補足22


はるかのように、冬弥がなんかしたらなんかでお返ししてくれるというのはあくまで希少でかけがえのない理想中の理想関係であって、本来冬弥みたいな利他特化のお人好しはただでさえいいように食い物にされる一方な訳で、とりわけ利己特化の由綺相手ではなおさら食い潰されるだけ食い潰されて少しも顧みられることはありません。冬弥の自己犠牲的な愛のあり方は、それが相思相愛、呼応の思いやりの形でたっぷり還元される「はるかとの間でのみ」恒久的に成り立つ関係なんです。はるかは俺を絶対裏切らないという長期の信用のもと、それが繰り越されて由綺も絶対信じられる、と冬弥は「当然に思いこんでいる」けれど、由綺ははるかではないので何の保証もありません。由綺自体はいたってクソですが、投影されるはるかがあまりにも神すぎて、強力な補正がかかって由綺までやたらすごく素晴らしい存在みたいな錯覚が生じてしまいます。


授受の応酬が慣例化している冬弥はるかですが、かといって、彼らはそれを自分に義務化しているのではありません。あくまでも純粋な善意、純粋な感謝による行動です。相手を大事に思うことに「ねばならない」の強制が含まれてしまうと、彼ら的に、それはもう真に大事に思っていることにはならないのです。大事に「しようと思わない」ことで、やらせでなしに、心から互いに大事に思い合えているのが彼らの関係です。義務感も押しつけもなく、お互いのささやかな好意だけでしっかり自然に成り立っている理想の繋がりは、この二人ならではだと思います。


由綺からは消耗品のような粗末な扱いを受けていても、はるかからは依然継続して大事にされているから、冬弥には絶対的な余裕があります。彼は「常にはるかで満たされている」ので、日々由綺にがしがし身を削り取られても実質的には大した損害にはなりません。はるか補給が膨大すぎて、削られたすぐそばから全回復しちゃうから。ダミーからは愛情を始め得られるものは何一つないけれど、本物から本物の真心がコンスタントに供給されているので冬弥はそうそう飢餓状態にはなりません。「由綺といても」はるかのおかげで飢餓にならない、「由綺といても」はるかがいるから満足というのが本当なのに、結局現場に「由綺もいてしまう」ことで、それが冬弥の中では「由綺といて満足」にすり替わっています。


由綺みたいなのにリソースを浪費しても、元々はるかと積み立ててきた心の貯金からして潤沢なので、地力の高い冬弥はびくともしません。はるか補給が続く限り、由綺から実害を受けても冬弥全体ではなかなかマイナスには至りません。下手にはるか補給があるから、状態が補正されて、由綺の実害は早急の問題として浮上してきません。つまりこのまま由綺といたら後々ヤバいってことに冬弥は気付けないんです。ひたすら損失するだけの由綺との現実を思い知るためにも、一度はるかとの接続を切った方がいいと思うんですけどねー。なのにはるかははるかでそんなのお構いなしに功徳?を積み立てて冬弥をバックアップすることに余念がありません。ありがたいけど現状把握的にそういうスポイル困ります。


はるかが恩恵ばかりもたらしてくれる、ただただ冬弥がいい思いするだけのボロい存在かというとそうではありません。由綺と同じく、はるかも時として冬弥に無茶苦茶強いるって点は、それは確かにそうなんですよ。はるかの場合、冬弥が好きすぎる甘えの一表現でああやって図々しく巻きこんでくるのですがね。そんなはるか付き合いによる慣れで、冬弥は無茶を強いられること自体は特に不快にも不服にも思いません。というか逆に求められる実感を得て喜びます。だからこそその感覚がダミーである由綺への意識にも持ち越され、ひどすぎる搾取関係に変容、慢性化しています。冬弥ははるかによる害のない無茶振りと由綺によるたち悪い無茶振りに見分けがつきません。由綺の方は強圧そのものなのによりによってはるか補正がかかって由綺まで一気に逆転無害判定されてしまいます。


はるかは、冬弥がぶーぶー言ったりげんなりしたり、その反応が楽しくて、ああやって構って無茶強いてきます。はるかは冬弥が好きで、冬弥と一緒にいるのが嬉しくて特別に甘えてああやる。でも由綺は自分のために冬弥を使うだけです。自分のために冬弥君が動いてくれるのが好きで、自分の私利を満たすのに使いよいから彼と一緒にいたがる。由綺はただ自分がしたいことをしたいようにするだけで、その時冬弥がどうかなんてまったく見向きもしません。一緒にいる冬弥はどうでもいい、冬弥と一緒にいること自体は何とも思っていないんです。由綺は「相手に」応じているのではなく、一貫して「自分が」動いているだけです。自分さえ良ければ他はどうでもいいから。素敵で楽しい「私の」時間、それを見ててくれる冬弥君!くらいなものです。冬弥はオーディエンスです。「私にくぎづけな視線」は必要なんです。由綺は「他人に」見られたいというより、「自分が」見られたい人です。「他人の目」が気になるのではなく、ひたすら「自分を見せつける」だけが大事なのです。はるかは冬弥が好きだから彼に甘える、由綺は自分を通したいから人に甘える。全然違います。はるかが冬弥に甘えるのは彼に気を許しているから、由綺が人に甘えるのは自分は許されると思っているから。実際、今の今まで当然に許されてきているので修正しようがありません。相手への安心と自分への慢心、全然違います。


それでもテキスト上、冬弥は「由綺は俺を想ってくれて、一緒にいることを喜んでくれる」「由綺は俺に安心して甘えてくれる」みたいな説明を繰り返すので、読み手はなるほどそうかとそのまま受け取って由綺像を描きがちです。いや、それ、冬弥が言っているだけなんですよ?彼は認知障害です。彼の視界は正常ではありません。冬弥が好きで一緒にいようとしてくれているのはあくまではるかの話で、由綺はけっしてそうではないんです。それでいてはるかの性質は本物で真実だから、それ自体は疑いようもありません。冬弥ははるかに対する絶対の信頼を、誤って別人の由綺につぎこんでいます。何の信頼性もない、信頼に足る人間性も持たないその由綺に。


お互いの尊重の上で、お互い好きにしたり、聞き届けたり、断ったり、特別サービスしてみたりと、はるかとの間ではお互いの自由が保証されています。一見はるかとの関係は、何を差し置いてでも優先すべきと誓うほどにない、重要度の低いものにも感じられますが、その実、けっして誠意に欠ける扱いではありません。本意でないのに無理して合わせるなんてことははるか的には望みでなく、冬弥が彼自身の選択で、望んで同行してくれることこそがはるかの喜びです。自分の意をのませる結果だけがすべてでなく、冬弥が都合で断るならそれでも別にいいのです。冬弥が本人の意向で心より臨むこと、はるかにとってはそれが何よりもの誠意となります。処遇優先の取り決めなどなくても二人の絆は深いのです。


一方で由綺との場合は、彼女の願いを聞き入れることしか冬弥の行動は正解と認められません。これはもう由綺の性格の問題で、要望が通れば大はしゃぎで絡みつき、通らなければひどく残念がる人だから仕方ないのです。承諾はほぼ強制で、冬弥の自己決定は問われていないも同然です。ただ恋愛としてはどうしても、喜ぶにしろ落ちこむにしろそうやって過剰に反応してくれた方が想われている実感は得やすいものです。優先的な恋人対応を取り決めることで、冬弥の行動が縛られてしまうのもまさに恋愛ならではだと思います。恋愛というくくりでは何にせよ、そういうお仕着せ形式こそが愛の極致とされ、それ以上の域には達しません。


はるかは既に、そうした俗な恋愛関係よりも高次元の信頼で冬弥と結びついています。けれども彼女の性格上、反応が薄すぎて特に特別性を感じられません。誘いにのっても「そう」、だめでも「そう」なら、そこまで冬弥を必要としているようには見えません。これも結局、性格の問題でどうしようもないんですよね。はるかとの間で互いに確立している自由採択、そんな、理想的で望ましいあり方が必ずしもウケの良い集客要素になるとは限りません。由綺のように満面の笑顔で感謝感激をあふれさせてくれた方が印象はいいです。でも由綺は欲が通ったことを喜んでいるだけで、初めから冬弥の同意を同意とも思っていません。彼の同意は訊く前から決定事項であり、彼の意向は実質問うておらず、得られた同意に対し謝意も何もあったものではありません。当然のことだから。愛情表現いっぱいの由綺の態度ではあるけれど、そこにそれ相応の豊かな愛情が含まれている訳ではないのです。


由綺は破滅的にやべー自己中設定で構築されています。こんな、指定対象を思うまま貪り荒らしてにっこりできるろくでもない危険生物がよりによって作品最上位のメインヒロインだなんて、世界観としてどうなの?それってヒロイン詐欺じゃない?ってなりますが、その通りですよ。WAは徹底してヒロイン詐欺の作品です。実質由綺は「じゃない方のヒロイン」、仮置きのイミテーションです。作者の理想を最大限につめこまれたWA専売特許の正統なオリジナルメインヒロインはどう考えてもはるかの方です。冬弥の立場が果報に過ぎるのは「アイドルが恋人だから」じゃなくて「はるかが連れだから」です。はるかこそが完全無欠天下無敵の、他に二つとないスーパーレアヒロインで、そのはるかが絶えず伴走してくれるから冬弥はどう転んでも勝ち確なのです。アイドルが恋人なのはむしろ不幸でしかありません。羨むどころか、人として扱われていないのが悲惨すぎて逆に同情します。本当はアイドルだから問題が生じるという話ではなく、単に由綺という特定の人物がヤバいだけなのですが、アイドルになりたがる系女子の傲慢自意識を濃縮した究極例がまさに由綺な訳で、由綺の一例をしてアイドル一般の終着傾向と考えてもさほど差し支えないと思います。


由綺は、優れた本物に限りなく近い優れた偽物ってんじゃなくて、優れた本物とは天地ほどの差があるろくでもない偽物なのに、何でだか優れた本物としての評価を自分のものにしている、ある意味、偽物としてこれ以上になく抜きん出た代物です。まがい物の粗悪品なのにそれが認知されず、なぜか逆に正規で正統な理想像だと絶賛されているという不条理まで含めての精緻なキャラ設定です。エセヒロインというクソ要素こそが由綺最大の特色で、描写手腕の見せどころなんですね。多分シナリオさん、不必要に大真面目なんだと思います。「こういうの適当に作れば勝手に食いつくだろ」系の中身のないご都合な萌えキャラ作りなんて意地でもできなかったのでは。誠心誠意、心をこめてエセヒロインの真髄を描いていると思われます。


由綺は、ヒロイン思考全開のスーパーエセヒロインです。ヒロイン性=陶酔型自己中。とにかく物語の中心になりたがって、何かあるたびに自分の自分たる主張を猛アピールします。由綺は「私、平気!」「私、頑張る!」系の実に昔ヒロイン然としたヒロインとして描写されていますが、あれ、萌え狙いではなく強烈な皮肉だと思います。由綺はとにかく自己中で、自分がこの世のヒロインだと思っています。それも無自覚に。本人意識としてはおこがましくも、自分を自信なくて人に譲ってばかりいる自己主張の苦手な子だと思っています。いわゆるヒロインタイプの定型通りの。自己中に限って自分は努めて自分を押さえこんでいると絶賛自負しているこの自己評価、自覚がないのも含めて始末に負えません。また、とことん冬弥を蔑ろにしている日々の現実にもかかわらず由綺は、それでも本人意識ではいたって本気で、いつもいつでも冬弥君のことを一番大事に想っていると信じきっています。自分が判っていないんです。


徹底自己中な由綺の本質は、女の子の造形としてあるあるですごくリアルだと思います。そういうリアルは求めてないってぶった切られそうですけど。プレイヤーを気持ちよくさせる娯楽ゲームとしては失格ですが、人物像を描きこんだ創作物としては非常にクオリティ高いと思います。ハズレヒロインだから手を抜くなんてことはしないで、大ハズレなハズレヒロインを全力で描写しているようです。由綺のどうしようもないクソ要素は、単なる欠点としてではなく彼女限定の貴重な特性として描かれているのだと思います。性質自体はマイナスでも、キャラクター性としては価値あるもので、言うなればむしろチャームポイントです。ものすっごい個性でしょう?個性の塊です。勘違い女イタ可愛い。少なくとも従来の、ただ可愛いだけで主張のなさそうな空気ヒロインの由綺像よりは光るものがあります。彼女はけっして都合のいい従属ヒロインではなく、自分なりの指針で動く「生きたキャラ」なのです。


それにしても、際立つはるかの賢妻ぶり、対する由綺の悪妻予備軍たるや。冬弥が認知障害を乗り越えて本物はるかを見つけ出せれば、それがそのまま彼の人生としての大当たりです。間違って由綺を選んだ日には冬弥確実に墓場行きです。当たり外れが大きすぎて言葉もありません。はるかだとジョーカーを得ることになりますが、由綺だとババを掴まされることになります。はるかがあまりにも偉大すぎて、これと対比させられる由綺が本当に可哀想になります。


けれども、何も由綺サゲ目的で対比が徹底されているのではなく、冬弥にとって正答か誤答かの話で、はるかと由綺を優劣で描いているのではないと思います。…多分。どちらがいいかはさておき(いや、それは明白なんだけど)、対比しあう性質により両特性が強調されるその構造美がミソなのです。はるかも由綺も、単にそれぞれがそういう特性だという事実があるだけで、特性自体の価値が比較されているのではありません。注力配分は徹底的に公平です。最低ヒロインの由綺ですが、最高ヒロインのはるかを持ち上げるためだけのただの装置ではなく人物像としてすごく詰められたクオリティ高いもので、そこには作者の愛すら感じられます。ヒロインとしては失格だけど、人物造形としてはすごく面白い。由綺は「冬弥の恋人」としては完全に縁切り警告ものですが、その「人間性」そのものが否定されていい訳ではありません。別に由綺は由綺のままでいていいのです。ただ、冬弥からすればこのまま彼女と一緒にいるのはまずいだけで。


由綺との現在は、関係がまだ完全には確定しない「恋人」段階にとどまっているおかげで何とかギリ助かっている状態です。本稿一貫して主張していますが、「由綺とはなるはやで縁を切ることこそ最善策、大本線の大正解」というのがWA全体通しての最終結論だと思います。別れないと将来的に冬弥、ボロボロにされてなお延々搾り続けられ、人として当たり前の自己優先すら許されず、彼個人での私的な採択に不必要に罪悪感を負わされるのは確実です。由綺はそういうモンスター彼女なのです。構わず付き合い続けるのも一つの解ではありますが、由綺との日々をこれからも生きるのであれば、冬弥は絶対に人間としての人生を送れません。人間としての未来はありません。冬弥君の役割を押しあてられた肉人形へと成りはてるだけです。人格を持った一個体として由綺に扱われることはまずありえず、人間をやめる覚悟が必要です。そうやって根本的な尊厳を打ち捨ててでも由綺との共生を願い、人間性を返上してしまう結末が由綺EDです。冬弥本人はその身に幸せを得たと信じて疑わないことも含めて、究極の不幸EDだと思います。


価値観の問題で、明朗快活で歯切れよいものの見方こそをよしとし、冬弥の鬱陶しい苦悩陳述を作中不要に感じている人であれば、由綺EDに向かう展開で、ある種吹っ切れた彼の様子を人間的成長ととらえるかもしれません。実際、自分と関わりのない他人の愚痴を延々聞かされる(読まされる)のはあんまり気分いいものではないので、冬弥の変化を視界の晴れとして好意的に感じるのももっともです。ですがその実、冬弥のネガティブぼやきこそがWAという作品のコアで、一番大事な要素です。ごちゃごちゃ悩む人間性も含めての冬弥なのに、ていうか悩める人間性こそが冬弥の最たる人間特性なのに、それが失われては彼の存在理由がなくなります。冬弥に「読むのたりいから苦悩やめろ」と言うのは「冬弥をやめろ」と言っているのと同じです。


とかく悩むという行為を醜態と位置づけて否定する層も少なくないですが、悩むに限らず、ものを考えるというのはとても大事なことだと思います。考えるからこそ人は人間たりえるのに、由綺ED冬弥はその人間としての本分を放棄して、人間をやめてしまいます。事実、彼は自分であることを返上して、己のない「冬弥君」へと成りはててしまいます。由綺に接する中で漠然と心に引っかかってきた(でも考えないようにしてきた)自分の尊厳へのもやもやを、自分の尊厳ごと撤廃することでまるごと一掃します。そうとなれば、明らかに人間性を無視した由綺の要求への対応にも疑問すら生じなくなります。考えるのをやめたから。人間をやめたから。ただ由綺の要求を満たすためだけに生きるのであれば冬弥個人としての思考はいりません。そこにはもはや苦悩は存在しないのです。苦悩がなくなることがはたして本当に人として幸福と言えるのか、うわべの結果だけで判断するには複雑すぎる話です。


冬弥は「由綺が好きだから」という理由一つに集約して、犠牲も厭わず自らを彼女の私物と化す道を選びますが、彼はそもそも疾病上の理由でその相手を取り違えている訳です。「由綺が好きだから」ただ一つを献身の意義としていますが、由綺はその肝心の「愛する彼女」ではなく、本来由綺にそこまでして尽くす意味はどこにもないのです。さらには由綺自体の人間性からして呆れはてたもので、この有害物には大事にまつりあげるほどの価値はありません。尽くす筋合いのない相手に、自分のすべてを捨ててその身を提供する今後を選ぶというのはきわめて愚行だと思います。


ただまあ、冬弥の身の上をごく名目上の「アイドルの恋人」のみに限定して切りつめて考えるのであれば、そこに個人の人格は必要とされず、自分として生きる権利を全部捨てて相手に従うだけの役目に絞りこまれるのは必然です。加えて、主人公に余分な個性や背景はいらねえわというのがプレイヤー方針なら、それはそのまま由綺の方針とも合致するので座りよいでしょう。彼女が個人的に必要としているのも冬弥君だけで冬弥自体の個はいりませんからね。「アイドルの恋人」として生きるというのはそうした人ならざる存在に徹するということで、冬弥本人がそうと望んでその立場を選ぶのであれば、それこそが彼の選択権の行使と言えるでしょう。それに由綺を甘やかしてこうまで増長モンスター化させたのは当の冬弥なので、今後も責任持ってお世話しないといけない義務があります。万事よしにしか見えない表向きの流れに反し話の裏側は、恋愛ゲームのゴール相応の幸福感を満たさない非業EDですが、展開を読ませる純粋な読み物のオチとしては秀逸で面白いと思います。いい悪いは別とした、そういう一つの「お話」なのです。


極論「冬弥個人は必要とされない」というのが、全方向の視点から導き出される由綺編総括となります。由綺にとってもプレイヤーにとっても、そして冬弥本人の感覚としても「冬弥に人間性はいらない」で決着します。由綺に求められる「ただの恋人」として、プレイヤーに求められる「ただの分身」として、作品構造の上で求められる「ただの主人公」として、つべこべ言わずに表向きの役割だけ果たしていればいい、「ただの部品」である冬弥に人としての人権はない。それが他でもないメインルート(ただし、実質ダミーのハズレルート)である由綺編たっての結論です。「アイドルの恋人」として生きる上での解答は、それ以外に存在しません。