親しい友人関係は非常に狭い範囲に限られる冬弥ですが、彼は基本的に誰にでも友好的なので、通常の人間関係には特に問題はないようです。たまに「俺結構もてる」みたいなことを内心で吹聴しますが、多分これは言葉通りの自慢ではなく、手軽で便利に使われやすいことを自覚しての自虐だと察しますけれども。何にせよ人当たりはとても良いです。一方由綺はというと、高校時代、どうも周囲との間に軋轢があったことがほのめかされており、またそれが冬弥との交際を境に改善されたかのような時系列描写がされています。当時から今に至るまで、冬弥は人間同士の緩衝材としての役割を果たしていたと考えられます。かつての由綺はおそらく、学校で決められた委員等の仕事を軽んじては私事を優先させるという身勝手を日頃から押し通しており、そのため周りから嫌われていた。そんな中、ひょんなことから由綺は冬弥と付き合うことになり、都合のいいお手伝いを手に入れた。そして冬弥が由綺の「穴埋め」という形でその都度不備のフォローに回ったため、由綺が周囲に迷惑をかけることも減り、見かけの上で由綺と周囲が衝突することはなくなった。そして冬弥はそれとなく間に入ることで由綺と周囲の人間関係そのものをも取り持った。由綺本人にその意思があるかはさておき、由綺の謝罪を真摯に伝え、説明不足な彼女についての誤解?を解くことで、冬弥は周囲のわだかまりを緩和させた。冬弥はああいう性格なので、深刻な意味合いでの「俺が由綺を助けてやった」みたいな、これ見よがしで押しつけがましい自己アピールはせず実際には何一つ語りませんが、大体そんな経緯ではないかと思います。
作中でも冬弥は何かと埋め合わせをすることにこだわります。冬弥が由綺の抜けた穴をカバーし「由綺係」としてあてがわれることで、常に迷惑千万な由綺の気任せへの対処は彼がまとめて担当することになり、周囲としてはいい厄介払いになります。WAの世界観はそこまで悪意に満ちた人はいない幸せな環境らしく、特に損害を受けない限り、それでもなお由綺を嫌い、非難し続けるといった意地悪をすることはありません。内々で問題が解消され、自分たちに悪影響というしわ寄せが及ばないなら、それはそれでいいんです。皆にとって冬弥の存在はありがたいのです。だから一貫して彼らの交際に誰も文句を言いません。まず恋人ではなく召使いと認識されているというのが現実だと思います。それでも一応、改めて立場を保証するなら、何かと無能だと軽く見られがちな冬弥ですが、自分の能力に自覚がなくまったく自己主張しないだけ、役割が遊撃的で価値基準が一定でないだけで、意外と役に立っています。個々は大したことない役割でも、高頻度・広範囲・多岐にわたり快くカバーするので、正味の貢献度は高く、かなり有用です。冬弥でなくてはならない役割は一つもありませんが、冬弥ほど要求に柔軟に対応しようとする人はいません。無理な要求に応えても、間に合わせなだけに相応の対価も評価も得られないというのに、特に不平も言わず使い勝手が良いです。不可欠な存在ではありませんが、現状欠けている穴を塞ぐという点で、その時点でいないと事態が滞る存在です。必須部品としての頭数には入っていませんが、予備とか潤滑油とかそういう意味で、いてくれる方が周りの助けになるのです。ですがまあ、基本、持ち場は由綺の尻ぬぐいです。
一方で、由綺にしてみれば、冬弥はまさに「私を逆境から救い出してくれた王子様」で、由綺の語る「冬弥君」が異常に美化されているのも無理ないことと思います。作中ではほとんど高校時代の話が語られない冬弥と由綺ですが、直接的な文章になっていないのは仕様で、WAのパズルゲームとしての特性から、作中に無造作に散らばる無数のヒントを元に、ある程度の経緯は間接的な形でちゃんと割り出せるように作られているのだと思います。それがヒントだと開示されていないのでそうと気付きにくいだけで、ヒント自体は随所に十分にあります。冬弥の人間的魅力という作品価値に関わる根本的な要素を読み手が自力で割り出さなきゃならないという丸投げっぷりに、冬弥の魅力なんか別に気付けなくても話は進むしどうでもいいやとこっちも放り投げたくなりますが、冬弥の個性強化の意味でも謎解きした方が物語に深みが出るので、我慢して推察してみた次第です。しかし、冬弥の長所が明らかになるのと由綺の長所が損なわれるのはほぼ同時進行になるので、由綺に夢を見ていたい人はあえて冬弥を知らないままでいた方がいいかもしれません。冬弥と由綺、どちらもが良い面でいることはできないのです。どうせ冬弥はどのみち浮気主人公なんだし、無理にイメージ改善する必要はないと思います。
現在まで続く幸運の始まりとなった「王子様」の冬弥に捨てられでもしたら相当な心の痛手になるのではと思いきや、由綺はつけ上がる人なので、自分の立場が好条件に確立した状態で時が経つにつれ、初期の恩義は薄れ、自分にかしずく冬弥は「従者」の扱いに格下げとなり、由綺自身が高位な立場の「お姫様」にすり替わっています。さらには、今や由綺は冬弥がいなくても、冬弥のいない所でも「お姫様」待遇を受けているので、特に「王子様」による手助けや後押しは必要ありません。冬弥としては、自分しかいないと思っていた由綺が、自分がいなくても何の問題もなくやっていけていることに寂しさを感じますが、由綺にとっては、冬弥も他の助力者も何もかも、自分を持ち上げるための一要素に過ぎません。感謝はしますよ。必要は必要です。でも執着はありません。現に、先方の制作会社がもめて企画が頓挫しそうになっても「この撮影はずっとないよ」と気楽なものです。自分との関連が途切れる時点で後はどうでもいいからです。それぞれが、由綺が必要とした時にたまたまそこに存在した必需品だったというだけです。自分に、今、必要か、その三点のみです。
さて、由綺内部の愛着の内訳はともかく、下手に情けをかけて彼女を虜にした罪な冬弥ですが、そもそも彼は、由綺の孤独な姿にはるかを映し見たために何かと干渉し始めたのだと思われます。しかし冬弥ははるか本体の人間関係に干渉することはほとんどありません。現時点でも、はるかはあまり人と関わることなく孤独に過ごしています。そしてそれを冬弥は容認しています。これは、そんな厭世的な性格とは裏腹に、はるかは割と円滑に人間関係をこなせているからだと考えます。身勝手ゆえに周囲を怒らせ孤立していた由綺と違い、はるかは別に不義理をすることもなく、何かあった時には普通に協力的なので、特に周囲との不和はないのだと思われます。そういう訳で冬弥の出る幕は特にないのです。ですが由綺という人物には、実際に「排斥」という深刻な状況がありました。冬弥ははるかを彷彿とさせる彼女がのけ者にされ、寂しそうにしているのを捨て置けず、何かと世話を焼き始めたのでしょう。とりわけ記憶喪失直後なので「彼女の力になりたい」という願望ばかりが先に立ち、彼女が「彼女」だという確認が取れないまま由綺に尽くすことを心に決め、恋に落ちたのだと思います。そして皮肉なことに、オリジナルであるはるかと比べて由綺は格段に要求が多いため、冬弥としては必要とされている実感を得やすく、報酬系を刺激された喜びで率先して由綺への献身を繰り返している状態なのだと思います。
言うなればダミーとしての由綺は、何を言わんとしているか全然意味判らないはるかが、とても判りやすい言葉と態度で自己表現してくれるようになったようなもので、冬弥としては無駄な労力を割かなくてもそのまま「彼女」の考えを受け取れるので、非常に楽です。とはいえ、はるかの意図を考えることは謎解きものである当作品の中核であり、一番面白い所なので、一概に無駄とは言えません。その無駄なやりとりこそが絆を深める交流で、それによって生まれる認識と理解が二人を繋ぎます。たとえその読みが合っていなかったとしても、相互の歩み寄りは確かなものです。対する由綺ですが、彼女の要望を知るには最適な態度ですけど、彼女の愛情を量るには不備があります。その言葉を把握するのに特につまることがないので、受け取り側で考える必要がなく、往々にして一方的な投げかけとなります。そして耳当たりが良く甘いことしか言わないので確かに気分は良いですが、はたして中身が伴っているかというと、大きな疑問符がつきます。何の努力もなしに楽して得られるうまみにろくなものがないのは世の常です。目先の幸せという見え見えの餌に飛びついて、そのまま醒めない幻に溺れている冬弥の姿は滑稽で哀れです。でも彼がそれで幸せならそれでもいいんじゃないでしょうか。もっとも冬弥が心の奥底で現状に疑問を抱き始めたからこそ、由綺への気持ちがゆらいでいると思われ、幻はそろそろ消えかかっているのだと思います。はるかとの混同による幻だけでなく、性善説による由綺そのものへの過大評価という幻の方も。通常ED後、目が覚めたであろう冬弥が由綺との交際を考え直すのか、それとも、真実を知ってもなお義務感で彼女と付き合い続ける道を選ぶのか、それは作品内で描かれることではないので判りません。
気ままなはるかのペースに合わせることと、由綺のわがままを聞き入れ従うことは、根本的な中身は違えど、表面上の流れはそこまで変わらないので、冬弥が特に違和感を覚えることはありません。かたや単なる巻きこみで楽しみの共有、かたや完全な搾取で利は由綺側にしかありませんが、冬弥としては「彼女」に振り回されることは何よりも幸せなことです。ともあれ二人の感覚の違いは顕著です。はるかは「私は楽しいけど、冬弥はどう?」程度の、相手の意に任せる軽い感覚ですが、由綺は「私が嬉しいことは冬弥君も嬉しいでしょ?」と同調を当然とするかなり強めの意識です。言ってしまえば「私のためなら冬弥君、嬉しいでしょ?」という押しつけです。それが言葉の上ではなぜか「冬弥君が喜んでくれたら私も嬉しいな」と順序が逆になるので、冬弥は言葉を真に受け、のぼせます。正確には「由綺のためになることを、冬弥が喜んでくれたら、由綺も嬉しい」ってことですが、肝心な所が省かれているので、依然、由綺の健気イメージは強固なままです。そしてまた由綺は故意で冬弥を翻弄しているのではなく、言いたいことだけ言いっぱなしの生粋の天然で、冬弥が勝手に浮かれて信じこんでいるだけなので、由綺方面から足がつくことは基本的にありません。由綺の言動に、少しでも見栄による故意の仕込みがあったなら、とりわけ作為に敏感な冬弥は即刻気付いて敬遠するはずの所、由綺の心にはまったく邪念はなく赤裸々で、言動にも色づけはないので、逆に冬弥は完全に由綺の内面を信用しきって太鼓判を押している状態です。冬弥には隠れた邪念の有無は察知できても、見えない真心の有無は確認できないので、由綺の本質は冬弥の眼識を透過し、彼は真実を見抜くことはできません。由綺相手に限り節穴になります。すれ違いも何も、初めから噛み合っておらず、意思の疎通が成り立っていなかったということです。マナに言わせれば「男ってほんとバカ」です。美咲編のマナイベントで、マナに「どっちかというと女の人にだまされて泣く方」と評される冬弥ですが、まったくその通りだと思います。先行して「女の人を泣かせるキャラじゃない」とも断言するマナですが、美咲編突入後という冬弥悪行状態にあってなお、あえてそのように表現されているのは大変興味深いです。本来は裏切りだとか強迫だとかそんな大層な加害行動ができるやつじゃなく、ひたすら他人軸で信じこみやすい、いい餌食な男です。
破局後、実際に由綺自身の口から上記のような押しつけへの自覚意識が明確に語られるのは、自分を非のある悪者に仕立てることで冬弥の罪悪感を軽くしようとしてくれる由綺の優しさの表れのように見えますが、全然そんなことはなく、特に自分を下げる意味で言っているのではないと思います。先にも触れましたが、由綺がそう言っているということは、それが事実だからそのまま事実を残らず言っているだけで、自分の意識を少しもゆがめることなくただ率直にそのまま口にしているだけです。由綺を信じていたいのは山々ですが、彼女の本当の姿を受け止めてあげる方が彼女のためにも良いと思います。冬弥が黙っている(気付いていない)ことで由綺の魅力が担保されている一面もありますが、真実の方が、話として、他にない特徴を持つ魅力的なヒロイン像として面白い気がします。
話はそれますが、由綺がステージ上でこけたことを「演出」「わざと」と言っているのは、あれは見苦しいごまかしでも何でもなく、正真正銘本当の話だと思います。英二の指示による、由綺のキャラを強調するあえてのドジっ子演出です。さらに英二は由綺が真実を気軽に暴露する可能性をも念頭に入れており、あえて口止めしていません。正直に事実を明かす由綺は、事実を言っているにもかかわらず、傍目にバレバレな嘘をついちゃう可愛い人物、つまり嘘のつけない正直で愛すべき人物に映ります。普通は皆さん、誰でもそう受け取るんじゃないですか?英二はそんな風に、正直者という由綺自身の生来の魅力を、トラップ込みで最大限に演出しています。あざとい仕草はあくまで英二の作為であって、由綺は狙いを知らず、ただ英二の指示に忠実に従っているだけなので、まったくの無心です。自分を可愛く見せようという嫌らしい算段はありません。一生懸命こけることに全力を注ぐので余計なためらいがなく、派手にこけてもかえってわざとらしさはありません。由綺はぶりっ子ともまったく違う、常に素のまま、あのまんまの飾らない人物で、一切嘘がないのです。
由綺の今後の展望についてですが、彼女は自分の幸せはファンの幸せでもあると信じているので、随意であれば普通に恋人の存在を明かして皆にも応援してもらいたがると思います。それは皆を喜ばせたい純粋な善意です。由綺には自覚がないので、それが自分の芸能人生にどんな影響を及ぼすか考えもしません。でもそこは事務所で口止めされているのか、暴露する気配はありません。口止めさえきちんとしていれば、由綺は必ずそれを守るので、どんなに言いたくてうずうずしても言うことはありません。けれど由綺の言動一つ一つに向けて逐一禁止事項を指示している訳ではないので、ふとした発言が思わぬ落とし穴になったり、制限もれした自由行動がそのまま命取りになったりすることもありそうです。緒方プロダクションは常に危ない橋を渡っています。英二はそれも含めて楽しんでいそうですが、偽装工作には回数にも範囲にも程度にも限度があり、由綺の賞味期限は多く見積もってもそんなに長くはなく、期間限定、サドンデスと言えそうです。当の由綺は、自覚のなさにもかかわらずやる気だけは満々で、ずっと仕事は続けていきたいようですから、その辺のすり合わせがどうなるかといった所です。このように、アイドルとしてもヒロインとしても完全にアウトで論外な特性を持つ人物が、その特性が見えにくいことによる奇跡的なバランスで、欠点がないのが唯一の欠点の、模範的なアイドル/ヒロインの鑑として立派に大役を果たしている点で、WAはとても独自性のある物語です。本人は何一つ欺くことなくただそのままでいるだけで、優良イメージの固定と保持をほしいままにしているのだから、すごいことだと思います。由綺はアイドルですから、虚構で人をだましてなんぼの存在です。期待される性質が実際にはなかったとしても、皆をだましおおせていればそれでいいんです。むしろ実質がないことで、逆に、由綺のアイドルとしての粉飾の才能をこれでもかと裏打ちしていることになります。「ヒロインがアイドルである」という設定には、物語上、外すことのできない重要な意味があったのです。
由綺編は、芸能人としての由綺と普段の由綺との、虚像と実像のギャップを埋めることが最大のテーマだと思われがちですが、実は、冬弥が思い描いている普段の由綺像自体がそもそも虚像だった、という笑えないどんでん返しの舞台裏です。由綺が芸能人だというのにらしくもなく地味で控えめで庶民的というのは、単に冬弥がそう偏ってとらえているだけで、別に由綺は、華やかな舞台に立つにあたって内気な自分を奮い立たせ無理をしているという訳ではありません。彼女は自分大好きで常に自分自分と露骨にアピールしますし、スポットライトを浴びる現場にいるのも彼女たっての希望です。恐縮の態度すらもあからさまに見せつけ、遠慮も思いきり気兼ねいっぱい、とにかく自分のあり方と思いの丈を外部に晒したいのです。確かに普通の女の子としてしょうもないありふれた時間を自由に満喫することも好きですが、アイドルとしてきらびやかに活躍し、皆にもてはやされるのも当たり前に好きです。由綺の好みにみみっちさと派手さの区別がないだけで、由綺が好めば、見映えの区別なくそれが由綺の好みなだけです。それは、煮しめたようなセーターに、目にも強烈な派手派手真っ赤コートを平然と羽織っている実際のセンスからも明らかです。そして由綺は他人から見られたい一方で他人の目を気にしません。由綺の意識として「見られている」という快感がほしいだけで、相手の意識として「どう思われているか」は気にしません。自分の感覚や価値観が大事なのであって、他人の評価は関係ないのです。それがちょうど、名誉を少しも求めない無欲さに見えてしまいます。今をときめくアイドルなのに本人は状況に反して栄華を望んでいない、という。冬弥はそんな思いこみで、由綺の虚像と実像は違うと言って、わざわざ不必要に切り離して考えていますが、別に由綺はアイドルとしての自分の立場を分不相応だと戸惑いを感じている訳ではなく、また目の前に広がる輝かしい上昇階段を望んでいない訳でもありません。由綺自体には芸能人としての自分と普段の自分に取り立てて違いはなく、いつでもそのまま、自分の目標に向けて、やるべきことをやりたいようにひたすらやるだけのことです。由綺が由綺のままアイドルで居続けることに、先行き不安や自他に嘘をつく苦悩など、ネガティブな感情を抱えているというのは、全部全部冬弥の思い過ごしです。クライマックスでは由綺はただ、自分の希望に沿わない展開に直面し、思い通りにならない不満で癇癪を起こしているだけです。
冬弥の金銭事情について。「色々バイトはしてるけど、その分、出費も多い」「しかも、どうでもいいことに使ってしまう」と冬弥は言います。でもですよ、どう考えても冬弥がまともに自分に金をあてているようには思えないのです。あの殺風景な自室を見ても、必要最低限の生活臭しかせず、万年金欠ゆえにそれこそ清貧に暮らしているようです。そんな彼が一体何にそんなに金を使っているのか?おそらくは由綺の喜ぶ顔見たさに彼女にひたすら金をつぎこんでいるのだと思います、自分の生活をなげうって。由綺が冬弥に何かをねだってくるとしても、大部分はそこまで値の張るものではなく実にしょぼいものばかりなので「まあいっか、これくらいなら」と冬弥は大目に見ます。そして実際には頻繁な消費であっても少額ゆえに意識に残っておらず、その都度「たまにはね」と大目に見ます。しかしながら由綺本人には質素と贅沢の区別はなく、またその金額で冬弥への態度が変わる訳ではありません。由綺が場合によっては地味で安価なものでも好むのを指して、冬弥はひとからげに「由綺は質素好み」だと思いこんでいますが、一方で派手で高価なものでも、由綺が好めばそれが好みです。ものの価値は由綺によって決められます。価値や価格にかかわらず由綺が好めばそれが由綺好みです。そして勘違いしている冬弥は「由綺は普段質素にしているから、たまには贅沢したって罰は当たらない」といった思考で由綺の示すままに金を使います。そういう訳で日頃からの頻繁な小さい浪費に加え、定期的にめぐってくる大散財が響いて、冬弥は常に懐事情が厳しいのです。
それはそうと、はるかも時として目ん玉飛び出る買い物をして平気でいます。そう、あの高級メーカーの自転車です。でも「ロゴ塗り潰そう」と言っていることから見栄で手に入れた訳ではなく、普段の姿から考えても特に派手好きの浪費家という訳でもありません。普段いたって質素でいますが、本当に欲しいものには金に糸目をつけない気前の良さを持っています。使いどころを選んで賢く金を使っているのです。良質であればものの価格は気にしないはるかと、自分が良いと思えばものの価値・価格は関係ない由綺、両者は全然別物ですが、諸要素がこんがらがってごっちゃになります。ただでさえ二人を混同している冬弥には、二人の金銭感覚の違いに見分けがつきません。はるかの性質を基準に、由綺についても「彼女が欲しがったのならそれはよっぽど欲しかったもので、良いものなんだ」と納得してしまいます。そして、はるかは価格にかかわらず自分で勝手に買うだけで冬弥を巻きこみませんが、由綺は価格にかかわらず無駄なものでも何でも冬弥に買わせます。否、由綺が物欲しそうにしていたら冬弥が勝手に気を回して買い与えるので、正確には由綺がねだったのではありません。欲しいものをもらえて嬉しさひとしおですが、別に頼んだつもりはありません。由綺の笑顔見たさに金を使うのはあくまで冬弥自身が望んだことです。由綺がちょっと興味を示しさえすれば冬弥は進んで動いて願望を満たしてくれるので本当にいいカモです。先が思いやられます。このままで大丈夫なのでしょうか?何より冬弥には現実が見えておらず、被害感覚も危機意識もありませんからね。冬弥が由綺と付き合い続けることには破滅の未来しか見えません。もっとも、由綺は甘い汁をすすりきって万々歳、破滅するのは冬弥だけです。冬弥はそれでも本望なのかもしれませんが、恋愛(しかも幻の)で身を滅ぼすなんて洒落にならず、笑い話にもなりません。
由綺との実際のショッピングとして、アクセサリーを見にいくというものがありますが、これほど冬弥の金銭感覚と金づるぶりが顕著に出ている例はないと思います。由綺に褒められた冬弥はいい気分になって、ついアクセサリーを買ってしまいます。普段アクセサリーなんか使う習慣もないのに、勢いでいくつかまとめて買ってしまう乗せられぶり。冬弥の独白でリプレイされている由綺の台詞「すごく似合うー」がいかにも棒読みっぽいのがまた何とも。この回はたまたま冬弥が使うものを買う展開ではありますが、また別の機会には、由綺の欲しがるものをその口車に乗って片っ端から買い揃える展開も当たり前に想像でき、むしろそっちの方が比率としては多いのではと思います。「わぁありがとう、すごく嬉しいー」、心のこもっていないデート詐欺の現場そのものです。締めくくりに、その日一日を振り返った冬弥が「普通のデート『みたい』だ」と語っているのはつまり、本人も内心ではそのデートが「普通じゃない」と薄々感付いているんじゃなかろうかと察します。
ホワイトデーのお返しの要望伺いとして、冬弥は由綺に「車でもヨットでも、何でも好きなものをプレゼントする」と大口叩きます。どう考えたって、実現不可能を前提とした大ぼらという冗談でしかないのは明らかなのですが、由綺は「そこまではいいよお」と言います。「そこまでは」です。冬弥が由綺のために大枚はたいてせっせと貢ぐこと自体には特に遠慮はなく、そのまま当然の申し出として受けており、ただの冗談として笑い流してはいません。冬弥が本気でそれらを買おうとしているのだと、由綺もまた本気で思っています。由綺の中で、冬弥が大金を使うという心づけは普通に確約なのです。ただし一応は、車はともかくヨットなんかはスケールが大きすぎて「自分の手に余って困る」ので「そこまではいらない」と言っているのです。何もかもが、由綺基準ではじき出された返答です。
はるかのサイクリングイベント経由の由綺とのデートイベントで、スポーツショップを見て回るというものがあります。専門店での豪華陳列で目の保養をした帰り道、由綺ははるか所有の高級自転車を「私も買おうかな」と言い出します。やはり、本人が欲しいと思ったなら高額云々は関係なく無思慮に欲しいみたいで、また、その欲しいという感情も特別な思い入れや目的がある訳ではなく、その時の気分でまったくの思いつきのようです。はるかは実際、かねてから欲しいと思って得た自転車をこよなく愛用しまくってしっかり使いこんでいるから、それは価値ある買い物で別にいいんですよ。でも由綺は使うあてもないのにそんなの買ってどうすんの?まあまあ、それはただの冗談で、単に「いいなあ」と思った感情を購買意欲という形に誇張して何となく言っているだけでしょう…、と思ったら、改めて「サイクリングは夏になったら(行こう)、(自転車は)それまでに買おうね」と由綺は言います。本気だったのか。たかだかその回サイクリングを楽しむためだけにたっかい自転車買うってこと?しかも「買おうね」って何?人を購入に巻きこむその言い方、何?冬弥も買わないといけないの?てか、それ冬弥が金を出す想定ってこと?由綺の持つ青写真がすごく気になるものの、何のつっかえもなくさらっと話は流れ、冬弥はそのまま普通に約束させられます。どこまでが約束の指定範囲なのかと思うと。由綺がその約束を当たり前に確定事項として自分の中で決定しているかと思うと。ぞっとしますね。宿主が生きている限り、所定の取り分として養分を吸えるだけ吸いつくす寄生ぶりに血の気が引きます。冬弥は今すぐにでも逃げた方がいいと思います。
プレイヤー視点の嫁評価項目として、はるかは金遣い荒いからそういう確かな立場に定め置くには不適格、その点由綺は控えめな倹約家だから安心して将来をともにできる、なんてイメージだけで考えるのは大きな誤算です。イメージなだけですからね。実際手堅い金銭感覚で、締める所は締めるはるかには着実な計画性が見込まれますが、一方由綺はとんだ金食い虫で、その要求増大も規則性なしに際限がなく、お先が知れません。多分、無邪気全開で「パンがなければケーキを」思考の持ち主です。ただ、ちょっとそこで「私は別にそんなにいいケーキじゃなくてもいいんだ…(しおらしい目配せ)」の断りが入るだけで。うわーだめ押しの要求。何だこの意地悪なひっかけ問題。見るからに安心安全で堅実な間違いない安牌が、逆に極悪最低条件・高リスクの超地雷だなんて。ここでも大差が出る二人の正妻指数に唸るほかありません。妻力マイナスの由綺が正妻ポジションに収まっている限り、確実に死亡(比喩)です。由綺とは離れた方が、絶対冬弥にとって救いある道だと思います。