はるか2


はるかと結ばれることで冬弥は記憶を取り戻したようで、それを受けて「私のこと忘れちゃっていいよ」というはるかの台詞に繋がります。冬弥はああいう曖昧な性格なので、記憶を取り戻しても劇的に表明してくれないし、自己完結してちゃんと説明してくれませんが、一心同体のはるかはそれに気付きます。冬弥が記憶を取り戻すのと、それにはるかが気付くのには多少のタイムラグがあるので、その間はるかは記憶喪失に配慮した物言いを続行しています。冬弥の記憶回復にまだ気付いていないはるかは「冬弥が兄さんと同じこと言うから」と言いますが、正しくは「冬弥が前と同じこと言うから」です。作中、はるかは幾度も兄との想い出を語りますが、厳密に兄でしかあり得ない事柄でない限り、実際は冬弥との想い出と考えて間違いないでしょう。記憶を失くした冬弥には身に覚えのない話だから、そのまま話す訳にはいきません。そのためはるかは「冬弥」を「兄さん」に言い換えて話をしています。冬弥は、テニスをするはるかを「ダンス踊ってるみたい」と表現します。それに対しはるかは「兄さんもそう言ってくれた」と言って泣き出しますが、こうした何とも言えないストレートな比喩表現は冬弥特有のものです。直喩はいいんだけど言葉のチョイスがいちいち恥ずかしい。こんなこと言うのは後にも先にも冬弥ただ一人、兄さんではありません。「ダンス」とははるかの余裕ある様子を示すもので、はるかより腕の立つ兄がそんな表現するかなって話です。記憶を失った冬弥が、それでも変わらないまま、以前言ったこととそのまま同じことを言うので、はるかは感極まったという訳です。


はるかは冬弥と連動しているので、はるか自身も、冬弥から欠けた期間と同一部位を失いつつあります。はるかの心には忘却の雪が積もっていきます。それを受けて、かろうじて冬弥に残されていたテニスをする自分の姿にすがっています。それでも一番大事なのは、冬弥から失われた他愛ないやりとり。だから、スーパースターになれなくても良かった、ただの日常が大切だった(意訳)んです。あの時はるかが死んでいれば、冬弥が自分の面影を追って誰かと付き合うのを見ることもなかった。さらに自分からも記憶が失われ、自分が自分でなくなる恐怖に苦しむこともなかった。はるかも仙人気質とはいえ、弱冠二十歳の娘さんなので、心が折れそうになることもあります。冬弥から失われたはるかのピースが由綺で置き換わるタイムリミットが2月末だと想定して、はるか編クライマックスは大体そこから一週間前くらいに発生するので、はるかも限界なのでしょう。


「降り積もるさびしさ」に負けそうで「ひとり不安な日々を過ごして」いるWA2番の歌詞は、由綺以上に、なぜか、心の雪に耐えるはるかの現状を表しています。多忙による冬弥との距離感に悩む由綺以上に、より深刻で合致した意味を持っています。そんな中、冬弥は記憶を失くしながらも、中身はかつての彼のまま何も変わらずにいてくれます。そして何も知らずに「大丈夫だよ」と励ましてくれます。はるかは冬弥の何気ない一挙一動で自分の記憶を補強することができ、彼の言葉に安心し、幸せを感じるという訳です。そして、冬弥の失われたページが由綺で優しく満たされますようにと、彼の幸せをただひたすら願っているのです。


冬弥は由綺について、自分の負担を口にせず他人の心配ばかりしている(意訳)と説明しますが、それは実は由綺ではなく、はるかを指しているのだと思います。事実、真相にてはるかはそういう性格と再確認されますしね。はるかの度量は圧倒的すぎて、冬弥が常々言っているのろけはこっちのことかと合点がいきます。「恋は盲目」なのか、冬弥は由綺の健気さをことあるごとに褒めちぎりますが、言うほどの実態があるのか疑問です。語り手の冬弥がそう言うんだからそうなんだろうとそのまま受け取りがちですが、実際の由綺の言動は、冬弥が言うほどではありません。由綺は割と、自分がどれだけ冬弥を想っているかと強調しますし、自分の頑張りを誇示しますし、会えなくて寂しいとも訴えますし、普通に何かと自己主張してきます。「彼女が他人を思いやるあまり、自分を後回しにするぶん、俺が彼女を気にかけなくちゃ(意訳)」と冬弥が気負うほどではないのです。冬弥の語る由綺像と実際に作中で描かれている由綺の姿は根本的に食い違っています。一方はるかは確かにまったく弱音を口にしませんし、見返りも求めません。真相を知ってようやく読み手に伝わる程度で、普通にしてたらはるかの置かれている状況なんか判る訳がありません。それでも、はるかの苦境はWAの基本設定であり、作品全体の根幹をなしています。冬弥ははるかとは長い付き合いなので、彼女が苦難を黙っている性格であることは承知していますが、いかんせん認識に異常があるので、本来、気にかけるべきはるかを放置してしまっている状態になっています。冬弥が作中で熱く語る由綺の愛すべき長所は、実際ははるかの話がほとんどであり、一方で冬弥ははるかの短所を何かにつけ散々けなします。冬弥の中で賛否両方がはるかのためになされて初めて相殺されるはずの所、無意識で由綺をはるかだと思いこんでしまっているので、由綺賛美によりはるか否定を緩和し、十分にはるかをフォローした気になってしまっているのです。それが、冬弥による由綺に対する過大評価、はるかに対する過小評価の実態です。


はるかは一生懸命にしなくても何でもすんなりこなせてしまうので、とかく真面目でないように見られがちですが「はるかが不真面目」というのは、あれって冬弥がいつもそう言い張っているだけで、はるか本人は普段普通に真面目ですよ。ていうかはるかって割と普通ですよ。皆さん、お気付きでしょうか?逆に冬弥の方が、普通そうに見えて極端に思考が偏っていて、言動の論理がおかしいんです。はるかを真っ向から正直に褒めるのは面映ゆいのか何なのか、何かっていうとはるかにいわれのない言いがかりをつけます。はるかは道理をわきまえており、思考基準もいたって理に適っているので、理解の及ばないような不条理な振る舞いは基本的にしません。ただ彼女は説明不足のきらいがあるため、結果的に、時として意味不明な行動となることもあります。けれど下地にある理屈さえ押さえれば全然おかしくも何ともなく、至極まっとうな行動であったと、その認識も改まると思います。理性側に寄りすぎているという点では確かに、くだらない情動に左右される平々凡々な人間とはまったくの別次元におり、全然普通でないとも言えますが、簡潔に意図に説明がつくという点ではきわめて普通です。


さて、はるか真面目論に主眼を戻しますが、とはいえ、作中でも実際にはるかがさぼる姿を見かけます。不真面目の現行犯です。でも、ちょっとばかりはるかの身になって考えてみて下さい。この先、意識を保っていられるかどうかも判らないのに、のんびり学業に集中なんかしていられません。意識的に休養を取って気力を充電しないと、さすがのはるかも消耗激しく、現状維持は難しいのです。彼女のさぼりは必要悪なんです、ってちょっと擁護しすぎか。でも冬弥が言うように、彼女がいつもいつもさぼっているという訳ではありません。はるかは、さぼる時は大抵冬弥に誘いをかけてさぼるので、はるか自体がさぼるのはたまたまにもかかわらず、さぼるはるかに毎度遭遇する冬弥の目には、いつでもはるかがさぼっているかのように映ります。はるかにとって、冬弥との二人の時間がちょうどさぼりの時間にあてられるため、冬弥にとっては、はるかとの時間はさぼりタイムばかりになるのです。


はるか編以外では冬弥の記憶は戻りませんが、はるかの方はどうでしょうか。冬弥との記憶を守り抜いたのか、それともはるかも忘れてしまったのか。タフなはるかのことですから、無事守りきったことでしょう。「粉雪が私にいくつも降りかか」っても「忘れない I still love you」ですからね。失くした所で、想い合う仲とはいえパネル会話みたいな雑談が主でしょうから、冬弥との関係も今までもこれからも変わらないし、支障なさそうですけど。そもそもそこなんですよね、冬弥が記憶を失ってもはるかとの関係は何も変わらなかったというのが話をややこしくしています。彼らのありあまる日常会話の中から一部が多少失われた所で、周りには何も判らないっていう。それでも彼らなりに恋をして、大切なひとときを過ごしていたのでしょう。冬弥が失ったのは文字通り「思春期」です。なお、冬弥から失われたのははるかの「個体」の記憶に限定され、その期間の「すべて」を忘れているのではありません。他の人/出来事は普通に覚えているので、過去を振り返っても、特に時系列の断絶や学業の抜け落ちを感じることはないと思われます。また、はるかに関する記憶が大幅になくなっても、大抵は冬弥内部の膨大なはるか情報で補正できてしまいます。この特殊な記憶損傷状態が、冬弥が自分の記憶喪失に気付けず、普段特に問題が発生しない理由です。