美咲本人との関係まとめ。冬弥は普段から、美咲のことをわざとらしいくらいくどく「優しすぎる」と褒め倒しますが、その反面、彰が同様に美咲を手放しで絶賛すると、安直に同意せずに口ごもり、何とも煮えきらない微妙な反応を見せます。これは、普段冬弥が美咲を褒めちぎるのはポーズであり、実際には彼女について、彰が思っているような善意だけの人ではないと知っているからだと思います。現に、姉たちを例とする年上女性の、年下をいいように扱うずるさ等のよろしくない性格傾向を言い連ねる彰に、冬弥は暗に「美咲さんもそうだけど、そこはいいわけ?」という言い方すらしています。その後自然に軌道回復していますが、こうしたまれにこぼす失言に注目すべきで、普段冬弥が言っていることは、あまり言葉通りに受け取らない方が賢明ってことです。冬弥と美咲は人目を気にする点で共通しており、冬弥には美咲の思惑が何となく判るため、彼女の優しさの裏側を見透かしています。そんな自分の認識が表に出て、意図せず美咲に反感めいた態度を取らないように、冬弥は自分に言い含め、自分をだましているのです。冬弥は優しいので表に出しませんが、内心「手に負えない仕事を引き受けといて俺をあてにするな」とか「その卑下、わざとらしいよ」とか毒づいているのかもしれません。優しいっていうか、独白からして二重構造になっているので、本当の本音が流出しないだけです。冬弥は面識のない演劇部員の依頼心の強さに「いい加減にしろ」とぼやきますが(口にはしない)、美咲もいい加減八方美人で後先考えないので、それに対する苛立ちをこらえて思考をそらしているのだと思います。冬弥の過剰な賞賛からして、それをあえて必要とするだけの目をつぶりたい事実があり、美咲の作為にはそれ相応の不信感を抱いているのかもしれません。マナの項目にて、冬弥の人格は仮面と本性に分かれている説を唱えましたが、それに従うなら、普段冬弥が美咲に無防備になついて大好きなのは人懐っこい仮面側で、踏みこまれるのを嫌い、美咲の打算を快く思っていないのは心を閉ざした本性側だと思います。言葉の使い方として適切かは判りませんが、冬弥は心を閉ざした精神状態という意味で「自閉」という語句を時々用います。それは他人に対して使うことが主ですが、他でもない冬弥が「自閉的」な人物であり、またそれを隠している実情があるため、自分への波及をそらす意味でも、先手を打って、自分は該当しないと言わんばかりにやたらと突っつき指摘するのです。
ちなみに美咲をはけ口にして平気でいるのも、彼女の打算を逆手に取った本性の方です。常識として、普通にライターを使えるはずなのに使えないふりをして、もたついて急接近を狙うとか、茶番はいい加減うんざりです。先述のように、冬弥は未成年想定で煙草も吸わないので、燃料切れもほぼ考えられません。一生懸命カチカチやっているのはわざとです。冬弥はライターを確認して「ガス切れだ」と語りますが、それが本当とは限りません、基本性質として、あいつ自分にも平然と嘘つきますからね。「普段使わないからガス欠に気付かなかった」のではなく「普段使わないからこそガス欠などそうそう起こるはずがない」、本当はあのライターはガス欠など起こしていないのです。ライターは美咲編のキーワードで、文筆家と着火器の掛詞です。美咲はさしずめ、自作自演のシナリオに沿った火付け役って所です。ちなみにマナ編では、目をつけた鉢植えを買うためにその花屋でバイトして、その給料で見事ゲットするという律儀な自作自演?ぶりが語られます。計画的で万事その調子です。イブの流れでも、やらせが明らかなので、冬弥は「美咲さんがその気なら別にいいよ、俺も憂さ晴らしできるし」といった両得の思考で関係に及んだと考えます。冬弥があまり本性を出さないのは、我ながら攻撃的で独善的で猜疑心に満ちたよろしくない性向だと自覚しているからでしょう。そして美咲が想ういつもの冬弥は仮面の方です。こちらは良心に従い、自分の一手によって人間関係が壊れることをおそれ、憎からず思っている美咲を困らせることに苦悩する誠実な善人です。どちらが冬弥の本心かという訳ではなく、それぞれが各人格の本音なので、どちらにも嘘はありません。普段、独白でもよく喋るのが仮面、ごくまれに真にせまったことをほのめかすのが本性というだけで、両者の本音配分はイーブンです。ただ、事実をより見据えているのは本性の方だと言えるでしょう。美咲編の裏では仮面と本性とがせめぎあっているものの、独白上ではほとんど仮面しか喋らないので、冬弥が自分を責めまくる構図となります。仮面は関係がこじれた原因を「自分が立場をわきまえず美咲を好きになったから」という理由に集約しますが、自分の行動の言い訳(説明)はしても、自分そのものについて言い訳(正当化)することはありません。あくまで自分のせいで、責任転嫁はしません。相手である美咲の行動をあげつらうことはなく、他人を絶対に悪者にはしません。全部自分が切り出し自分から起こした行動、自分が悪いとしか言いません。たとえ罠にかけられて、それにはまった結果だとしても何も言いません。本性は元々ほとんど喋りませんが、そのかわり様子を窺い、やたら観察しています。自身の心境や相手への非難を一切言葉にすることなく、現場にある事実と経過を淡々とつぶさに打ち出すことで、暗に作為の疑いを示唆します。物言わず状況証拠を並べる形です。いっそ気取られないようにすっぱり潔く上手に陥れてほしいものですが、美咲は生ぬるい態度で迷いつつ罠にかけてくるので、結局、冬弥は判っていながら引っかかる状態になり、非を二分する形になります。さらに美咲は罠を張る一方で「そんなつもりじゃなかった」という自分が傷つかないための逃げ道も確保しているので、結果的に先走った冬弥だけに非が生じます。美咲は、勝手な都合を強いてもそのまま気弱に受け入れてくれる、男のあさましい願望を絵に描いたような人物のように思われがちですが、いやいやそんな甘いもんではなく、そうした図式で決着するように仕向けられており、多くは彼女の狙い通りです。結局どこまでが美咲の狙いだったのか正確には判らないままですが。異性の心理は謎多きまま、下手に全部は解明しない方が、恋愛の神秘を感じられて良いのではないでしょうか。
美咲編の発端が他でもない美咲によって仕掛けられたものというのはあくまで仮説で、冬弥の自意識過剰と勘違いでその気のない美咲に原因を押しつけ、勝手な論理で関係を強いたという向きも普通にあります。都合をのませるにせよ、思わせぶりを責めるにせよ、どちらにしても男側の身勝手に満ち満ちて、冬弥としては心に痛く反省すべきシナリオです。要所で冬弥を焚きつけるきっかけが、本当に美咲による作為なのか、それとも意図しない偶然なのか、よく判りません。慎重な美咲は言質も物証も残さないので。また美咲の作為の有無だけでなく、冬弥が作為に気付いているのかいないのかも、どちらも直接的な表現では描かれることはありません。けれど、二人とも作為への認識を不文律の前提にしているかのような物言いをすることがあるので、やはり両者、自覚と承知の上だと思います。ただしお互いの認識状態については把握しきれていません。気遣いと保身から、言いたいこと/言うべきことを言わない二人の優柔不断がシナリオ全体にもやをかけ、物語をもどかしく歯痒いものにしています。
美咲は恋が絡むと陰湿で思いあまった行動に走りがちですが、基本的には温厚で繊細な善人です。美咲としてはほんのちょっとだけ欲にくらんだだけなのに、冬弥が思いのほか真正面から食いついてくるので面食らっているというのが真相なのではないでしょうか。全部が全部作為ではなくて、でも事実作為は存在するので、それを受けて冬弥は一事が万事で作為を疑い確信し、行動を起こしているという具合です。少なくとも美咲は、冬弥がはるか問題で不安定な状態であることを知りながら、その上で彼にゆさぶりをかけているのは確実で、まったく下心がなかったとは言わせません。一方では冬弥のはるかへの愛についても長年の凝視により判りきっているので、だめで元々で、そこまで反応を切望していなかったというのも事実です。冬弥の気を引きたかったというのも、そこまでのつもりはなかったというのも両方が本当なので、どちらも否定しきれない美咲はどっちつかずの態度に終始します。卑怯さと善良さの板挟みが美咲というキャラの持ち味ですが、元々の優柔不断さとも相まって趣のある独特な個性となっています。それは冬弥の二面性ともそのまま対応しており、美咲編をまとめるなら、ずるくて臆病な似た者同士が、先が見えず決定打のない気持ちの応酬に惑っている話と言えると思います。そして、心を閉ざし不信感で凝り固まった冬弥(本性)が、美咲の作為によりさらに疑心を深めていくも、美咲を信じようとする良心(仮面)に引っぱられ、また美咲本人との真っ向からの対峙と傷つき合いを経て、彼女にようやく心を開く物語でもあります。冬弥がはるかを探して壊れていくという美咲編の流れは、なりふり構っていられず人の良い仮面を維持できなくなって本性が表面化し、彼全体がその影響下に入っていくのと同義です。美咲に絶対の信頼を寄せていそうな表面からは想像できないほどひねくれて頑なな内心で、美咲の方でもよもや自分がこう信用されていないとは思ってもいないでしょうが、別に美咲が特別信じるに値しない人物という訳ではなく、冬弥が特別に警戒心が強いだけで、またそれを顔に出さないだけです。普段の気さくでふわっとした感じは表面だけの特性で、心の内は冷たく凍りついています。干渉をにこやかに遮断し受け付けず、自分の領域に踏みこませません。冬弥がにこにこ笑いかけ好意的に振る舞うからって好かれていると舞い上がるのは間違いです。冬弥は心を開くほどに愛嬌を振りまかなくなりますから。愛想笑いは彼の苦い処世術で、逆にていよく避けられている証拠です。一方、話の進行につれて冬弥が美咲に遠慮しなくなり、時に当たり散らすようにもなるのは、いい悪いは別として、本音でぶつかり始めている証拠です。美咲編は、それぞれが独立した別個の人格である仮面側と本性側、二通りの読み方ができ、最終的には冬弥全体で心の雪解けに至ったと思うと感慨深いです。氷の本性は解けてなくなり取りこまれ、心を改め、美咲に好かれ美咲を好きな仮面の冬弥を主体として生まれ変わります。
美咲不信の具体例を。美咲と二人で遊ぶイベントとしてスケートをしに行きますが、ひとしきり遊んだ後、美咲は氷の上で転んでしりもちをつきまくった自分について「下着までびしゃびしゃ」だか「ぐしょぐしょ」だか、何かそれ系を匂わせる卑猥なことを言います。そういう所わざわざ律儀に踏襲しなくてもいいのに。いや、さすがにそこまでは言いませんよ、元キャラみたいにそんな生々しい猥褻な表現はしないですけど。でもまあ内容は同じことです。美咲は、はずみや思いつきでものを言う人ではなく、常に思慮深く、言葉を選んで話します。不測の事態が生じた時には、血迷ってあることないこと口走るのではなく、ろくに喋れずあわあわするだけなので、「喋っている」ということはつまり、全部美咲本人の認証済みの台詞ってことです。件の台詞が発せられたのは特に緊急時でもなく、非常に落ち着いた状態、つまり本調子、完全に美咲のペースでの発言なので、自分の言葉がどう受け取られるか判った上で、明白にそういう意図で冬弥を動揺させるために言ったものと思われます。その後、冬弥が食いつく見込みがないと見るや策を引っこめ、他意はなかったかのように淡々と濁す美咲ですが、系統は違えど冬弥を追いこむ形の数ある余罪を考えるに、ほぼほぼ故意でしょう。単なる作画ミスか、目の錯覚かもしれませんが、イブに、ブラつけてきていないという具体例もあります。だまし絵のようでどちらとも取れますが、胸の上に乗っているの、カップじゃなくてただの布、シャツのまくれに見えますよね。その場合、袖に腕通した状態で、下着だけ外せないでしょ?初めからつけてないってことですよね?痴女ですよもう。テキスト上では、冬弥はブラジャーの感触があってそれをはぎ取ったとは言っているものの、確定的な物証描写ではなく、画面上、やっぱり服を着たままブラだけ外すことはできないので、それが本当にブラだったのかは判りません。何なのかも判らないですけど。一応ブラはちゃんとそこにあったとして、どんなトリックで状態保持しているかは不明ですが、初めから親切に食べやすくむいてあったのかもしれません。はてさて?名探偵求ム。そしてそんな痴態がイブだけの所業なのか疑問です。冬弥の部屋に上がる際には常に準備万端、序盤から既に召し上がれ状態だったのかもしれません。スケート場では、釣り餌に対して冬弥が大した反応もせず、聞かなかったことにして完全に無視を決めこむのすごく面白いです。「え、何のこと?俺判んない」みたいな空っぽな態度で曖昧に流しているのか、自己描写が空白で、うろたえたり恥ずかしがったりといった挙動不審な反応、期待されるような目立った言動は見せません。その手には乗りません。つれないというか、冷たいというか、少しは反応してあげればいいのに、美咲渾身のそそのかしに引っかかってくれません。美咲としては少しでも動揺させたらしめたもので成果ありと言えますが、冬弥は逆セクハラに動じず平常心です。美咲に恥をかかすでもなく、疎く鈍感で気付かないふりをして対処します。自分が愚者になることで事なきを得、難を乗り切っているのです。こうした言動を見るに、冬弥は本来、美咲にその気は全然ないと思われます。冬弥にとって美咲は、恋愛面でも性愛面でもまったく魅惑の対象ではなく、美咲編で彼が彼女を求めるのは、本当に気を紛らわす鬱憤解消の意味しか持たないようです。冬弥は原型からして、美人で性格よくていい体してる後輩に想われ尽くされても、それでも「妹がいい」と拒否する偏屈なので、好むこだわりの方向性はもう修正しようがないと思います。真に求めるものとはまったく別物でなければ、気をそらす目くらましの意味がありませんから、事実、美咲に特別な感情はなく、心から欲している訳ではないのです。それでこそ最終的に、美咲を蔑ろにしてきたこれまでを省み、心を入れ替え、彼女を真剣に受け止める決意をする流れが活きてくるというものです。
そもそも論として、彼女持ちの冬弥が別の女性と普通に二人きりで遊びに行くというイベント条件が常在している時点で問題がありますが、冬弥はそこの辺の感覚がどうにも意識が低く、日常の延長で二人でただ遊ぶだけなら特にやましさを感じません。かろうじて、由綺との約束と重なった場合にのみ、それを反故にして他を優先させることに罪悪感を覚えることはありますが、基本的に垣根が低く、別の女性と仲良くすることに抵抗はありません。冬弥の、こうした根本的な思考傾向には、はるかとの独特な関係性がかなり影響しているのではないでしょうか。本来の相手であるはるかにからして、友達モードと恋人モードを使い分けており、友達モードの時はちっとも恋の意識はありません。切り替えがシームレスなので判りにくいですが、友達としてべたべたするのと恋人としてべたべたするのとは、冬弥内部の気持ちの上でまったく異なる別物のくくりで、その使い分けがいわば冬弥のけじめです。なあなあでのべつまくなし、節操がないように見える冬弥ですが、彼なりにちゃんとした区別があり、分別もあるのです。意中のはるかに対してそうなのだから、特に気のない相手と親しくするのに何のためらいもありません。一切そのつもりはないのですから。ただ、冬弥にはその気がなくても、相手にどう思われるか、あるいは周りにどう思われるかはまた別の話で、相手に気を持たせる態度、周りの信頼を損ねる態度と言われればそうなのかもしれません。元より浮気を疑われても仕方ないタイプです。繰り返しますが、冬弥という人は、はるかを基準とした独特な思考回路と対人姿勢を持っています。由綺の恋人としては流されやすく個性もないただの軟弱顔無し主人公でしかありませんが、はるかのつがいとしては独自の個性を持つ固有の人物で、考え方にも冬弥特有の一風変わったこだわりがあり、それが彼の中では普通になっています。癖の強い中身をシンプルかつなめらかに包んだ糖衣錠みたいなもので、人畜無害然とした表面とは裏腹に、相当屈折していて底意地悪い一面、屁理屈な一面もあります。もっともその底は浅く、理屈も無理には押し通さないので結果的にはどのみち無害に近いですが。冬弥にははるかありきで成り立っている基礎設定が多く、そこからも彼女のヒロインとしての重要度が判ります。内助の功と言いますか、冬弥を冬弥たらしめ、主人公としての価値を高めているのははるかです。由綺ではありません。由綺をヒロインとした状態では、冬弥は由綺の「相手」でしかなく、まだ「主人公」として有効化されていません。本来の役割が機能していないでくの坊です。それはWAの物語のうち、序章だけをさらうようなもので、本編のスタートラインにすら達していない状態です。由綺ヒロインの物語は氷山の一角でしかなく、水面下には想像がつかない規模の全山が潜んでいるのです。
美咲の手ぐすねの話に戻ります。美咲はその恋ゆえに、隙あらば冬弥を懐柔しようとしてきます。服のボタンのほつれを目ざとく指摘し修繕を申し出るように、常に冬弥のゆるみを虎視眈々と狙っています。その干渉は冬弥の弱みを握り、彼を追いつめる方向性のものです。対する冬弥は特に重たがる様子もなく気楽に接してはいますが、水面下では探りあいが展開されており、腹に一物ある美咲を警戒して心の距離を置いているのも然りです。美咲は見た目通りの安らぎと包容の存在などでは全然なく、むしろ逃げ場のない針のむしろ、きわどくひりついた緊張感を強いる冬弥にとっての鬼門と言えます。奈落に落ちるのを待ち構える執念の蟻地獄です。女の人って怖い。そういう、度しがたく一筋縄でいかない所も含めて深みのある個性、美咲の真の魅力だと思います。総合的には美咲さんが一番怖いんじゃないかな、弥生さんなんかまだ単純で可愛い方です。
冬弥は美咲との型紙作りの際「二人きりだったけど思ったより変な雰囲気にはならなかった」と語りますが、それは期待ではなく、懸念です。いつ何時、美咲につけこまれるか判らないから用心しています。わずかなきっかけも陥落の原因になりかねません。作業現場を冬弥の部屋、作業時間を夕方から終電に間に合う時刻までという、どう考えてもすれすれの状況に指定したのは美咲です。その理由を善良な方向にすり替え解釈して快諾する冬弥も冬弥ですよ。そして実際、終電に間に合うか間に合わないかのぎりぎりまで、美咲は作業をやめようとしません。露骨です。美咲が足をすくう人だと判っているなら初めから近づかなければいいのに、冬弥はとことん甘いので、地雷原に身一つで立ち入ります。本当に美咲が困っているなら見過ごすことはできませんし、美咲への疑惑も「まさかね」と振り払い、深刻に考えないようにします。片面では度重なる事例により美咲の作為をほぼ確信していますが、もう片面では「優しくて控えめな美咲さんが大胆なことするはずない、きっとそんなつもりじゃないんだ、何考えてるんだ俺」みたいな感じで、なおも思考を追いやって美咲を信じこもうとし、自分の深読みを内部でなじります。そして美咲のつけこみを甘んじて許します。ほんと冬弥も悪いんですよ、その気がないのに優しくするわ、美咲の気持ちに粉かけるわ砂かけるわ、一方的に決めつけて見切りをつけるわ、全部承知で完全に弄んでいるようなものです。冬弥は、女殺しな自分の意識と言動の甘さをもっと自覚した方がいいと思います。通常、冬弥は自身の身持ちの固さから、どれだけ罠を張られても美咲に絶対に手を出さない自信があるので、そうやって平気で翻弄して無邪気ぶっていますが、問題は、美咲編において冬弥自身が通常ではなくなってしまうことです。冬弥は脳障害による精神的な圧迫から余裕がなくなり、正常な対応ができなくなります。いつもなら軽くいなせるはずの美咲の罠に身動きが取れなくなるのは、逃せないチャンスに美咲も本気を出して、冬弥を崖っぷちまで追いつめるべく、なりふり構わない策を展開するからでもありますが、それ以上に、積もり積もった美咲への不誠実が跳ね返ったようなものだと思います。なめくさっておちょくっているうちに、いつの間にか逃げ場を失い、外堀を埋められ、丸腰で美咲に降伏するしかなかったということです。全部冬弥の自業自得です。
美咲が繰り出す策は、その一つ一つは取るに足らない小手先の軽微なものですが、積み重なるとさすがに無視できない重量になります。下策でも相乗効果でじわじわと効力を持ち始めます。長期戦ともなると、粘着性で美咲の右に出る者はいません。望む反応を冬弥がしない限り美咲は手をゆるめず、あの手この手でたらしこみを続行するので、結果、袋小路にしびれを切らした冬弥は「あーもう、これでいいんでしょ!」と、まんまと美咲の望みに適う行動を取ってしまいます。冬弥にがつがつ言い寄られてひたすら美咲さん可哀想と同情されがちな美咲編ですが、実際には美咲の方が見えない場外でしつこくつけ回していて、そのくせ冬弥が応じるやいなや逃げて、自分が冬弥に追い回される側の被害者面で圧をかけ、彼の関心を誘導しているだけのことです。冬弥から逃げる際、人混みに紛れようとせず、わざわざ人けの少ない方を選んで向かっていくことから、本気で逃げる気はなく、自分を際立たせ、冬弥をおびきよせて絡めとるつもりでいると思います。愛され要求の駆け引きというか、そういう焦らしテクニックで、あたかも冬弥から求めたかのように仕向けられます。全部策略のうちです。
美咲の、逃げるつもりのない逃げるふりについて補足。プリント回収イベントでも、逃げると見せかけて手に持つ紙束をばらまいて冬弥(と彰)に拾わせ、拾った紙束をまたまき散らしてまた拾わせるというちんたらぶりを見せます。一度ならまだ嫌疑不十分ですが、二度やるのはさすがに作為濃厚です。慎重すぎるほどの美咲がうっかりファイルを逆さに持つ、しかも続けて同じようなミスをするなんてこと、あるはずありません。本気で逃げる気はなく、逃げる素振りで注意を引き、手助けが必要な状況を自ら作り出すことで、冬弥からの行動を引き出しているのです。その後、挙動不審に去る美咲を見て「美咲さんは転んだ時どこか痛めたんだ、でもそういうの隠しちゃうんだ、美咲さんそういう人だから」と、根拠のない憶測で彼女を心配する彰について「人が良い」と冬弥が述べていることから、先の美咲には、彰の無条件な善意の心配に値しない黒い何かがあって、冬弥はそれに気付いていることが判ります。内心「またやってるよ」的な心境だったと思います。冬弥は美咲の紙束散布が、自分の気を引くための作戦、好意ゆえの下心だと判っています。それなのに彰は何も気付かず、何の下心もなく、冬弥のために散布された紙束を、余計にも、美咲のために迷いなく拾い続けます。美咲の気持ちも彰の気持ちもままなりません。どちらの気持ちにも気付いている冬弥としては苦い気持ちです。まったくの無心で善良な彰を思えば、冬弥の心もそれは重くなるというものです。
プリントイベントと同日、その後の授業終了後の場面、廊下で喋っている冬弥たちを見かけるやいなや、自分からそこに立ち寄ったはずなのに、美咲は本当に慌てた様子でその場を立ち去ります。「いつも逃げる美咲がいつものように逃げた」と思われるだけで、いつもの逃亡と特に違わないように受け取られがちですが、いつもとは違って、いつものように間合いを保ちつつ冬弥の出方を窺って待つようなこともなく、この時は本当に脱兎のごとく逃げます。この逃亡は「ふり」ではなく本物で、その後しばらく美咲の足取りは掴めません。さて、いつもと何が違うのか?何が美咲にいつもと違う動きをさせたのか?その条件とは?それは、その場に「はるかがいた」ことです。冬弥と彰だけの場合は、上記のように紙束作戦で足止めを図り、自らも立ち往生してしばらく留まる美咲ですが、そのメンツにはるかが加わることで、美咲は身の置き場がなくなります。はるか単体が、美咲の避けたい条件です。自らの事情を知らずに異常をきたし始めている冬弥の隙間に取り入るのならともかく、もう一人の当事者であるはるかはすべての前提を知っていて、すぐさま彼の異変に感付くはずです。もう既に感付いているでしょう。さすれば、彼の混乱に乗じた美咲の魂胆、実際に彼に試行した企みもすぐにはるかに知れてしまいます。美咲ははるかに見透かされることをおそれ、彼女を見るなり慌てふためいて、まともに言葉も発せないまま身を翻して逃げ去ります。フェンスイベント前のはるかの訳判らないありがたい講話の際、美咲が近くにいながら近寄ってこないのも、そこにはるかがいるからです。はるかがいなくなってようやく安堵して近づいてきます。はるかのあの目を直視したくないのです。はるかの方でも、美咲が自分に萎縮し、そして避けていることを承知しているので、彼女の意をくんでそそくさとお暇します。ちなみに、美咲が怪我から復帰した日にも、冬弥と帰ろうとしていたはずのはるかが突然会話を打ち切って彼と別れることがありますが、それも遠目に美咲の姿を認識しての行動と思われ、その時にも美咲は冬弥を待ち伏せていた疑いが生じます。おそらくそれはごく日常的な情景で、美咲の標準行動なのでしょう。美咲に見張られているとなると、それでは冬弥と気兼ねなく親密に絡む気分にはなれないので、はるかはふれあいを続けずそっぽを向きます。はるかも大概冬弥を日々監視しているというのに、自分はされたら嫌なのか、それはさておき。さて美咲の逃亡に関してはかぶった内容ばかりで、諸々のイベントが無駄な展開の繰り返しのように思われることも少なくありませんが、実は同じことばかりが描かれている訳ではありません。それぞれ少しずつ状況や心境にどこかしら違いがあり、その小さなポイントが筋書きに大きく影響していたりします。また類型の積み重ねにより一貫しているポイントを知ることで、それ自体の重要性も判ります。その原則は美咲編に限らず、すべてのシナリオで共通です。類似表現が出てきても、飽きて無駄描写だと切り捨てたりせず、解読の足しとして、是非取り入れるといいと思います。
美咲は演技が下手なので、すぐ足がついて冬弥をたばかることなどありえないと思われがちですが、多くは、計画自体は綿密に企てているのに、本番での進行が滞り、うまくいっていないだけです。演技が下手なのがたまたま美咲自身の足を引っ張り、逆に功を奏して彼女を邪念のない人物に見せていますが、程度は低くも趣向を凝らした追撃性の陰謀の連発により冬弥を誘いこむ気は満々です。美咲に実行力がなく、また冬弥が意外と賢いので、結果的に計略が頓挫しがちなだけです。図書館での一件も、冬弥の不意の接近に慌てているのではなく、届かない場所に手を伸ばす美咲を見かねて冬弥が本を取ってくれるのは視野の端で計算済み、そのはずみでしなだれかかろうにも、計算通り思うようにスマートにハプニングできない焦りと、ハニートラップを仕掛けるにあたっての羞恥からくる躊躇が、美咲の言動を泡食った形にしているだけです。冬弥は相手に原因があっても何でも自分のせいにする悪癖があるので、バランスを崩したのは自分の不注意みたいにひたすら謝りますが、美咲は意図的に飛び上がっています。そして冬弥を掴んで冬弥側に倒れてくることから、間違いなく故意です。その際、演技の下手さがうまいこと作用して、ぎこちなく世慣れない可愛らしさとして表面化しています。それは元々の美咲の計算には盛りこまれていない予定外のプラス効果です。計算ずくのことと計算外のことが混在するも、目に見えて判るのが美咲の混乱だけなので、結果、彼女に特段の算段はないものと誤認されます。でも真実はそうではありません。美咲をかよわく無力な善意の人だと信じていると痛い目に遭いますよ。後日談パネルによると、近くに踏み台があることを認識していながらあえて使わなかったようだし、ハプニングが学校内で噂になることを想定していた証言も得られるので、確実に計画的犯行です。みさきさんまじこわい。
美咲は、いわゆる演技的な演技は下手なものの、冬弥とはるかの事情を知りながら普段平気で「由綺ちゃんが」云々言えている事実から、認識や気持ちを伏せて喋ることは十分に可能ということです。色々思惑があっても、それをおくびにも出さず平静を保って普通にしていることはできます。見え透いた策を取り繕えず慌てふためく場合と、策を講じていても何食わぬ顔をして獲物がかかるのをじっと静かに待つ場合があり、全部が全部、足がつく訳ではありません。後者の場合、目的が果たせなかったならば、そのまま何事もなく見送られ、以降蒸し返されることも特にないので、謀略が存在したことすら曖昧になります。また策自体についても、じっくり計画的に練りに練って行動に移す場合と、機を見てとって瞬時に画策し突発的に展開する場合とがあります。講堂での一件は、その場が舞台として指定されるのは美咲の意図ではなくまったくの偶然なので、その後の展開に美咲の作為など入りこむ余地はないと思われがちですが、これは先に述べた後者の場合で、思いがけずめぐってきたチャンスを逃すまいと、美咲は即興で作戦を打ち立てています。さすがに足をくじいたのまでわざとだとは思いませんが、それすらも美咲にとってはいい潮目です。転んでもただでは起きません。ただ、計画的に練った策と違って突発的な方の策は、どうしても思考の絶対量が少ないのであらが目立ち、非常に稚拙なものになります。そして下手な演技で美咲はそれを実行します。そしてそんな見え見えの罠はかえって冬弥を刺激し、苛立たせるに十分で、挑発に乗っかる形で彼はあえて餌に食らいつきます。(下手な芝居は)いいよ、そんな。こんなことで泣かないでよ(嘘泣きってすぐ判っちゃうし)。美咲を丁重にフォローしているようで、遠回しに、でも明確に引っかかる表現でもやもやを示します。非難を隠しきれません。言いたいことがあるなら気を遣ってないではっきり言えよって思います。判る人にしか判らない言い方で釘を刺すのは、語り手・読み手双方の無駄手間にしかならないからやめてほしいです。前にも述べましたが、冬弥の美咲に対する評価「優しすぎる」は、単純な賛意ではなく、反感をぼかすための常套句です。呆れる気持ちをよそに、美咲の狙いをそのままくんで逆利用し、急接近します。そしてそんな著しい反応などまったく予測していない美咲は、当の仕掛け人でありながら、かかった獲物の様子にうろたえることになります。
知謀戦は、攻守それぞれの立場での根くらべです。冬弥も我慢強い方ですけど、彼の場合、我慢しすぎて、吹っ切れた時に反動で一気に逆流する傾向があります。抑えこんでいた力が外部への攻撃として逆方向にはじけます。そういう訳で、これまでの我慢がたたって、必要以上に、美咲の想定以上に過剰な反応を見せます。美咲編の冬弥の行動変化はどれもこれも衝動的で唐突な感じがしますが、実は、長年の堆積物が堰を切ったようなもので、いつそうなってもおかしくない状態だったと言えます。美咲の計略がエスカレートして可視化するレベルまで目に余るようになるのは、冬弥の不安定を美咲が認識する本編以降とはいえ、冬弥は日頃から常に美咲の標的に据えられていたと考えます。そして、その重圧を一手にためこんでいる本性が何も言わずに黙っているだけの話です。ただし直接的な言及をしないだけで、何か言いたそうに濁したり匂わせたり、自然な流れで事実を明るみにしたりはするので、そこから推測することは一応できます。もうちょっとちゃんとした説明があれば少しは判りやすくなると思うんですけど、暗喩はシナリオさんの得意とする手法で、それが撤廃されると持ち味が一気に薄れてしまうので、情報不足の不安定さありきで、各自で解読案を組み立てるしかないようです。
美咲は対外的には自信の持てない人物で通っているけれど、一方では、冬弥に好かれていることを確かに自認しており、美咲編はその自惚れ前提で話が進みます。なので、実際には特に好かれておらず、むしろ煙たがられていると知ったら、それこそショックと恥辱で頬をがりがり必至です。今になって「俺別に美咲さんのこと好きでも何でもないんだよね、つきまとわれて迷惑」とあっさり断言された日には立ち直れません。彰EDへの分岐でも、論点は違いますが、美咲を何とも思っていない旨、確かに口を滑らすので、それが隠すことない冬弥の本音だと思います。冬弥は本性がむき出しになると毒をまき散らし、相手を端的に傷つける言葉しか吐けなくなると思われるので、やんわりオブラートに包んで真実を伏せる仮面が、通常、いかに絶大な効力を持っているかが判ります。自分すらだましきっていますから。また、本性が美咲を相手にしていないのは確かですが、仮面が美咲に交友上ごく当たり前の好感を持ち、傾倒しているのも確かです。一応、確かに好きは好きなんです、本心から信じるに至らないだけで。仮面が美咲の本質を知らされていないのか、知った上で見ぬふりをしているのかは判りませんが、こちらは美咲がすごく好きで、彼女への恋慕を前提とした苦悩を抱え、独白でも一貫してその路線を通します。自分の中にそれ以外の理由があることを頑として認めません。本性が、美咲の情けになびき追従する仮面を認めたくないように、仮面もまた、美咲を気晴らしに利用しているだけの本性を認めたくないのです。通常、根本的な考え方に特に食い違いがなく、曖昧になじんでいる仮面と本性ですが、美咲編に限り、美咲への対応の方向性の違いから決裂します。互いの意識を否定しあうので、自分を保つためにも両者必死で譲れません。まあ、冬弥の心が両極端に真っ二つなのがいけないんですよ。冬弥内部の葛藤に巻きこまれ、ひどい振れ幅で振り回される美咲も大変ですが、彼女はそういう理不尽を愛の受難として好む傾向があるので、ああ見えてそれなりに幸せを感じていると思います。
色々疑わしい面のある美咲ですが、彼女には打算はあっても取り立てて悪意はないので、彰が想いを寄せる分には特に支障はないため、冬弥は美咲の本質を彰に告げ口することなく黙っています。裏があるとはいえ美咲が実際に優しいのは確かですし、美咲を想う彰が幸せで満足しているならそれでいいと容認しているのだと思います。どうせ彰はこの先ずっと美咲の裏側に気付かないままでしょうし、幻想が幻想として消えることはありません。彰にとって、美咲はそのまま真実なのです。ちなみに、冬弥は由綺についてもベタ褒めしますが、あれはあれで、はるかとの混同が絡んでおり、常々はるかをくさす反動で過剰にのろけているという別事情です。外観上、美咲と由綺への賞賛の形態がほぼ同じであるため、冬弥(というかシナリオさん)の表現力は一見ワンパターンにしか思えませんが、実際にはそれぞれ全然違う内情があり、同じ表現でも中身は細かく差別化されています。どのみち言葉通りに受け取っていては、真実を見落とすはめになります。