますよね。それもそのはず、発端はそもそも彼女なので、責任を感じて裏で動いてフォローしています。でも冬弥と美咲の個人的な問題に積極的に首を突っこむことはできません。関係がこじれる前に、冬弥が壊れかけていることをはるかに相談していれば、もう少し何とかなったんでしょうけど、冬弥が弱っている機会を逃したら美咲にはもう次はありませんからね。はるかを頼ったりなんかしたら、それこそはるかに持ってかれます。そうした打算もあって、美咲は自分をずるいと責めているのです。美咲は、はるかが冬弥の一番であることはゆるがないと知った上で、二番手でも良いから冬弥の側にいたいのです。のちに呟かれる美咲の切なる心境「どうして私なんか好きになるの?」との問いかけは、彼女の自己卑下の意味もありますが、何より「私にははるかちゃんとの共通点は何もないのに」との意味が強いと思われます。つまり、混同とはまったく別枠で、美咲その人が求められているということでもあり、自分が由綺を上回っていることを実感することで、もっと先を、もっと多くのことを冬弥に望んでしまいたくなります。人間関係の現状維持のため一応ブレーキをかけますが、長年冬弥に想い焦がれていたこともあり、美咲は心がゆらぎます。そんなチャンスをはねのけるほど美咲は強くありません。一方、冬弥の方も、美咲が高校時代から自分に想いを寄せていることを自覚しているので(普段は気付かないふりをしていますが)、その想いにつけこんだという訳です。だから強引にせまっても美咲は拒まないと高をくくって、彼女の好意ありきで当たり前のように話を進めます。ふてぶてしい冬弥の態度には、長年の望みを叶えてあげたという意味があります。冬弥の勘違いだったら痛いですけど、自己評価の低い冬弥がそう確信しているということは、それだけの根拠があるのでしょう。やたら視線を感じるとか。作中でも美咲は、しばしばこっそり冬弥を見つめています。仮に、かつてのはるかとの時間もまた、美咲に見られていたとしたら、冬弥がはるかの記憶を失ったことで美咲の視線だけが残り「失くした何か」を知っているはずの美咲に「何か」を問いつめたい心情が働いて、それが八つ当たりに繋がっているのかもしれません。美咲は、自分の恋心が冬弥に筒抜けだったことを知らないので、冬弥の突然の接近にうろたえます。
美咲編本格化後、どう見ても冬弥の方から食らいついて、戸惑う美咲を追い立てているのに、「自分が」ではなく、なぜか「美咲さんは俺に好意を持ってる」と逆の方向性でしたり顔っぽく語りだすので、彼の思い上がりぶりに「何だこいつ?」と呆れるのも至極もっともな感想だと思います。冬弥はまた、美咲に実際に手を出しておきながら、なぜか「何もしていない」前提で話すこともあります。あまりにも当然のようにしらっとして流すので気のせいかと思うくらいですが、どうやら「なかった」ことになって思考から飛ぶのは間違いないみたいです。後で「何もしていない訳じゃない」と追加することもあるにはありますが、自分が美咲に何かしでかしたつもりはないというのが強い本音のようで、当事者意識に欠ける態度の悪さです。実際にやることやっておいてですよ。人間のくずそのものです。どちらにせよ、展開にそぐわない異常な論理です。状況を理解していないのか、事態を軽視しているのか、論点をすり替えたいのか、そもそも頭がおかしいのか、言っていることに整合性がありません。でも、結論から言ってしまうと、それは「論理がおかしい」のではなく、それが「正論」なんです。冬弥には彼なりに固定の前提がちゃんとあって、その確かな基準に従い、彼基準で嘘偽りなく主張を展開しています。「前提」って何のこっちゃ、そんな話どこにも出ないぞとなりますが、それはその通りで、冬弥がその前提を言葉として説明することはほぼないため、話の接続がおかしくなります。前提を明示しないまま、その前提ありきで語るので、話がおかしなことになります。冬弥と美咲の関係における最重要ピースが意図的に切り取られた状態で、情報不十分なまま、無理やりに説明が押し通されているので、一番肝心なことが伏せられたままになっています。冬弥の状況認識がどこかしら引きつれ、ゆがんでいること、それは彼のメンタルが実際におかしくなって崩れていっているのも確かに一因としてあるのですが、それとは別に、冬弥の異常な言い分を「正論」たらしめる「言えない真実」があり、その抜け落ちた穴の分だけ彼の説明内容はひずんでいるのです。
冬弥は長年、美咲に執拗につけ狙われ、それを重圧に感じています。普段の美咲は親しい先輩であり関係も良好ではあるけれど、それとはまったく別の部分、少し距離を置いた場所からねっとり覗き見てくる彼女にはうんざりしています。また時として美咲は、あえてきわどい状況を敷くこともあり、冬弥としては一応うまくあしらって気付かないふりをして対処しますが、ひたすら笑顔で耐えるのも身にこたえます。「どういうつもりなんだ、俺にはちゃんと相手がいるのに」って心境です。美咲は冬弥の身辺を知りながら、それでもあえてつきまとい続ける気の入れようです。確実にそのつもりで、脇見を狙って当てつけています。遠くで近くで、周囲からは見えづらい圧を強いられ、それに気付いていながら見ぬふりをしてやり過ごし、それでも普段の美咲とは普通に仲良くしなくてはならない冬弥は実に心労たまる立場なのです。急接近展開は、そんな美咲の計画通り、思うつぼなだけで、自分としては特に何もしていない、ただ美咲の仕向けるままに誘導に応じただけ、むしろ自分は標的とされた被害者だというのが冬弥の内なる主張です。ただ、それを実際に言葉に表してしまうと、即時、人間として失格しますよね。藤井さん、それって誇大妄想、被害妄想っていうのよ、厚かましい。だから、断じて言う訳にはいかないのです。まず、美咲の策略は目には留まりにくい巧妙なものです。美咲の前振りは小さすぎるので、最悪、冬弥の勘違いによるただの過剰反応として留め置かれてしまいます。見た目には冬弥側からのアクションでしかなく、全責任は冬弥に属することになります。それに、美咲に屈するか否かは、すべて冬弥一身上の精神力にかかっており、仮に美咲の思惑通りにことが運んだとしても、それは結局、まんまと一杯食わされ行動に移してしまった冬弥の責任です。そんな詰みの条件下でそれでも美咲の責任を問おうとするならば、それはもう、見かけ上で罪のない相手に自分の非を押しつける見苦しい責任転嫁でしかありません。他人を貶めることを嫌う冬弥は、だから本当の経緯を説明できません。形ばかりの自己弁護はするとしても、肝心な要点が美咲の非を明示してしまう以上、本当に必要な自己弁護はできません。読み手に気付いてほしいけれど自分では口に出せない真実があって、そのため冬弥は不完全な状態で言い訳しますが、真実が真実であるだけに彼の意識の本筋は変えられず、その言い分は、見えない部分でのみ真実に基づいた、論拠の乏しい中途半端な無罪主張となり、結果的に、自分の所業を自覚していないかのような腹立たしいものとなっています。
わずかに存在する美咲による実害の根拠を挙げるなら、フェンスイベントの際、彼女は「悪いことをしたのは『私の方』、藤井君に『嫌な思いさせてた』から」と自分を省みます。それに対し冬弥は「そんなことは…」と一応打ち消す様子を見せますが、続けて独白では「ない、とは言えない」と、不快な気持ちを負わされていたことを明確に示します。さらに続けて「でもそれは彼女に悪意があったからではなく、好意ゆえで」と語ります。話の進行上、直近の行動パターン、美咲が冬弥を避けていることについて語っているようにも一見思えますが、あの忌避行動は好意からの態度とはとても思えず、美咲が心から困って嫌がっていることは明白です。明らかな拒否を好意の裏返しだと傲慢に勘違いできるほど、冬弥は自己を過信した人間ではありません。美咲を追い回すことで「嫌な思いをさせている」のはもっぱら「冬弥の方」で、その構図は彼自身、正しく認識できているはずです。では先の文言は何を意味しているのか?改めて状況を整理してみると、冬弥が美咲を熱心かつ執拗に探し回った末に彼女を追いつめているのではなく、ふと気付いたらいつの間にか美咲が射程内にいるという形でほぼ一貫しています。そして冬弥から声をかけることで初めて、美咲は逃げ惑い彼を避ける行動を取ります。つまり冬弥が「追う」というアクションをする「前」から、美咲は圏内に「いる」んです。これはどういうことかと考えれば、答えは一つです。冬弥が気付かなくても、美咲はそこにいるということです。そして、冬弥に気付かれたことが気まずくて、自分の所業を知られた羞恥のあまり身の置き場がなくて、逃げてしまうということです。これならば、冬弥の言及する「好意からの迷惑行為」として十分に成り立ちます。「好き」だから冬弥を追尾する美咲ですが、反面、それを見とがめた冬弥に追及されるのは「嫌」なんです。今までの冬弥は物陰にひそむ美咲に気付いていても見ぬふりを通していましたが、美咲編の進行につれ、彼女を表に引きずり出すべく、反射的に反応を示すようになります。そのため美咲側でも冬弥側の状況把握を知るに至りました。これまで彼に気付かれていないと信じて安心して追ってきたのに、とうに気付かれていたとなれば、それがいつからかも判らず、顔から火が出る思いです。そして、過去をさかのぼり、長い経過ひっくるめて、美咲は冬弥に「嫌な思いをさせてきた」と、今になって恥じ入っているという訳です。
美咲のつきまとい行為については、美咲本人も対象の冬弥も、そういった系統の色味があると両者各々で認識し、それぞれ否定しようのない加害/被害の自覚を確実に持った上で、普段はあえて「無いこと」として目をそらし/目をつぶり、話としてテーブルに上げない暗黙のルールとなっています。円滑な人間関係の維持のためには黙っておく方が都合が良いのです。現に冬弥は、独白では美咲に不快な現場を強いられてきた本音を明確にしますが、口頭では彼女をフォローし、特に嫌な思いはしていないと表明します。「美咲という人間自体を嫌っている」とまではいかないものの「美咲の陰での行動に困りはて、嫌がっている」部分は確かにあり、それでも直接には「言わない」、表に「出さない」のが冬弥内部のルールです。言語化したら事実として確定してしまうので、それはなるべく避けて、問題を棚上げしておきたいのです。指摘も何もしなければ、ただ穏やかに親しい知り合いのままでいられますから。そして美咲の方も、冬弥を「人知れず想う」ことが大前提で、こちらも「言わない」「出さない」が厳正なルールです。その、事情を隠そうとする制限がかえって美咲のこそこそ感を強め、狙われる冬弥はより一層美咲に不信を抱くという悪循環になっています。
美咲編で描かれる人間関係の形とは、相手持ちの身でありながら別の女性にも抗えぬ魅力を感じ、目移りして好きな対象が定まらないやらどうこうの、恋愛至上観あふれる軟弱なメロドラマ的内容に見えて実質そうではなく、一般的に恋愛模様と言われるような関係図とはまったく根底からかけ離れた異質の問題が本筋です。長期の粘着に悩まされ、徐々に退路を狭められて追いつめられていき、ついには屈して受け入れる以外に道がなくなるという典型的サイコホラーです。あれよという間に包囲網から逃げのびる機会と手段を着実に削られ、顔面に押しつけられたたった一つの餌を、否応なく自ら選ばされていく話です。バレンタインの「来ちゃった」感なんて、めちゃくちゃ恐怖を覚える接近展開です。それ系の重たい女の類型手口と、手足をもぐようにしてにじり寄る状況進行を、段階を追って刻々と描ききったシナリオとして、かなり秀逸なものだと評価できると思います。煮えきらない恋愛ものとしてではなく、真性のサスペンスものとしての価値こそが美咲編の意義だと思えてなりません。
美咲編への批判として、物事の積み重ねがすっ飛ばされ、十分に説明がなされないまま強引に話が進められている、とよく言われますが、説明不足な脚本上の欠陥というよりは、わざとそういう作りにして違和感を誘発し、考えさせる仕様なのだと思います。おかしい展開は、そのまま「おかしい展開」として受け止められるよう、おかしさを「おかしいまま」にして描かれていると考えられます。なぜこんな「明らかにおかしい」ことが「当たり前」になっているのか?なぜそんな論理展開になるのか?その疑問を追求した先に、美咲編の本題があります。目につかない所で、人知れず美咲のモーションに困り果て、圧が長らく蓄積していること、これが基盤であり発端です。冬弥の頭にだけあって、読み手に向けては表示されない欠けた空欄の中身、その見えない前提条件を自力で解き明かさせるのを狙いとした構成なのだと思います。そうした作りに関連した話として、彰というミステリ好きを通して、実際の執筆過程として物語を展開する難しさが取り上げられることがあります。とりわけミステリにおいては、筆者の視点と読者の視点の両方を踏まえ、認識範囲に制限を設け、段階的に話を進めていく構成が重要で「馬鹿正直な彰では、ミステリ形式の小説を構築、展開するのは難しいだろう(意訳)」と、冬弥の語りを通して皮肉られています。このようにミステリにはうるさそうなシナリオさんが、状況説明の欠乏という明らかな構造上の穴をそのままにしておくとは思えません。ノウハウを、本人がテクニックとして実際に作品に十分に反映できているかはともかく、少なくともその辺の情報配分に関しては十分に意識できるはずです。自分で読み返して判るでしょ、美咲編の流れがぶつ切り状態で不自然に連なっていることは。批判は想定内なのだと思います。「判らなかったら別にいいです」くらいの気持ちで、こだわりの伏線をびっちり張りめぐらしながら、それを解読するかどうか、またどこまで解読するかは全部読み手の自由に任せ、てんで回収しないままに放置しているのだと思います。作品の完成度としてどうなのよとは思いますが、その隠蔽手腕こそが、おそらくは渾身のこだわりで作品の肝なので、そこは絶対に外せないんだと思います。
冬弥が美咲に手を出した際、直前に美咲お手製のお菓子を食べていることから、冬弥は彼女に何か一服盛られているのかもしれません。かといって美咲がそこまで悪意のある行動を取るとは考えにくいので、香りづけにでも入れたアルコールが、理性を飛ばす媚薬として、冬弥に異常に作用したのではと考えます。だから中盤での酔っぱらい絡まれイベントで、冬弥にアルコールが入っていると勘違いした美咲は、彼が理性を失うことをおそれ、慌てて悶着の仲裁に入ったのではないでしょうか。でないとあのイベントの存在意義が謎ですからね。初回のアルコール投与はお試しで本腰ではなかったでしょうけど、二度目は確実に狙って添加していると思います。ただ、欲情した冬弥が二回とも美咲製菓子を食べていると思っていましたが、二度目の何かは持ちこまれているだけで実際には食べていませんでしたね、すみません。考えてみれば、それはそうですよね、二度目も「酒酔い」状態?でだったら「意志」にならないですもんね。展開上、冬弥が「しらふで決断した」という「本気」が必要なんですね。でも、冬弥側の心境の提示として状況的に疑惑のブツに手がつけられないまま話が進み、異物混入およびその効果のほどが連なって確定しない事実はそれはそれとして、差し入れを渡す時の美咲の態度がやたら動転していること、それなのに「『絶対に』もらってほしい」と異常に強く望みを訴え出ること、そして予防線なのか、ためらい傷のように自分の卑怯さをことさらに吹聴することを踏まえると、あれはやはり何か曰くつきの代物なのだと考えます。私としては自説は取り下げず、やはり酒(もしくは何らかの高揚作用を起こすもの)は入っているものとして話を進めたいと思います。
美咲は酒が飲めないらしいですが、自分が飲めない酒と人に盛る酒とはまた別です。酒に弱い身で人を酒で陥れるのならば、より悪質と言えます。冒頭の選択で生まれ月(星座?)を変えられる冬弥ですが、先頭の項目だけを選択していったデフォルトでは3月(弥生)末生まれで、作中ではぎりぎり未成年として設定されているのだと思います。冬弥はまた、作中では誕生日を迎えない彰について「二十歳」と提示することがあり、19歳でもざっくり20歳と表現しているみたいです。よって、冬弥が自身について20歳とか20年とか言っていても、必ずしも数字通りとは限らないということです。そして20歳を超えていなければ、真面目に法令を守って彼は酒に手を出しません。だから飲酒の習慣がなく、普段はその作用が未知のままなのだと思います。逼迫した現状が冬弥にアルコールの影響を強くしたのか、元々冬弥が虎なのかは判りません。普段、猫かぶってるから酒入ると虎になるのもあながち的外れではなさそうです。酒で豹変するなんて困った主人公です。普段色々抑圧してますし、タガが外れると怖い典型です。数滴でこれなら飲んだらどうなるやら。将来、酒乱で面倒を起こさないといいですけど。
あと美咲への疑念の追加として、手作りの怖さというか、酒以外に、愛ゆえに何か変なものも入れられている可能性もありますが、あまり考えたくないし、彼女の良心を信じることにします。邪気のない彰の普通ケーキと違って、想いをこめた美咲は腕によりをかけて凝ったものを作っていそうで、どうしてもほの暗いものを感じてしまいますが、別に毒ではないので良しとしましょう。作中で美咲は異様なまでに、冬弥の気を引こうとした自分の行いを責めますが、それが、過度な優しさのため負う必要のない気苦労を過剰に背負いこんでしまっているだけなのか、策としてこれ見よがしの自虐で冬弥に当てつけの圧をかけているのか、それとも何か実際に裏でやましい企みをしている後ろめたさから来る順当な反省なのか、当の美咲の言動がどうにもはっきりしないので判別がつきません。いくら内省的な性格とはいえ、何の理由も妥当性もなしに、むやみに自分を悪者扱いしないと思いますけどね。後述しますが、冬弥が心の奥底では美咲の見てくれ/見せかけの優しさに惑わされず、あんまり信用できなくて心を開くに至らないのは、そういうとこだと思います。湿気高くて不審です。ただの言いがかりで、全然まったく何もしていない可能性も一応ありますが、やっぱりどこかしら怖いです。他、冬弥のアパートに来た際、高確率で、家庭的アピールなのか何なのか、冬弥が知らないうちに頼みもしない部屋の片付けをしている所なんかも怖いです。冬弥は基本綺麗好きで、そこまで部屋を散らかしている訳ではないので特に片付けの必要はないにもかかわらず、わざわざ探りを入れ部屋を改めようとするその意図を考えると本当に怖いです。美咲に疑念を持ちながらも、あえて指摘しないで済ます心境の平坦さから見て、そんな感じで美咲の不審行動を見逃すのは、冬弥にとってごくありふれた日常茶飯事なのだと思います。頻発するから、いちいち気にしてもきりがなく、もう諦め半分です。
冬弥のデフォ誕生月が3月ならば、もう春です。なのにあえて冬を冠した名前が付けられているのは、単純にその年の冬が明けるのが遅かったのか、母の出産前である冬の時間が長く続けば良かったとの願いをこめてなのか、よく判りません。藤井母が死後も、すれ違いで生まれた冬弥を胎内に抱いて見守っている、いつも側にいるという意味で、父の愛をこめた「明けない冬」なのかもしれません。藤井父の登場は間接的で一回限りなので、その思考パターンは読めません。まあ特に何も考えないで適当に名付けたのかもしれませんけど。
冬弥の暴走が終わるめどですが、失われた3年半の記憶が由綺の記憶で置き換わるリミットが2月末なので、それを越えたら落ち着くだろうと思います。ですがそれを知っているのは、現状はるかだけなんですね。さすがに美咲でも、冬弥の中でどの程度の期間の記憶が抜け落ちているかは知りえません。だからはるかのフォローを得る前は、本当に先の見えない状態で冬弥の異常に付き合っていたと思います。終盤ははるかの介入によって、2月末を越せば元の冬弥に戻るだろうということが通達されると思うので、美咲はそれまで必死に耐えることになります。「どうしてこうなったのか、理由を自分の中に探しても、冬弥の中には『無い』から原因は見つからない。それよりも美咲さんのこと考えて(意訳)」というはるかの誘導の元、鶴の一声で、冬弥は美咲を第一に考える方向にシフトします。澤倉美咲、すなわち、さくら咲く。エピローグにて、美咲と共に終わりのない冬を乗り越えた冬弥は、ようやく桜の季節を迎えることになります。