補足23


美咲愛人枠私論。伴侶に向いている女性となると断然美咲を推挙するという人もいますが、多分それはプレイヤー個人が美咲を「自分の」理想のお嫁さんタイプと認識しているだけで、美咲が実際に作品内で任ぜられている役割とはズレがあると思います。どっちかっていうと…本質的にはその…最終破綻濃厚の「向いてない」タイプだと思います。申し上げづらいことですが、美咲と関係を深めていくのは「プレイヤー」じゃなくて「冬弥」なんですよ。冬弥が美咲をどう位置づけるかだけが視点として有効であって、プレイヤー関与の場は、美咲に対する冬弥の素行をどう思うかの一角でしか持たされていません。プレイヤーはプレイヤーの感覚で美咲を攻略することはできないのです。


美咲については、「プレイヤーが」真剣で末長い愛情を向けられるにふさわしい人物ととらえている(場合もある)だけで、当事者の冬弥にとってはまったくそうではありません。ED分岐の最後の選択肢、美咲に対して本気かどうか、彰に問われます。彰ED選択肢で冬弥ははっきり「美咲さんに、俺が何を本気になるっていうんだよ」と言います。美咲編の真実はこのたった一言に尽きます。これが美咲編全域をめぐるすべての前提です。どうして「本気じゃない」なんて簡単に言えてしまうのか?それが本音だからです。正確には「簡単に言える」のではなく、今の今まで往生際悪く正視を避けてきて、確定に抗ってきた忌むべき本音であっても、それが口をついて出てしまう決定的瞬間が訪れるのはことのほか「あっけない」ということです。自爆とはそういうものです。


いやいや「本気でない」というのはあくまで「誤った選択肢」だからこそのあえての「ハズレ展開」で、本線の美咲EDに繋がる「本気だよ」選択肢の方が冬弥の本音として正統な公式なのでは?少なくとも「本気だよ」と言っている方の冬弥の本音は本気も本気のはず…って?そんな訳ある訳ないです。分岐に至るまでの冬弥の心理は人物として共通です。「本気だよ」と「何を本気に…」のどちらが本音なのかなんて、比べれば一目瞭然じゃないですか。前者は確実に建前です。建前の方が綺麗な言い分になるのは必然です。苦しまぎれに言い通す綺麗ごとと、意図せずうっかり口を滑らせたアウトな失言とで、どちらが真実を示しているかなど説明するまでもない話です。彰にしらを切りたいにしろ他にも言いようはあったはずなのに他の言い方をしなかったというのは、そこまで考えが及ばなかったということ、素で持つ考えだけがそのまま出たということです。


美咲ED選択肢では、真剣な彰を前にもはや言い逃れはできないということで、冬弥はそれまでの美咲との経緯に対するけじめとして、気持ちはなかったにしろ出来事そのものをなかったことにはできないので、責任を取るため本音を切り捨てて、「本気だよ」と、美咲の立場を引き上げ固める決断をします。本気「ということにして」自分の心情を強制的に誠意側に引っぱります。状況的に「本気じゃなかった」では済まない問題ですから。それでは彰に通用しません。冬弥の本音は問われていない、そこは何を置いても「本気だ」と嘘でも宣誓しなければならない場面です。でなければ美咲との今後も含め、事態に示しがつきません。本当に思っていることをそのまま本当に口に出してはいけない、言ってはならない本音は発言として許されない、そういう場面です。言わない決まり、言ったら人として終わりなんです。その「終わってる」ザマがもう一方の彰EDです。望むと望まざるとにかかわらずここまで泥沼化した現状では、腹をくくって美咲に決めて、その選択相応の裁きを受ける以外に道はありません。


冬弥は、恋人がいる状態ありきで美咲との関係に進むのだから、そこに立場上の確約はありません。美咲を正当な対象として相手しているのではなく「間に合わせ」で関係しているのはほぼ確定的です。表面上は、好きになってしまったからにはたとえ罪でもその恋は止められないという筋で進行する美咲編ですが、本当は美咲への恋心からして弁解の建前に過ぎず全然事実ではないという真相があります。本気の相手ではなく言うなればそれ一時用の「愛人」で、正式に連れ添うだけの思い入れはありません。以後形容上の観点から、あくまで概念としての意味合いで「愛人」という語句を用いることにします。けっして不道徳を煽る意味、尊厳を傷つける意図での用途ではないことご了承下さい。


恋愛ゲームとして美咲を攻略していて、その結論が「別に美咲のことを好きではない」に行き着くというのは、まあ、まっとうな感覚では受け入れがたいド腐れシナリオです。ただ、そこで基本に立ち返るに、WAは元々スタンダードな恋愛ゲームではない訳ですよ。とりわけ美咲との情事は初めから「間違ったこと」という明確な前提のもとで展開する話です。徹底して「過ち」の物語、まったく正当性のないルートとして置かれている訳です。美咲編は、絶対踏みこんではならない禁断コースがあえて一ルートとして現界したものです。「間違いは結局間違いでしかない」というあらかじめ定められた結論に向けて、状況が煮詰められていきます。間違った道を選別選択していくとその挙句にはこうなるよ、という最悪の結末が描かれているのであって、美咲との恋愛が美談として肯定されている訳ではないことは明らかです。「美咲編に進まない」というのが美咲との関係においては唯一絶対の正解なのです。


美咲と関係を深めることの何が間違いとなるのか?これがまた、火種は単一ではなく色々あるのですよ。まず、冬弥には初動で由綺という公式の恋人がいます。その関係図は真相的には大したウェイトを占めていないただの展示用設定ですが、表向きには一応メインの問題です。何も知らない人にとっては表面上で言われている設定だけがすべてです。恋人がいる身で他の女性に手をつけるなんて不道徳は世間的に許されることではありません。


本人に自覚があるかはともかく、冬弥は美咲を「愛人」として位置づけています。その言葉として認識していなくても、その待遇が明らかに「その待遇」の典型的な形態であることは否めません。どこをどう切り取っても美咲は生粋の「愛人」で、それ以外の何者でもありません。構造上、人物がそういう「設定」で置かれていて、冬弥にとっての美咲はもう「愛人役」というキャラ特性で存在しているキャラなのです。


とはいえ、冬弥というのは元来「愛人を作る」といった大それた不品行などとてもできる人間ではありません。不道徳を「あり」とするような退廃した価値観など、元々の冬弥はけっして持ってはいません。由綺への誠意云々以前に、冬弥自体が極度に潔癖かつ自戒的です。どうでもいい軽度の不行き届きですらやたら自分を責めて落ちこむような人が、明らかな破戒を犯して平気でいられるはずがない、本来ならそんなこと初めから可能性レベルで視野に入れるはずもないのです。


作品認識として一般的に、コンセプトとして外すことのできない浮気展開が冬弥の人間性を見定める第一要素とされているため、そこだけを切り取って冬弥をくず認定しがちです。ですがシナリオはあくまでドラマ仕立てに「波乱した」展開です。そういった「常時から外れた」シナリオ展開を主流ととらえていては、本来はまったく不道徳とは無縁な清潔な人格だということが冬弥認識として入ってきません。非常な展開は、いつもの平和な人間性ありきでの、事態極まる異例の事態です。だからこそ通常の冬弥を知ることが何よりも重要で、それにはパネルの活用が不可欠です。


世間話は全然無駄要素なんかじゃなく、すごく重要な必須要素です。一見くだらない話を大事にできるか否かが真実に関する大きな分かれ目です。どうでもいい雑多な話の中でふとした発見を積み重ねていくうちに、その人物に特徴的な人間性やら価値観やらが判ってくるんですね。無駄話自体からは大した情報は得られない、けれどもその話をする人物の挙動から得られる情報はとても大きい。話の内容ではなく、話す人の様子を見ることが大事、パネルでは人間観察の場が安定供給されています。積み重ねによって色濃くなる情報というのはそれだけ確証に繋がるもので、その蓄積自体が大事です。蓄積量によって作品把握に差が出てきます。といっても、何も私みたいなとことんプレイヤーみたいにパネル収集に熱中した人でなくても(コツさえ掴めばそこまで手間でもないんですけどね)、適当に流して普通に得られる程度のパネルだけでも十分に冬弥の人間性描写は反復されているので、普通に読んで、普通に受け取っていれば、冬弥がそもそも「女遊びするような人間性を持たない」ことは普通に判ると思います。それ以前の問題、思考ベースがまだまだお子ちゃまなんだよあいつ。パネルでこそ地味に徹底されている根底の世界観の方を異物扱いして、作品内に不要なものとして受け入れ拒否さえしなければ、体感的にすんなり入ってくる本質情報です。少ない手持ちだけでも活用すれば十分に化けると思います。世間に出回っているWA観や冬弥評をもとに先入観を固めてしまっていては、せっかくの本文情報も情報として機能しません。はなから見限ってかからないだけでも理解の幅は全然違ってくると思います。


実際の過失を決定的な根拠として冬弥はくずと認定されていますが、その彼を突き動かす行動原理はどうにもよく判らないとされ、特に追究されないままに放置されてきました。だからこそ「理由もなく」欲と雰囲気だけのはずみで見境を失くすくずの極みと言われたりもするようですが。しかし作中で反復される彼所有の価値観を総合すればするほど、つまり数々の語りを通じて彼自身の一貫性が深まるほど、冬弥という人間が叩かれそうなことに「そもそも近寄ろうとしない」大事に臆病な人柄ということが鮮明になります。何かしらしでかすことで身にはねかえる代償のおそろしさを、常々案じすぎなくらい危惧しているのに、軽はずみに道を誤ってしまえるはずがないのです。つまり、シナリオにおける急展開では「通常の冬弥」では考えられない異常が発生している訳です。本来の彼なら普通はしないはずの行動が、あえて「特別進行上の一展開」として描かれています。


単に心の弱い青年が恋人と会えなくて寂しいからと、その隙間を埋めるために別の女性に手をつけてしまうという単純な陳腐劇ではなく、なんかもう色々…、とにかく色々ありすぎる訳ですよ、冬弥の水面下には。表面上の構図は実質重要ではない、冬弥設定の本質はそこじゃないんです。彼には記憶喪失という隠し設定があり、隠し設定なのにそれが作品本題で、その隠し設定こそが発端となってややこしい問題が生じます。本人無自覚ですが、冬弥には病状上の要因により、意識に破損があることが疑われます。記憶喪失による精神負荷は、普通の人では経験しようがないのでそれは想像するほかありませんが、本当ならドクターストップが入っても全然おかしくない容態にあることは察せます。少なくとも万全な良好状態ではありえません。普段普通に生活するだけなら特に支障はないから、しいて医者にかかることもないのでしょうが、いつどうなるとも知れない爆弾を抱えています。普通の人であればとても普通でいられない障害を、冬弥だから見た目普通にやり過ごせているだけです。あいつ元々おかしいのを擬態で普通にしているのが普通だから。そんな冬弥ですら自分を自分として保っていられなくなった最終地点がまさに美咲編であり、限界まで弱りきっていなければ進むはずのないルートと言っていいでしょう。


美咲編冬弥は正常な判断のもとで動いている訳ではありません。正常に判断できない非常モードにあるからこそのあの異常な行動です。表面上はかろうじて正気に保たれ、何とか自己説明するだけの余力は残されていますが、その説明が説明としてまともに機能していないことは見ての通りです。冬弥内部ではもう完全に参ってしまっています。記憶喪失が原因で人間性が狂っていくのに、本人にはその原因すら特定できず、症状悪化のまま訳も判らず破滅していくしかありません。


ちょっと一緒に時間を過ごしたからって美咲が気になってふらふらなびいて浮気、なんて些細なことで道を踏み外すような冬弥ではありません。冬弥を本来の冬弥でなくさせるほどの、それだけ深刻な事情でもない限り、穏便な彼が破滅型の行動を取るなどまず起こらないことです。そこにきて記憶障害というのは正真正銘の重篤症状で、平常を一瞬にしてひっくり返す因子として相応であり、人が変わっても何もおかしくない話です。


さらには、その記憶喪失の患部がはるかであることが、冬弥を根本から危うくさせます。はるかコンは冬弥の命の命題で、そこは絶対に覆りません。はるか喪失は、冬弥を冬弥でなくさせる最たる要因です。はるかを失ったら冬弥は冬弥でいられなくなるほどに、彼のはるかへの依存は深い。冬弥にとってはるかは生きる上での原点とも言える存在で、それが失われるのは精神的な死にも等しい。冬弥の記憶障害は進行し、はるか完全消失が間近にせまっていくにつれ、同時に冬弥も自分を見失っていきます。普通なら、道に外れた道など絶対に選ばない良識徹底派の冬弥でも、はるか存亡の危機というたった一つの条件で極端におかしくなります。それ一つで一気に制御不能で深刻な混迷をきたします。そんな末期冬弥近辺にたまたま居合わせたことで、美咲は無関係な巻き添えを食らってしまいます。正確には一方的な巻き添えではないのですが、それはまた追って話します。


どうあれ冬弥が美咲に流れる道筋は過ちで、間違ったことです。それは冬弥も承知しており、通常では基本的に美咲をそういう対象として視野に入れることはありません。ところが由綺という恋人がいる公式状態でも、依然美咲は諦めず陰で粘着をやめてくれないのが裏事情です。さらに美咲編では美咲は冬弥が壊れかけていることを確実に知っていてゆさぶりをかけており、それを不安定な身で受ける冬弥はどう考えても分が悪いです。美咲から、いわば挑発を受ける形で冬弥は受け入れ状況に追いこまれていきます。


内部で進行する記憶障害は末期段階で、神経が摩耗しきった冬弥は限界です。人格としてとても持ちこたえられない崖っぷちです。そんな藁にもすがりたい状態の冬弥の急所を、藁持った美咲がそぉ~っとためらいながらツンツンしてくる訳ですよ。美咲さん!!??さすがの冬弥ももう本気のマジギレ寸前。でも選択の余地はないから仕方なしにありがたくその差し出された藁をひったくって美咲を巻きこむことにします。当然その藁は非常に脆いので命綱にはなりえずあっけなくちぎれます。しかも藁越しに引っぱられてよろけた美咲が冬弥側になだれてきます。ぜったいわざとだ…。結局冬弥は美咲という新たな荷重を負った上で、堕ちていきます。これぞ美咲さんムーブ、サイテーすぎてサイコーっすなあ。


かくして冬弥は、持ち前の清浄な基本信条を追いやって、美咲を「愛人」相当で引きこむ方向で動き始めます。本当は愛人など作るべきではない、それは冬弥も当然に判っているし、本人としても愛人関係を望んで得たいとはけっして思わない。そんなの滅相もない。けれども現時点、限界まで憔悴して弱りはてている冬弥にとって、何でもいいからとにかく何らかの内圧分散先がなくてはやっていけません。悠長にしている暇はなく、それは今必要なんです。そして折しも美咲は「そのつもり」で向こうから再三作為をかけてきます。相手としてこれほどにうってつけな相手はいません。冬弥は、進行する喪失感で壊れていく心の注意をそらすため、その間一時だけの相手として、臨時前提で美咲を利用することになります。


美咲が好きだから彼女を求めた?これだけ重い裏事情を持つ冬弥がたったそれきりのきっかけで動くはずがないです。これだけ重い裏事情だからこそ、それが行動に影響しないはずがなく、ほぼ確実に裏事情が起因して動いているでしょう。その上で、美咲による囲いこみは渡りに船です。冬弥は美咲を特別好きではありませんが、相手の釣りに従って、利用できる分にはありがたく利用します。美咲の方でも、自分の身の丈はそれだけと多分に承知の上です。そうした、空虚ないわゆる愛人関係というあり方を、相互そういう暗黙の認識共有の上で選択しています。


ただし本来の冬弥にとって、真心の伴わない性関係というモデルは断固としてダメ絶対な価値観です。冬弥の倫理ではそれは確実に悪であって、そんな不埒を自分の行動として受け入れることはできません。けれども当座、その枠を設けて気をそらしてやり過ごすほかに負担を軽減する方法はありません。そうでもしないととても今現在を維持できず、もはやそうするしかないのです。自分の信条に反することを自ら選択せざるを得ないジレンマが生じます。


なので、不当の中でも可能な限りの正当性を掲げるために、冬弥は自己欺瞞に走ります。美咲への認識は明らかに立場の低い「愛人」想定だけれども、そういった、冬弥基準で汚らわしい思想は自分の所存として認められません。そうではなく、美咲を求めるのは「真剣な恋」によるものだとねじ曲げることで、少なくとも「汚れた意図」を持つ自分からは目をそらすことができます。不実の方向性が変わるだけで結局のところ不実は不実に違いないのですが、とりあえず冬弥はそういう方針を取っているということです。


事実、美咲編において冬弥は「美咲が好き」を全面に出して言い訳を展開します。随時「美咲を好きになった気持ちはごまかせない、自分に嘘はつけない」といった筋の理由をつけて美咲との関係が進むのを正当化します。しかし、その言い訳自体が嘘なのです。「美咲との情事」の正当化を図っているように見えて、その前段階としてまず先に「美咲への扱い」の正当化を図っているのが本当の主旨です。体裁的な外向けの言い訳ではなく、一身上の内向けの言い訳です。美咲を好きな「ことにしておかないと」、彼女への低い扱いは冬弥本人の倫理に反します。浮気をどう美化するか以前に、不浄な真意をもみ消し、自分の規制ラインを通過できるか否かが大事なのです。基づく理想は清いけど、結果的に下衆な実態に行き着くのは結局変わりなく、やっていることは二重にひどいです。汚れた行いに身をやつすとしても心まで汚れたとは認めたくないって、そんな偽善は通らないと思います。


美咲の待遇は、言うなれば弥生の申し出る「契約」内容と中身は一緒です。心の伴わない一時的な処理関係と言いますか。あの場合も冬弥は価値観的に至極不本意で、全然納得がいかないけれども、訳判らない長文論法で強制的に丸めこまれる上、幽霊が強力に干渉してくるので受け入れざるを得ません。絶対の力関係が重ねがけで効いてくるため、たとえ良心では承服しかねても冬弥に拒否権はありません。