冬弥は人の痛みを分かつ人です。なので普段は相手が嫌がるであろうことは極力しません。もっともはるかや彰には日頃何かと厚かましく振る舞いますが、ここまでなら大丈夫という彼ら相互での線引きで調整がきいていることで、特に害はありません。冬弥が遠慮抜きなのと同じくらい、相手方も遠慮しないのが普通で、冬弥だけが一方的に言い放題している訳ではありません。はるかも彰も冬弥には色々と手厳しいです。冬弥がたまに繰り出す辛辣指摘の、見た目に強気なほんの字面だけに脊髄反射して全体を見ない人はそこ割と見落としがちですが、冬弥の方でもばっさり食らって痛み分けな関係性にあります。それを「ええー?」程度のゆるいブーイングオチにできる関係です。冬弥の辛口意見は基本独白止まりな上、仮に直接発言するにせよ率直な指摘が「相互間で可能」という下地ありきであり、いたって対等です。やりすぎたと感じたら冬弥は即反省して態度を切り替え修正します。感度が高いから相手の感情の小さな波にもすぐ気付いて読み取ります。悪ガキやらかすこと自体に反感を持たれやすいですが大事なのはその後のリカバリーで、この辺の素直な機転というかバランス感覚は、冬弥固有の長所としてもっと評価されてもいい部分だと思います。まあ初めから図に乗りすぎなければ済む話ですけど、そこまで求めるのは求めすぎでしょう。
冬弥の不躾はあくまで、行き過ぎを経てもそうした改めにより修復可能という親しさへの信頼で担保されていることで、その他の特に親しくない相手には彼は徹底して当たり障りなく無難に接します。親交薄い人の気を損ねたらそれまでで、誰に対しても挽回の機会があるとは限らないのは当然に判っているから。美咲はもっぱらその無難対応の相手であり、そこまでの信頼関係は構築されていません。
そういう訳で通常冬弥は美咲に対し、心を開くでもなく完全遮断するでもなく、社交辞令的な友好を示して歓待します。そしてここからの説明が難しくなるのですが、まったくの見知らぬ人よりかは交友は確かなので、冬弥は美咲についてある程度の認知はあり、その分の信頼はあります。冬弥にとって美咲はそこまで特別な存在には至っていませんが、美咲自体の人間性には心服しており、彼女をとても評価し、尊重しています。冬弥一身上の人間不信の都合で個人的には美咲に信用を向けないけれど、美咲単体は絶対的に信用しています。「冬弥は」人を信じないたちで美咲を信じないものの、「美咲の」信頼性は確信しているということです。
そんな美咲に冬弥は、博愛的というか良識の領域で「大切にしたい」との意識で接します。かといって美咲本人が「特別な人」「大切な人」というのではないのです。別に特別な意味での「好き」ではありません。どう言えばいいのやら、これだけ理解があって大切にしたいと思うのなら、もうそれは特別感情だろうと判定する人もいるかもしれませんが、あいにく「冬弥は」その考え方ではなさそうです。どちらがいい悪い、どちらが普通かそうでないかの問題ではなく、この場合「たまたま」冬弥がそういう考えではないというだけです。冬弥は「(自分から見て)個人的に大事」な相手でなくても「(相手自体を)個人として大事」にできる人です。人によっては恋愛認定が当然の正答かもしれませんが、冬弥の正解ではありません。美咲を評価して大切に思う公共心はあっても、特に自分個人のものにしたいという私情は起きません。
美咲編冬弥が分別つかないまでに美咲を追い回す、あれこそまさに熱情の表れではないかと思われるかもしれませんが、あれは別に好意が高ぶった結果ではありません。美咲への好意は一貫して「ソーシャルで人道的に大切にしたい」性質のもので、けっして「プライベートで個人的に焦がれる」訳ではないのです。冬弥が美咲に公の観点で好意を持つのと、冬弥が美咲に言い寄るのとはそれぞれまったく別の経路で起きていることで、その二つは因果として結びつきません。それとこれは別個の事情です。冬弥が美咲を好きなのは事実です。確かに冬弥は美咲が好きですが、私の観点での好意ではありません。その好きは美咲個人を熱望する種類のものではなく、それによって彼女を追う動向に発展することはありません。冬弥が美咲を追いかける事態は一貫して、好意ではない他の要因で起きている無関係な現象です。美咲が好きでもだからって追いかけるなんて真似は冬弥はしないし、美咲を追いかけているからといってそれはまったく好きの表れではないのです。「普通、好きならそういう好き以外にない、相手に近寄る理由はそれ以外にない」と思うのはその当人感覚での一般の好きの普通であって、冬弥はそうではありません。
冬弥は閉鎖的なので、自分にとって特別な存在だと認定する基準がやたら制限されていて、そうそうその対象と見なすことはありません。面識程度に仲良くする垣根は非常に低い一方で、個人的、特別に好きで大切に思う相手は徹底的に厳選しています。基本冬弥は誰にでも優しくしますが、無論それがその相手が好きだからという訳ではないのはいくらでも理解可能なことだと思います。好きな相手にしか優しくしない価値観の人にはピンとこないかもしれませんが、特に好きでなくても彼は人に優しくできる人です。好意的なのがそのまま直接好意の表れとは限らないのです。ぱっと見は人当たりがいいのでとかく来る者拒まずなたらしの優男と認識されがちですが、性根は全然そうではなくむしろ逆でくっきり線引き、ぬるい愛想の裏で大半をことごとくはじいています。冬弥というのはもう、確立してそういうやつなんです。広い許容範囲内にあって本当に受け入れるかどうかの関所は厳正です。そして美咲はそこを通過していません。
これはひとえに冬弥個人の性格の問題といえますが、とはいえその難を指して単純に人格としての欠陥どうこうの話に落としこめるものでもなく、そういう要素があるからといって性格自体が害なのではありません。その性格が「要因」というだけでそれが「いけない」のではなく、単に冬弥にはそうした独自の個性があるという客観的事実に過ぎません。それを無理に矯正する必要はないと思います。世の中そう善人ばかりじゃないので慎重にふるいにかけるに越したことはありません。一方で不信を相手に気取られてはそれはそれで角が立つので、礼を欠かない程度に友好を示すのが最低限の必須スキルだと思います。
読者は冬弥の独白を直接目の当たりにするから彼の中身に若干引く部分もありますが、作中人物にはあの癖強い独白が一切伝わらず温厚な表面しか視認できないのだとすれば、めいめい好意的にすぎる冬弥評にも納得がいくでしょう。読者が持つ冬弥像と作中でもてはやされる冬弥像が噛み合わないのはそのためです。こんなちんけな男がここまで好かれるなんて「ねーよ」と思われるかもしれませんが、案外「ねーよ」でもないんです。よくある主人公補正としての無条件絶賛ではなく、それがきわめて妥当と言えるだけの実質があります。冬弥目線から一歩引いて客観視すると「こいつ実はすげえな」としか思えないですもん。総じて読者大半のひんしゅくを買っている普段の独白ですが、冬弥はあれ、全然表には出していないんですよ。主人公のうじうじした性格が好かないというのがWAの不人気要素としてしばしば挙げられますが、その不評の主要因であるうじうじを、彼は人前では一切出しません。見た目には、ちょっと抜けた所のある素朴で柔和な好青年でしかないんです。内面の愚痴内容とは裏腹に、その自分の個人的な気分を対外に持ちこむことはほぼありません。色々毒づいているとか、悶々悩んでいるとか、そういう典型的な冬弥個性は外部から見た彼の姿にそのままで反映されることはありません。なごみ顔の裏でまさかそんな思考が展開しているだなんて、じかに対面する相手によほどの感覚がない限り見抜けるはずもないのです。
読者印象ではいつも不平不満ばかり言っている感で認識される冬弥ですがしかしながら、外観としては逆に、けっして不平不満を感じさせない穏やかで安心できる人物に見えるというのが彼の実態です。不平不満が「あるのに言えない」抑圧むき出し状態じゃなく、不平不満が「あるようにはまるで見えない」「あってもまるで見せつけない」んです。困った顔はしつつも嫌な顔はせず、何だかんだでさらっと対応しきって特に何も当てつけません。なかなかお目にかかることのない相当な好人物です、独白を見なければ。普段こんなにも自分をコントロールできているって、よく考えたらかなりすごくないですかこれ?内から外への変換で、あれだけもの愚痴総量が微塵も気配に残らないんですよ?出たとしてもせいぜい「えー?」くらいなのんきなものです。それがいいかっていうと、ある意味人間として逆に怖い、余計怖いといえばそうなのかもしれません。腹黒い点でも、実質想定をかなり上回る点でも底知れなくてめちゃくちゃ怖い。私は冬弥怖いです。
先ほど注釈として「普段」は、と限定しました。普段は感情を内部で制御しおおせている冬弥ですが、時として彼は暴走します。その暴走が致命的すぎるのでどうしても冬弥をそこメインで注目することになり、結果として当然の最低評価がくだります。彼が制御不能に陥るのは基本、はるかトリガー発動下のみで、記憶の空白を刺激されるなりはるか欠乏に苛まれるなりの理由でなりふり構えなくなる条件に限られます。彼ははるかトリガー以外の理由で見境をなくすことはありません。言い換えれば暴走要素はそれ以外にはないのです。冬弥が作中で問題を起こす大半は彼自身の性格によるものではなく、回避不能の強制要因によって別格に引き起こされていることです。それは彼の制御系統の範囲外にあります。不可避のはるかトリガーで一気にがっと心を持っていかれて不覚になるだけで、普段の内面うじうじの方は内側のみでしっかりけじめづけられており、その悩みが突発的行動に結びつくことはありません。
脇道展開での冬弥は基本的に割合まともなんですよ。というかこっちが普段の当たり前の冬弥です。イベント発生の道に進んだ別の自分に向けてか、想定する行動に「いや、そんなのはどうかしてる」調のセルフつっこみがなされることもままあることです。シナリオ本線を外れた方は目ぼしい出来事が特に起きないのでつい「価値が低い」と思いがちですが、冬弥の「考えを読める」という点では貴重な機会です。しかも端的なことを手短にまとめて言ってくれるのでむしろ「こっちのが有益」まであるくらいです。フラグを折った場合にこそ冬弥本来の制御優位な価値観が反映されていたりするので参考までに、彼の人物判定の足しにしてみてはいかがでしょう。
ちなみに由綺のフラグを折る場合も例外でなく、冬弥のまともぶりを垣間見れます。彼女の急すぎる無茶振り要請に乗っからない選択では、ざっと要約しますと「いくら由綺のためだからって私情で勝手に元ある予定を変更するのはどうかと思う」みたいなわきまえを語ります。思わず笑っちゃうほど正論な正論で、確かに確かに。ああ、それがだめなんだってこと本当はちゃんと本人判ってるんだ…。他にも、むやみに聞き入れる言いなり状態を指して「下手したらアイドル森川由綺にかしずいてるだけになる」と自己批判します。自分をよく判ってるじゃないですか。自分の問題点をしっかり自覚できています。見たくない現実も直視しています。想定する由綺像は相変わらず現物とはズレていて思いやりに満ちたものですが、まあでもかしずくなんて自己イメージが浮かぶこと自体、半分もう気付いているようなものです。由綺から扱われる自分の立場が人道的におかしいということも「奥底では」ちゃんと承知の上で普段から懐広くして合わせているのだと窺えます。それらを力説するでもなくさらっと素で普通に当たり前に述べることからも、こっちが本来の冬弥思考なんだろうなとつくづく感じます。
ただ彼は致命的な欠陥として「自分を守る」という意識が異常すぎるほど欠けていて、「自分が責められる」事態を厭いません。誰かを立てるのに自分の不義理が生じる場合「自分の方が落ちる」という方法で決着してしまいます。本人としてはそれなりに十分な自覚があって、周りのことも見えていて、けっして無思慮ではないのに、それでも何らかの板挟みになった時「率先して自分が悪者になる」ことで収束をはかってしまう闇の深さを持ちます。普通の人なら自分の身を案じて普通こんなことになりません。冬弥は標準から逸脱した存在として、あえてそういう性質に徹底されている特異主人公です。