弥生5


表層上、弥生は生粋の同性愛者で、かつ人心の理解できない危ない女としてとらえられていますが、自身のはったりを元に揶揄されるなら、望むところな訳です。まあ同性愛の経験も、空気が読めないおかしな人というのも事実は事実としてありますが。一方で、身も心も捧げた過去の恋愛など、本当のことを元にああだこうだと言われるのはばつが悪い。また下手にはるかとの関係がバレて、彼女に非難と邪推が及ぶのは避けたい。はるかの差し金だと誤認されてはならない。由綺をおとりに出してでも、はるかだけはたとえ読み手の妄想の中ででも汚させたくない。だからか、明確な形で素性を明かすことはありません。これだけ生死を強烈に意識したネーミングされてて、故人とは関係ありませんと言っても白々しいですけどね。真相に到達し、WAにおいて、はるかが作品全体に関わる実質的な真のメインヒロイン、ひいては最強の反則札・ジョーカーとして存在すると確定した時点で、弥生編もまた、由綺ではなくはるかを中心とした物語が描かれているはずで、話を逆算していくと、クライマックスで触れられた彼氏の存在に行き着きます。彼氏は弥生にぞっこんだったようだし、弥生もパネルで想い出にこだわっており未練があるようなのに、なぜ別れたのか不思議だったのですが、死別というやむにやまれぬ事情があったということです。弥生の方もベタ惚れだったのではないでしょうか。お互いそうそう波長の合う人に出会えるとは思えませんしね。


自分の学生時代について弥生は「特に面白くもなかった、特につらいこともなかった、特に何も感じなかった」と連打します。息継ぎもそこそこにめちゃ早口でまくし立ててそう。はい、嘘八百です。喜びも悲しみも、学生時代の想い出はその中の限られた彼との時間に全部凝縮されており、弥生の学生時代というのは、彼と過ごした平坦で多感な日常がそのすべてです。たとえば「キスしていい?」とか、さらっとむず痒いやりとりをしていたかもしれません。冬弥とだと終始変な空気ですが、彼となら変な前提もないので、弥生も無表情に喜んで対応していたでしょう。はるかが冬弥の説教を喜ぶことから、兄も弥生に叱られるのを好んでいた可能性もあります。睦まじくしていたのではないでしょうか。はるかが冬弥にするように、兄も弥生に対し、説教を誘ってだらだらしてたんじゃないかと思うと、みっともない一面を晒すようで、孤高なイメージが台無しですが、真実なんてそんなものです。


河島兄とは別件で、弥生の彼氏もまた数年前に死んでいるという可能性もありますが、これだけ条件が揃いすぎているのに、二つを別個の独立した要素と考えるのは無理があります。限られたシナリオの中、設定を無駄に散らかすことはできないはずですし。ともあれ、作中で本当のことを明かせば、情状酌量されて、多少は弥生のイメージアップに繋がりそうなのですが、本人そんなの気にもしなさそうです。まあ「男嫌いで由綺命の弥生さんでこそ」というファンにとってはかなりの裏切りですけど。別に男に興味がないのではなく、単に理想が高すぎて他の相手は考えられないだけです。昔の男とのただ一夜を引きずる男依存のだめな人、しかも年下男を世話したい系という恥ずかしさです。言っても世話好きなのは別に隠していないし、相手は猫なので勝手にするからそんなに手はかかりませんが。ロボットめいた外見とすました態度により、弥生は見た目とても非情な人に感じられますが、実際は情に厚く心根の熱い人なのだと思います。仏頂面でかなり損してます。基本WAという作品は、核心に近い人物ほど自分のことを黙っているという特色があります。確かシナリオさんのお気に入りキャラがはるかと弥生だったはずで、真実を知った時点で初めて魅力が発動するように作られているのかもしれません。弥生の恋模様とか、あまり興味を引きそうにないことがこみいった話になっていて、需要と供給が噛み合っていません。他のどのキャラよりも無駄に物語性があって優遇されています。


作品内のピースは限られているため、ひょっとしたら弥生の初めての人って河島兄なんじゃないかと早々に頭をよぎることもなくはないです。ですが、冬弥の語る兄像があまりにも老成しすぎているため、弥生の「年下の相手」という条件にそぐわない気がして、可能性を除外してしまいがちです。しかし冬弥が兄に対し年齢的な錯覚を起こしているであろうことは、兄の項目で述べた通りです。また、あくまで冬弥目線の人物像ではあれど、河島兄という心身ともに完全無欠な青年と、これまた弥生の言い方の問題ではあれど、相手として軽んじられていた感が釣り合わない気がします。さらに冬弥の主観的な見解が挟まれるので、いよいよ弥生に袖にされこけにされていた印象となり、どこか冬弥寄りの情けない人物像を思い描いてしまいがちで、彼が河島兄であるという可能性は一層遠ざかります。なるほど弥生は本当に男性に興味がないのだなとか、その割には体を許しているし彼女の気位から考えても訳判らないとか、一転、弥生がその後、女性しか相手にしなくなったのは、何か性的にひどいことでもされたんじゃないかとか、思考が渦巻き、憶測や疑問が尽きません。けれど、彼が河島兄であると仮定して事柄と順番を整理すれば、真相は思いのほか単純です。彼が死んだから歯車が狂ってしまったのです。それにしても誤解を招くひどい言い草ですが、彼も弥生の性格はよく判っているだろうし、本人もはるかみたいな性格でしょうから、さして気を悪くすることなく「弥生さんがまたあんなこと言ってる」と笑ってると思います。弥生の発言直後の現場の空気を見るに、ちょっとは傷ついてるみたいだけど。話を戻します。先にも述べた通り、彼に身を捧げたという弥生の意識から、純粋な愛情によって関係に至ったことは確かで、その気持ちは今も変わらないだろうと推測されます。平静を装っている弥生ですが、彼への想いを偽ることはできず、言葉の端々にボロが出ています。また冬弥との関係において、弥生は男性の体に不慣れとはいえ、特に嫌悪感や忌避感を見せることなく淡々とことをこなすことから、初めての彼からひどいことをされたという疑念も打ち消されます。


項目の序盤でも触れましたが、結ばれた後に弥生が彼の死に直面したことで、前後の温度差が著しいことになっています。事故死直前の最期の想い出が、よりによって、そういう熱っぽいことだったので、彼の熱い体温を思い返したくて、言い方はあれですけど、弥生は色惚けした状態になってしまいました。なんてことしてくれたんだと兄に言いたいですが、我慢しろと言うにも、それは恋人たちの都合と感情の問題なので、むげに非難できません。多分「記念日覚えるのめんどくさい」とかで、記念追加と想い出強化のためにも誕生日合わせにでもしたんだと想像します。それはそうと、彼の死後の弥生の代償行為/自傷行為が突拍子もない方向に行ったので少しややこしくなっています。彼が確かに生きていたという実感、また弥生自身が今も生きているという実感がほしくて、他人と肌を合わせることを求めましたが、他の男性を相手にすることなどできるはずもなく、消去法で女性と寝ることを選びました。それでも、女性に対しても弥生は一貫して抱く側で、抱かれる立場ではなかったようです。女性たちとは常習的に寝乱れていたはずなのに、全然使いこまれていない状態ですから。


失った温度を取り戻し、壊れた心を修復すべく迷走する弥生ですが、あの性格がここ最近だけのものであろうはずもなく、彼女は生来、どこか欠落して壊れた人なのだと思います。そんな弥生が、彼とのささやかな交流で癒され、完全に心を開ききった矢先、最悪のタイミングでぶっ壊されたので、彼女は二重に壊れている訳です。とはいえ彼は、弥生に消えない爪痕を残すために悪意でかばったのではなく、むしろ善意、というかとっさの判断で悠長に考えていられなかったと思います。それでも弥生を残して逝くことになるので、それこそ「こんなはずじゃなかったのにね、ごめんね、さよなら」といった具合でしょう。すべてが完璧すぎて、弥生が彼を忘れられないのも致し方ないことです。設定が隠されているのが勿体ないくらいです。まあ兄の設定が表面化すると、冬弥の主人公としての価値がいよいよ軽くなるので仕方ないでしょう。


弥生はあくまで兄のヒロインであって、冬弥のために用意されたヒロインの一人ではありません。冬弥とはひそかな同志という関係で、保護者にも準じ、ある意味ではただの恋愛ヒロインよりも位置づけは重いかもしれません。裏コンセプトとしては、寡婦となった兄嫁とねんごろになるという、表の常軌を逸した不条理さに対して比較的ベタで鉄板な上級者向けシナリオです。冬弥は何も知りませんが、弥生は少なからずそういう感覚でいると思います。正式には兄でも嫁でもありませんが。「弥生さんは一体、俺のことをどんな風に考えてるんですか?」「…申し上げにくい質問ですわね…(きょどる)」あなたのことは弟のように思っております。私を「姉さん」…とお呼びいただいて構いませんよ。…は?何だって?


弥生が、変則的にではあれど一途に貞節を守る中、何で冬弥とは関係を持ってしまうのかが一番の謎です。兄と弥生が恋人同士なのはいいけれど、何でそれで冬弥を襲う展開になるのか皆目見当がつかない。再度説明しますが、弥生の行動は、冬弥とはるかの真相、つまりは忘却の雪に関する事情が大前提となっています。「契約」とは、冬弥とはるかの心に積もる雪への対策に完全に特化したもので、そこに他の理由はありません。冬弥が兄に多少似ているかもしれないことから、わずかに私情も入っていそうですが、それは微々たる要素です。冬弥の繰り出す益体もない雑談をこともなげに振り払いつつ、懐かしの彼と喋っているようで、弥生はああ見えて内心ちょっと嬉しいのかもしれませんが、そんな場合ではないと気を引き締めているでしょう。


弥生の思惑に関しては順番が非常に重要となっており、はるかの真相を突き止めない限り、弥生編の真相は有効化されません。システム上でではなく、解読する上でロックがかかっているのです。弥生は、冬弥と会う前には大抵、はるかと会って下準備しているので、認識できないほどの残り香とはいえ、冬弥はてきめんにはるかの気配に反応します。それをもって、弥生は効率的に雪の除去にあたっています。幽霊が後ろで「そこまでしなくても」と言っても弥生は聞く耳を持ちません。自分が生き残ったのはこのため、はるかと冬弥の現状を何とかするためにこの体を使おうと、弥生は変な使命感に燃えてしまっています。その点、兄では妹のはるかに手出しはできないし、冬弥とは男同士なので欲求解消には不向きです。別に男同士でもいいですけど、両者特にそういう指向はないようなので、選択肢を除外します。まあ兄が死にさえしなければ、冬弥もはるかも根詰めることなく、付随する悲劇も発生していないのですが。兄もつくづく罪作りな人です。


弥生にとって「初めての彼との一夜にも戯れの女性たちとの幾夜にも愛を感じなかったのに、由綺に対しては初めて愛を感じた」のではなく「初めての彼との本気の愛がすべてで、後は全部その支流」です。背景を知れば「何の感情も、何の愛情も感じませんでした」との突き放した断言が、愛と絶望という両極端な強い感情を白く塗り潰して無痛化するための苦しまぎれだと判ります。弥生は過去、彼を忘れようとして女性との夜に臨みましたが、身体的な性差や心情的な温度差により、彼との一夜がかえって強調され、唯一のものとして余計忘れられません。弥生さん馬鹿なの?彼女が天然でどつぼにはまっているのか、思い知るためにわざとやっているのかは判りませんが。「やはりあなたでなくては」と苦悶していた矢先、弥生は由綺と出会い、彼女を故人の妹であるはるかになぞらえることで気をそらすことに成功しました。さらに時を経て、真打ちであるはるか本人との再会によって、長らく封じていた温度ある感情が甦ります。亡き彼に生き写しということもさることながら、現在凍える運命にありながらも、微笑みを絶やさず気丈に自分の温度を保ち続けるはるかに、弥生は惹かれ、心を強くゆさぶられます。表面上、はるかは夢を手放し挫折していますが、その人間性の輝きはあの頃と何一つ変わっていません。むしろ、苦境に置かれることで、より磨きがかかっています。そして弥生は自他の性別を限定することなく「自分に残された感情はすべて彼女に捧げる」と心に決めます。これまでの女性との無為な営みも、はるかを愛する境地に至るまでのステップだったのだと思えばけっして無駄ではありません。こうして故人への愛は妹のはるかへ向けて引き継がれて弥生の生きる支えとなり、また取り戻した温度が弥生に生きている実感を与えてくれます。弥生の発する台詞の上で渦中の人となっているのは由綺なのですが、彼女には弥生の生き方をどうこうする影響力はありません。覚悟の告白がまさか偽証だなんて普通思いませんが、真相解明の仕組みは二段重ねになっています。弥生編の真髄は、テキストにはまったく挙がらない、シナリオ裏での河島兄妹との繋がりがすべてなのです。


弥生が、その口述通りに初めての相手にまったく何も感じなかったのか、それとも「本当は本気で」彼を愛していたのか、真実は何も判りません。ただ、弥生が初めて受け入れたのは彼だったという確かな事実と、彼との別れを境に変調をきたしたという明らかな時系列が語られるだけです。そして、その彼を河島兄と仮定して自説を展開してきましたが、それもまた何の証拠もありません。ただ、その仮定を元に昔話を構築するとして、そこにさしたる破綻が生じないというだけです。けれど、何の気なしに当てはめて、普通に辻褄が合い、何の矛盾も出てこないってすごいことですよね。まるで初めからそこにあったパーツがまるごと欠けてしまった跡のような一致ぶりです。弥生から欠けたパーツを、仮に歯車にたとえるとしましょう。現在、弥生の中には一応、ちゃんと彼という形の歯車も存在します。でも本来の場所で機能しているのではありません。本来は弥生の中で中核となるメインの歯車なのに、隅に追いやられ、他の歯車と関連づけられることもなく単独で空回っています。それを組み直して、全部をあるべき配置に戻すと、彼という歯車がスムーズに回るのはもちろん、連動する弥生の中の歯車のすべてが正常に動き出します。しばしば精密機械にたとえられる弥生ですが、面白いことに、すべての歯車が正常に回り始めた時点で、弥生は逆に機械ではなくなります。というのも、心臓部が作動し始めることで心の裏付けが生じ、人間らしい情感を持った、熱のある人物となるからです。彼との邂逅により、弥生はぬくもりの欠けた機械から血の通った人間へと生まれ変わり、また彼が心に存在することで、彼を亡くした今もなお弥生は潜在的に繊細でとめどない人間味を持っています。


作中では冬弥の主観語りが邪魔をして、弥生の感情は「無い」ものとして扱われるため、弥生はそのまま無感情な人物と見なされていますが、弥生の詳細を知った状態で、余計な主観の入らない簡潔な描写だけを拾って彼女の様子を振り返ってみると、振れ幅自体はかすかであるものの、結構感情豊かというか、喜怒哀楽をかなりあからさまに表に出していることが判ります。あれで割と頻繁に笑顔を見せているようですし、気に食わないと露骨に不機嫌になります。そして弥生の取りつく島もない態度には、本当に興味がなくて切り捨てる場合と、心をえぐる話題に対する防衛反応で感情的に拒絶する場合があります。起伏が0か1かなので、見た目はどちらもほぼ無表情で違いが判りませんが、無か有かなので、ま、慣れたら何となく判るようになります。こと恋愛話とスポーツ話となると、無視して話をすり替えたりきっぱり強めに興味ないと言い張ったり、話を続けさせません。傷口をピンポイントでいじられたくないんです。えー、こんなに判りやすすぎていいんでしょうか、全然本音隠せてないじゃないですか。精密機械?どこが?確かに感情処理は二進法ですけど、ど直球過ぎて大人げない人です。また嘘をつき慣れていないのか、本当に下手です。幸い、あの独特な論理的口調で相手の疑問を封じ、なおかつ感情の動きが表情に出にくいため大概スルーされますが、話の筋を冷静にたどると、一部逆行する流れで普通に真実を暴露してしまっています。一応頑張って嘘をついていますが、性根が常に真っ向勝負な人なので心の中でまで自分を偽ることはできていません。つまり、いつぞや英二が語っている人物像が弥生の真実の姿だったということです。弥生の性質に限らず、WAという作品全体の原則として、大々的に語られるいつもの論調と根本から食い違う正反対の要素が単発で出てきた場合、その貴重な希少情報の方が真実を示しています。


声付き作品のレビューを探っても「弥生の演技が感極まっていた」という話は特に見聞きしません。弥生の声優さんはすごく正直な方のようで、弥生の真設定を知っていたら、演技を抑えきれず荒ぶってしまうと思うので、多分何も知らされていないんじゃないでしょうか。淡々と演じようとしてもつい手持ちの情報に影響されて激情が吹き出た場合、それは弥生の中身そのものではあるけれど、反対に、大部分を占める外側のイメージにはそぐわなくなります。特に感情移入することなく仕事の一つとして事務的に演じる方が力みが入らず、弥生を演じるにはちょうどいい熱量だと思います。いや実際の所は知りませんよ?ちゃんと真設定を知らされた上で、あえて無機質な演技をと要求され、それに見事応えておられるのかもしれません。プロですし、箝口令が敷かれていたらそこには触れないでしょう。


歯車の話に戻ります。彼という歯車も兄という歯車も、弥生の中で作動する上での機能は同じですが「彼=兄」という前提を組みこむことで汎用扱いから特注化します。そしてさらに、はるかの部品を元に兄の歯車の内部を復元すると、兄という歯車自体の中の歯車も順調に回り始めます。相手の眉間のしわを指で触れてほぐしたりとか、慣れてないから達するのが早くて恥じらってそうとか、本筋に関わる重要な要素だけでなく、そういう知る必要のないどうだっていい細部の要素まで、はるかの仕草を当てはめることで面白いくらいに弥生の態度や証言と噛み合い、兄の歯車は生き生きと回り出します。まるで純正部品のように何の問題もなくなめらかに一致して回転します。全部ひっくるめていとおしいエピソードで、弥生の血肉となっています。そこにいるのは、人間味を削ぎ落とし心身を磨き上げた完全無欠の理想のスーパースターではなく、抜けた所、欠けた所もいくらかあるただの一人の青年です。だからこそ噛み合う歯車として活きてきます。対する弥生もけっして精巧に作られた味気ない自動人形などではなく、出来損ないで、至らない人間味を秘めたただの一人の女性です。可愛いお上手を言えない人なので、多分、相手を責める意味でなく、自分の落ち度の自己申告として真っ正直に「感じませんでした」と不機嫌にやらかしたんだと思います。あちゃー。何事もなければ、嬉し恥ずかし初体験で笑い話になっていたはずが、悲劇に見舞われ、すげない態度で彼を傷つけたかもしれないことを悔やんでも後の祭りです。でも別に気に病まなくてもいいんじゃないですか?破れ鍋に綴じ蓋というか、欠陥同士がしっくりくることも含めて最高の相性なのではないでしょうか。「これからいっぱい練習しようね」と、冷めてるんだか恥ずかしいんだかな調子狂うとぼけたことを言ったかもしれません。以降の改善はもう望めませんが、ことは記憶に刻まれ、体が体を覚えてしまって忘れられないと思います。シーンが実際にテキストになっていれば、冬弥との寒々とした密会よりよっぽどむずむず身悶えする、読みごたえのある描写になっていたでしょうけど、あくまでこぼれ話で、語り手指定に難があるし、既に過ぎ去った過去に過ぎないので、そこはご想像にお任せしますというおあずけ仕様のようです。


弥生の、崇高な目的のためなら手を汚すこともいとわない無情な烈女という一面と、愛する人の弟妹のために(冬弥は実弟ではないけれど)身を投げ出す慈悲深い「姉」の一面は、別枠で同時存在します。感情面は異なりますが、表裏一体で、結局は同じことです。固い節操観念を曲げてでも尽くすべきもののためなら何だってします。愛する彼への操と、彼が愛する弟妹の救済とで、どちらを優先するかです。彼が愛する弥生を弥生自身が大事にするかどうかは、彼女の自己評価への無関心から、重要視されません。これはもう価値観の問題です。再度の交わりの際に「無理させたね、ごめん」という理解と気遣いさえあれば、すべての汚れ仕事が報われ、浄化されます。そのただ一言でときめき、満たされ「いいえ、あなた方のためならいくらでも」となる訳です。愛のあり方は人それぞれで、当人たちにしか判らないものです。言葉通りに由綺を対象にしているのではなかったというだけで、捨て身の姿勢は基本変わりません。


弥生は言葉にはしないし、冬弥には実情がまったく判らないけれど、弥生がはるかだけではなく冬弥のこともまた思いやってくれていることは、冬弥の並外れた共感能力によって心の芯の部分でちゃんと感じ取れるはずです。最愛のはるかを苦しめる原因が冬弥であることから、通常、弥生は彼にそれはきつく接しますが、彼もまた不幸な運命の犠牲者とも言え、それに対する温情から、言葉少なにいたわる様子も見せます。身を置く状況を理解していない冬弥をなだめすかし包容するのは、さながらむずかる幼い弟をあやす感覚でしょう。冬弥が心ならずも弥生に惹かれていくのは、そういった水面下での確かな下地があり、弥生の真心を無意識に受け取っているからです。失ったものを愛する者同士、はるかという無二の存在を愛する者同士、仮に真実を取り戻せるならば、最も理解しあえる相手なのではないでしょうか。まあ互いに譲らず衝突することもあるかもしれませんが。体だけの関係で心は一切伴っていないようにしか見えませんが、作中で一番、冬弥の心の欠けた状態に寄り添ってくれているのは弥生なのだと思います。


弥生ははるかと同じで、感情の出方が壊滅的なだけで、内なる情操面自体は豊かすぎるくらいです。ありあまる母性をうまく表現できない不器用な人です。冬弥は、この手の人の気持ちを読み取ることに関しては、普通の人よりかなり優れています。幼少期からずっと河島兄妹の不可解さに触れてきていますからね。現状では弥生をよく知らない人だと思っているので、普通の一般感覚を適用して彼女を理解不能としていますが、河島兄妹と似た系統の出力状態だと知れば、それに応じた感受性に切り替わるので、その感情を読むことはそう難しいことではないと思います。ことあるごとにすっとぼけるはるかと違って弥生はそこまでトリッキーではなく、駆け引きというものもほとんど用いないので、そういう面ではよっぽど判りやすいかもしれません。作中では人見知りして弥生と距離を置いている冬弥ですが、彼女が河島兄妹寄りの人だと知ったら途端に図々しくなるんじゃないでしょうか。といっても弥生が冬弥に弱点を突かれるというヘマをするとは思えないので、そうした展開になりうるのはごくごく限られた条件下のみとなりそうです。