はるか4


はるかと結ばれた後、ラストシーンまでの間に、冬弥は幾度か「はるかに何かを言おうとして、やっぱりやめる」といった不可解な行動を取ります。冬弥が「何か」と焦点をぼかして説明したり「判らない」と話を切り上げたりする場合、それはそこに重大な何かが隠れているということです。これらはつまり、失っていた記憶が戻ったという奇跡の真実を、はるかに伝えようとして、でもどう伝えたら良いものかと考えあぐねて、何度も言葉をのみこんでいる描写です。言うタイミング自体は複数回訪れているのに、あえて見送る選択をしています。冬弥が思いがけない記憶回復の感激のままにそれを明かすことは、はるか精いっぱいの強がりを無にする行いとなります。はるかが、冬弥に忘れられたことによる心痛を一切見せず、何でもない風に微笑み続けている以上、冬弥ははるかの心意気を尊重するしかありません。はるかの意向を汚すことはできないのです。「つべこべ考えてないで即刻回復状態を伝えてはるかの気持ちを楽にしてやれよ」と思うのは、外野に過ぎない読み手側の、見当違いで勝手なお仕着せであって、何が最適な解なのかは、冬弥とはるかの間でしかすり合わせることはできません。冬弥が、はるかにとってそれが最も彼女の願う対応になると思っているなら、それが冬弥にとって唯一の正解なのです。


作中人物である冬弥本人は自身の記憶回復を把握していますが、冬弥として彼の言動を目で追うプレイヤーは、必ずしもその真実にたどりついているとは限りません。初回プレイではまず100%無理でしょう。冬弥本人とプレイヤーとでは、その認識度合いに大きな隔たりがある訳です。そういう二段階の構図を踏まえ、ラケットを冬弥の手元に残したはるかの真意について、こう語られています。「今ははっきりとは判らなくても、いつかきっと、完全に判ると思った」と。はるかの真意というのが、彼女の確かな発言として明記されていない以上、結局正式には判らないままに終わり、また冬弥がはるかの何をどう完全に判り得るのかは判りません。しかしプレイヤーが冬弥の裏事情を把握することで、その結末である喪失記憶の回復をもって、はるかについて冬弥内部の理解は相当進んだものと判定することはできます。プレイヤーの感覚を、冬弥完全版の認識レベルに、より近づけることができます。そんな不確定なプレイヤー状態を予期しての「いつか完全に判る」なのです。深掘りという過程を経た真相解明によって、不完全なままに留め置かれているシナリオが水面下でひそかに順繰りに補完され、プレイヤー自身の思考込みでようやく完成する作りとなっています。


憶測でではありますが、はるかが冬弥の部屋にラケットを残した意味を具体的に言葉で書き起こすとしましょうか。はるかがテニスをする姿だけはかろうじて記憶に留めていた冬弥が、過去所定期間の記憶すべてを残らず失い、余波でそのラケットが何なのか、誰の所有かすら思い出せなくなったとしても、手元の謎のラケットを見て、わずかでも胸の痛みとして何らかの痕跡を感じてくれればそれでいい、はるかはそう考えたのだと思います。基本的に執着のないはるかとはいえ、冬弥との想い出は何よりも大切で、彼の記憶が戻る見込みはほぼないと諦めつつも、心の片隅では「ひょっとしたらいつかは」と望みを繋いでいた部分があります。平気な顔をしていても本当はすがっていたいのです。テニスは、冬弥の記憶とはるか当人とを繋ぐ最後の砦です。それでも、これまでの関係に追加する形で、二人が確かで強い新たな絆を結んだことで、過去の繋がりを一部まるまる失ったとしても何もおそれることはない、と思考を切り替えたのでしょう。ゆるがぬ現在の獲得、そして開けた未来への展望により、けっして欠かせない大切な過去を手放したとしても心迷うことはないという踏ん切りがついたのです。


音楽祭放送後、由綺の所へ向かう冬弥に対し「ロック忘れないでね」と、はるかは念を押します。これは高価な自転車の防犯対応の依頼ももちろんありますが、まずもって、はるかが自ら切り出して何らかの要求の意を示すのはとても珍しいことで、額面通りの単純な作りではない、ただならぬ意図が想定されます。冬弥に、心のアルバムを忘れずにロックしてから、その上で由綺に会いに行ってねと言っているのです。「私のページに由綺を挿しこまないでね」との要求です。はるかは音楽祭直後のこの時点ではまだ、冬弥の記憶回復に気付いていません。はるかの頭では、冬弥は現時点でもなお、由綺を媒体とした夢の中、いまだ夢追うはるかの傍らで、彼女を支え応援しているという、失われた夢の続きを見ているものと思っています。対象を取り違えて幻を見ていると思っています。その前提はそれで仕方ないとして、最後の最後まで混同したまま「現実には夢を諦めたはるかが夢の中で夢を叶えた」「それが今ある現実の確かな現実として置き換わる」なんていう誤った事実が確定し、冬弥が夢を現実として受け入れてしまうのは望ましくない訳です。彼が自らの望みを達成し、それに納得・満足した時点で、冬弥は完全に夢の中の人になってしまいます。「はるかは道を閉ざした」という確かな過去をねじ曲げてはなりません。それが「はるか」であり、それ以外にないのですから。はるかとしても、冬弥の中で「はるかがはるかとして」存在し続けることを望み、悔やんでも仕方ない過去を偽りの満足の結末で塗りかえることは望みません。自分と由綺は「違う」のだと、冬弥に二つのイメージをしっかり切り離して受け入れてほしいのです。


幸い由綺は夢を実現し、はるかとは「違う結末」を手に入れました。その決定的な差に、はるかは望みを賭けます。その栄光と挫折には語意通りの優劣はなく、両方が、冬弥が二人を判別するための不可欠な指標です。はるかは、冬弥自ら「夢から醒める」ことを願いました。冬弥が一人で、自力で決着をつけることが必要で、だからこそはるかは彼を単身で送り出します。誤りとはいえ、見始めてしまった夢の結末は、当人の責任でもって最後まで見届けなくてはなりません。由綺との関わりは夢を叶えた形で締めくくり、そして、はるかとの過去は由綺の存在によって侵食されないよう切り離して保守する。はるかのページを由綺に明け渡すことなく、はるかとの想い出は損なわれたままありのまま受け入れ、由綺は由綺ではるかとは別途振り分けて落としこみ、両方にけじめをつけること。それが、はるかが冬弥に望む、最終的な願いの詳細です。なお、はるかと結ばれた時点で、冬弥のアルバムははるか対応に完全保護、つまり、まさしくロックされるので、以降はるかに関する過去未来すべての記録において、はるかが由綺で上書きされることは絶対にありません。が、そうした機能が偶然に有効化することによって、はるかにはもう何も憂う必要はなくなったという問題解決の事実を、冬弥がはるかに直接告げることはないので、気付かないはるかはしばらく既存の認識のままで冬弥とのやりとりを続行します。この辺りの二人の認識状況の違いは本当に絶妙で、「近くて遠い」かつ「遠くて近い」間柄を描いたはるか編ならではの格別な仕組みだと思います。真実に近づいても視点は他に向けられており、理解は及ばなくても心はすぐ隣で寄り添いあっているのです。そして、常にはるかに遅れをとるばかりの冬弥が、その限られた期間でだけ、一時的に認識力の上で優位な立ち位置になるというのも見所です。ただし、エピローグともなれば早くもはるかは冬弥の回復状態に気付いており、相応に改めた前提でもって話します。さすがはるか、回転の速さをとくと思い知らされます。まれに思考回路の流れが滞ることもありますが、最終的には何でもお見通しです。


エピローグにて、髪の長いはるかの姿が思い出せなくなって云々という独白がありますが、一度取り戻した記憶が再び失われたのか、想い出として風化しただけで記憶はちゃんと残っているのか、冬弥の状態はよく判りません。いくらはるかが「忘れちゃっていい」と言っているとはいえ、記憶を失ったことではるかを悲しませ、全編で問題を起こしている訳ですし、記憶を取り戻したのなら今度こそちゃんと覚えているべきです。私としては、冬弥の記憶は残っているものと信じたいです。髪の話に先行して、冬弥は片目だけ開けた状態で「今まで自分とはるかの間には大きな別れ道はなかった」と語ります。それは実際、事実と反するのですが、真相を知る方の片目をつぶっているから事情が伏せられているのだと思います。それか判っていてとぼけているか。ともかく視界をぼやかさず、両目をしっかり見開けばちゃんと意識は健在だと思います。


かつて冬弥は、別に髪が長いという理由ではるかが好きだったのではなく、はるかの髪が長かろうが短かろうがはるか自体が好きだったのですが、記憶喪失の前後ではるかの髪型が大きく変化してしまったために、冬弥は想い人を見失ってしまいました。そして、髪が長いというただそれだけの共通点で見つけ出した相手が由綺です。結果「髪が長いから好き」みたいなどうしようもなくくだらない印象になっています。「髪の長さは関係ない、俺ははるかだから好きなんだ」と率直に言えればいいのですが、現実問題、由綺によそ見をしていたという経緯があるため、自信満々にはるか愛を伝えることができません。一方はるかは、冬弥のやむを得ない事情と複雑な心理を重々承知しているけれども、長年放置されたことへのちょっとした意趣返しのつもりか「冬弥、間違えてたね」と優しくなじる指摘の意味をこめて「髪、長い方が好き?」と訊ねてきます。前述の通り、冬弥は自身が望む返答をすることができないので「判らない」と濁します。はるかも冬弥自身も、冬弥が言いたい言葉を判っており、またそれを言えないことも判った上で、あえて言葉にしないで感情を通わせます。言わなくても判っているけれど、言わなくては結局何も確かめられないという悲哀の中、不確かな関係を続行することを匂わせ、物語は終了します。


過去、はるかがなぜ髪を切ったかについてですが、兄の死をきっかけに女性らしくあることを放棄したようにも見え、何だかはるかが兄に対し、女性としての立場から想いを寄せていたかのような妙な印象になっています。ですが、ショートの今でも根本的にはるかは女性らしく柔らかい性質を持っており、お手入れもいたって細やかで、別に髪を短くすることで女を捨てている訳ではありません。素っ気なくて飾らないのは元からです。話を戻して、はるかが今の髪型にした理由ですけど、これは根拠のない憶測ですが、はるかは兄の髪型を模しているのではないかと考えます。消極的選択で長い髪を「やめた」のではなく、積極的選択で短い髪を「望んだ」のだと。自らを亡き兄の似姿とすることで強くあろうとし、今も兄と共にいる感覚を得ようとした。またそういう心理的強化のもと、自分の苦難、そして冬弥の危篤に向き合おうとしたのではないかと思います。はるかとしては、瀕死の冬弥に対する覚悟と経過を見届ける決意のつもりで髪を切ったのだけど、それが結果的に冬弥がはるかを見失う原因となったのは、皮肉なことです。なお、基準と考えられる肝心の兄の姿ですが、ちょうど髪型が判らない状態で見切れているので、残念ながら仮説には何の確証もありません。多分そうなんじゃないかな程度の軽い説です。話は立ち返りますが「はるかが兄を特別な眼差しで見ていた」というのは、兄と自分とを比べてどうしてもへこんでしまう冬弥個人の、避けられない嫉妬による思いこみと決めつけなのであって、当のはるかは別に兄を兄としてしか見ていません。いたってノーマルです。


「ただ一人の女性しか愛せない一途な青年が、その記憶を失くした時、どんな悲劇が起こるのか」を徹底的に追求した話がWAという物語です。「浮気性の青年が他の女性に目移りする話」ではないんです。由綺の存在にかかわらず、また記憶のあるなしにかかわらず、作中通して冬弥は相当はるかが好きみたいです。発言・独白ともに、はるかを何とも思っていないことを常に強調しますが、あれ大嘘ですから。精いっぱいの強がりです。本人隠したがりますが、何かとはるかを引き合いに出すことからも判るように、何でもはるかが基準で、愛がだだ漏れです。はるかを意識していることを自覚したり他人に知られたりするのが恥ずかしいのか、何でもないふりをします。表面上のシナリオではるかと関係を結び、真相ではそれに加えて記憶が戻った後でも、相変わらずいつもの調子で会話・独白をしています。この期に及んでどうしようもないやつです。はるかの「私のこと忘れちゃっていいよ」との言葉を先読みし、冬弥が一応「冗談ではるかを抱いた訳じゃない」と相応の独白をするのはいいのですが、真相を知った読み手目線では正直「そこ!?」って思います。そういううわべの話じゃなく、まずははるかの提示に沿って、記憶喪失/回復事情を読み手に明かしてほしいです。大事な話を大事な話ではぐらかして、しらばっくれてます。ともあれ、自分がはるか恋しさに本編全体で色々過ちを犯したと知ったら、冬弥は死ぬほど恥ずかしくて皆に顔向けできないんじゃないでしょうか。はるかED以外では記憶は戻らないので、知らぬが仏ですが。まあはるかEDでのしれっとした態度を見るに、意外と開き直るかもしれません。


冬弥は「はるかとの関係はお互い大切にしようなんて思わない、そう思った時点で終わってしまう」と言いますが、そこで、なるほどそうか、「冬弥ははるかを全然大切に思っていない」のだとそのまま単純に受け取ってしまうと、冬弥の人物認識は頭打ちになってしまいます。正確には「俺はこんなにも大切に思ってるんだ」と主張する意識すらないほど、当たり前に大切に思っているということです。大切に思うのが当たり前になっているので、今さらあえて強調する必要はないということです。その当然の意識を指して、大切に「しよう」とは思わないということであり、思いやりを当てつけてしまうと、その価値自体がなくなってしまうということです。ていうか大切にしている自覚自体がないんだと思います。後は大部分、はるか依存を隠すための、体裁を気にした強がりです。


冬弥とはるかはお互い「変わらない関係」というのをとても大切にしています。お互いを取りまく状況が変わっても、内情が変わっても、いつものやりとりは変わらない。けっして怠けた関係などではなく、お互い望んで選んできた関係と言えるのではないでしょうか。冬弥がはるかに持っている感情は、恋愛感情に限定されず、友情だったり、親愛だったりが色々複合したものです。かつて混同によりはるかから由綺に移行した恋愛感情は、はるかに対するあらゆる感情の中の一部に過ぎません。冬弥から恋心が欠けても、他の感情は変わらずあり、はるかが冬弥の中で最も大切な人物であることは変わりません。また時を経ることで、どのみち冬弥は再びはるかへの恋を募らせていきます。冬弥もはるかも中身は変わりませんからね。


日頃ははるかに対し、距離は近いとはいえあくまで素っ気なく適当にあしらう冬弥ですが、ごくごくまれに、周囲に誰もいない完全な二人きり状態かつ両者の気分が深まった条件に限り、心からいとおしそうな態度を示すのが見て取れると思います。恋人モードに切り替わる、とでも言いましょうか。その場合はるかはやはり「本物」なので、希少かつ言葉少なでも、よくある由綺との判りやすいふれあいよりも想いがこもった真実味のあるものとなっています。普段は照れがあって素直に愛情表現しませんが、両者納得のいく条件でのみ、甘い態度を取ります。気持ちを大っぴらにするのをあまり好まないはるかの性格を重んじ、また冬弥本人の恥じらいとプライドもあって、人前ではるかにデレつくようなことは絶対にしません。厳密に二人きりの時間にだけ、二人だけのひそかな時間を楽しみたいのでしょう。はるかとの恋はそんな風に秘密裏に温める冬弥が、由綺との恋は特に隠しだてしないのは(立場上ではなく気持ちの面で)、そのまま、相手である由綺が自身の恋を見せつけたい性格をしているためです。由綺は自分の気持ちを余さず訴えたいし、冬弥の口からも残さず言わせたいので、人前だろうが何だろうが構わず恋愛態勢です。冬弥の対応は「彼女」の意思を一番に尊重するものとなっているので、はるかから由綺へと対象がそれたことで、恋愛に関する態度が大幅に変わっています。それでも若干、意識的に由綺に合わせているような所も感じられるので、基本的には冬弥が気持ちを表に出すのを恥ずかしがるタイプなのは変わらないと思います。


ED曲においてはるかは、冬弥がほとんどの結末で「思い出すことができない」ことを「十分判っていて」、その上であえて、彼が取り戻せない懐かしい日々を「思い出していますか」と問いかけます。哀しい逆さまジョーク、アイロニーというやつです。ままならない不幸をそのまま、どうやっても覆せない前提として、その身にとめどない忘却の雪を受けながら、それでも軽やかに、冬弥の及ばぬ認識力をからかっています。自分もまた忘れそうになる運命を背負って、遭難中の気付けのように、過去の大切な想い出の欠片を一つずつ脳内から取り出して雪片にかぶらせては、薄れゆく意識にあてがい補強しています。いわゆる「眠ったら死ぬぞ」です。そもそも冬弥が「忘れている」からこそ、はるかが歌の中で誓う「忘れない」のフレーズが活きてくるというものです。冬弥が「忘れてしまった」その分は、かわりに私が二重に「忘れないで覚えてる」から、思い出せなくても気にせずそのまま「忘れちゃっていいよ」、冬弥の分の記憶は、私がちゃんと大切に守っていくから消えてなくなったりしない、だから冬弥も私も「大丈夫だよ」と、はるかは歌っているのです。


「POWDER SNOW」は一般に「別れた恋人を想う歌」として知られているようですが、実のところ、別れのフレーズなど歌詞中に一つも含まれていません。よく見て聴いて下さい。どこにも無いですよね?無いんですよ。歌詞として紡がれる想い出の絵面はどちらも、「ごく近く、そして一歩引いた場所から温かく見守る」といった構図で表現されています。熱々な恋愛モードというよりは、もっとずっと身内的な、親愛に満ちた穏やかなものです。そしてそれだけに、何があっても変わらない安定感を持っています。つまり「それまでの見守るような立ち位置をそのまま保持する」という形での「I still love you」なのであって、それはけっして「別れ」ではなく「継続して側にいること」を意味しています。想いをはせる「私」の前に対象の「あなた」がおらず、二人の間に空間的な距離があるのはたまたまその時はそうなだけで、それは日常の一側面に過ぎません。はるかと冬弥が各々の自由時間の個人行動で離れて過ごすのはいつも通り、普通のことです。この歌は、望まぬ破局とか、去った者への未練とか、そういう次元での恋愛絡みの恨み節ではありません。品性が根本から違います。「別れてもまだ好き」というだけの底の浅い粘着質な失恋ソングではなく、「あなたが私を忘れても、私は変わらずずっと側にいて、ただ大切に見守り続ける」という、あまり類がなく、手垢も飾り気もなく純度の高い、はるか固有のさらっとした清潔な無償の価値観をうたった、彼女限定の特別な歌なんです。誰でもが適当に自分事に持ちこんでものにできるような単純な歌ではありません。


芸能界をテーマとしているように思われがちなWAですが、メインは他愛なく冴えない冬弥の日常です。華々しい芸能界にいるのは由綺であって、冬弥はTV局でバイトすることもあるとはいえ、ごく普通のしがない一般生活をしています。それを踏まえ、最もWAらしい、WA特有な、WAを象徴する人物は誰かと問われれば、アンニュイでとりとめのない作品イメージ全体から考えて、それは間違いなくはるかで、主人公・冬弥の半身として存在している以上、彼女が事実上のヒロインであることは間違いないと思います。