自己保身に特化した美咲、自分本位に特化した由綺、そんな問題ありな女性二人に美咲編冬弥がゆれる中、ただ一人はるかだけが冬弥を案じて適切な距離を保ちつつしっかり見守ってくれています。美咲編は渦中の両女性にふらふらする骨のない物語のようで、実質、冬弥との添い遂げフラグをばっちり着々積み立てている?のはシナリオ脇のはるかです。このだまし討ち仕様。ポジション的な人物対比が特に顕著な美咲編、枠で言うなら由綺は恋人、美咲は愛人。そして無二の理解者、生涯の伴侶候補という手堅いポジションに据え置かれているのは徹底してはるかです。はるかは嫁さん。プレイヤーにはプレイヤーそれぞれの好みがありますが、「冬弥の」嫁ははるか固定です。全体的に視野を広げて美咲編を見やれば当たり前にたどりつく結論です。はるか、何気にいつでもずっと射程にいるでしょう?冬弥がそうと意識していないからそっちに向かわないだけで、周りが見えてくれば自分を一番想ってくれる人、自分に一番必要な人が誰なのか自ずと判ってくるでしょう。彰ED冬弥の行く末が思いやられる時、その場にいてくれるであろう人物はどう考えてもはるかです。多くを失う冬弥の手にそれでも変わらず最後まで残るのは、結局はるかだけなのです。まあ極論はるかさえいれば冬弥は他に何もいらないんじゃないですか?それが彼本来の原初の望みでもあるのだし。
由綺が公式設定的に「恋人」として確立していること、これは確かです。でも、そんな彼女はきっかり「恋人」限定の存在なのです。つまるところ恋人「でしかない」、よってそれ以上にはなりません。由綺という「正妻」がいながら浮気、というロジックで語られることの多いWAですが、実は彼女はけっして「正妻」キャラではないのです。安易に同一にくくられがちですがここ重要で、単に浮かれはしゃぐ恋がそこにあるだけで、健やかなる時も病める時もと誓い合える間柄にはなれません。「恋人」ではあっても「妻」的立場には全然なりえないのです。何でもない時は「冬弥君、私たちいつまでも一緒にいられるよね?」と自分たちの固い未来を熱く信じきっていられますが、肝心の病める時にはその限りでないからです。実際、病める時こそに人の本質は出てきます。由綺は病める時など試算の範囲ですらまったく想定しておらず、その時が訪れた時、彼女がまともに物事に向き合う可能性は低いです。何しろ本人何も想定していないのだから、いざそんな立場になってもそんなの知りません。何の覚悟もありません。なおかつ由綺は何があっても自分のスタンスを変えない人です。何も憂慮しないハッピーに満ちたキラキラ状態だけが由綺の思い描く未来で、それに繋がらない選択肢など彼女の視界からは分岐図ごと除外されます。由綺は一貫病まない前提です。ピンチが訪れたらその時になって初めて思い通りにならない不満にかられ、悲劇のヒロインになって大泣きするだけです。一方で冬弥というのは基本的に病みがち傾向ゆえに、彼の「病める時」の発生はある程度避けようがないのですが、由綺がそんな彼の性分に取り合うことはないでしょうし、この先に希望は全然ありません。その点、はるかは「病める時も」条件への対応に確かな実績があります。本編全体がまさにその実例な訳で、その妻資質には目を見張るものがあります。色々と「難しい」冬弥嫁の役割ははるか以外の人間には務まらないと思います。少なくとも由綺では絶対に無理です。
由綺は作中何があっても、どんな苦難を経ても最後まで冬弥君を好きでいる「とする」姿勢を徹底崩さないので、彼女の冬弥への愛情は確固で不変であると思われがちです。由綺の愛情を低く見積もり、何かあっても冬弥に対し何の対応もしないとする当方の見解を的外れに思われるかもしれません。由綺はそんな子じゃないって。由綺なら何があっても冬弥のことを一番に考えてくれるって。けれども現実問題、由綺の語る冬弥像がかなり美化されて本人とかけ離れていることは明白な事実です。そうした形而上の冬弥君に対する愛情は固定かもしれませんが、冬弥本人への扱いがそうであるとは限りません。
由綺はことあるごとに冬弥をべた褒めします。なんか冬弥のことを、何でもこなせて難なく切り抜けちゃう便利グッ…万能の人のように思っています。冬弥君、泣いたりしないもんねとそのメンタルにも一目置いています。冬弥自体はいつも裏でめそめそ泣いてるようなやつなのにこの認識。そんなヘタレでしかない冬弥なのにそれでもとことん惚れこんで高く買ってくれているように見え、「こんな俺でも由綺は好きでいてくれる」(あるいはプレイヤー視点では「何でこんなやつが好かれているんだ?」)と、恋人冥利に尽きるみたいに思われがちですが、そうじゃありません。単に由綺には冬弥が見えていないだけです。「こんな俺でも」って、「こんな俺」ははなから「冬弥君」としてカウントされないんです。現物の冬弥本人には一切意識が向くことはなく、由綺自身によって好きに構築される「冬弥君」だけが彼女の知る恋人のすべてです。由綺が好きなのは彼女が求める「冬弥君」だけで、「冬弥君でない藤井冬弥」は別にいらない訳です。それが冬弥本人においては確かな一部であっても。由綺の言う「冬弥君」はけっして冬弥本人のことを指す語句ではないのだと把握することが重要です。由綺の認識外にある冬弥本人の要素は「冬弥君」とは認められていません。また認められる見込みもありません。由綺の都合ベースでない部分は全部ないものとして扱われます。
由綺はどれだけ分かたれた状況でも迷いなく恋人を信じきっていますが、その信奉対象は冬弥君という彼女内面にある願望の産物でしかありません。由綺の願望を具体化した偶像が冬弥君なのだから冬弥君が彼女の意を得るのは当たり前です。由綺が冬弥君に絶対の信用を置いているのもひとえにそのためです。冬弥君は実質由綺の意向そのものだから、絶対に由綺の想定に反することはありません。由綺は「自分(の信じる冬弥君)を」信じているだけで冬弥を信じている訳ではないのです。冬弥君枠に入らない冬弥に対しては信用も何も、由綺の意識として認識すらされません。冬弥本人に向けられるのは信用ではなく、ただの人格無視です。
由綺は常に、冬弥に冬弥君を要求しており、彼の足元を見てはその愛情を見積もります。由綺はいつだって冬弥の奉仕に大層喜んでくれますが、単純に「冬弥君が何々してくれて嬉しい」という、冬弥の実践を受けてのシンプルな応答ではなく、念頭としてあらかじめ「『もちろん』冬弥君『なら』何々してくれる『よね?』」の意を含んだ暗黙の冬弥君モデル強制です。そして「ううん、私からは無理言えないよ…。それだけの立場なんて…私にはないし…」的なしょんぼり態度を見せつけます。健気!(ポーズ) 由綺の本性を知ってしまった上であの媚びチラ見のキメ顔見ると、人によっては画面叩き割りたくなるくらいイラッとするんじゃないかなあ。私は面白いですけど。いや由綺のクソっぷり、見てて最高じゃないですか?あんまり汚い言葉は使いたくないですが、由綺の中身を形容するのに適した言葉がこれ以外にないのであえてクソと言います。ここまでかってくらい突き抜けていて逆に清々しいです。呆れすぎてもう笑っちゃいます。私は愉快でたまらんです。現実にいたら絶対関わらない方がいい、人間性として低俗な部類ですが、キャラクター性としてはすごく魅力的だと思います。よく作りこまれた絶品キャラだと思います。
由綺にとって必要なのは「冬弥君」であって、それは何も冬弥本人でなくてもいい。ただ、誰よりも「冬弥君」をうまくやってのけられるのは他ならぬ冬弥本人というだけで。先行するイメージに打ち勝って、本物が本物であり続けるためには?由綺編では展開されない英二さん哲学は、冬弥についても適用されます。ただし視点上、冬弥の立ち位置がずれこむため、最終的な提起の主旨は若干変わります。そしてこの改変された応用版こそが由綺編の本当の本題です。「冬弥君」が完成すればするだけ、「冬弥」は消えてなくなっていく。少なくとも一人でいる間は冬弥は冬弥でいられるけれど、由綺の前では冬弥はいつも「冬弥君」であることを求められ、「冬弥」としてはいられなくなる。自分自身でいられなくなることに、冬弥自身は耐えられるか?由綺が見つめている相手はけっして自分ではなく「冬弥君」という偶像だけだという現実に、冬弥自身が耐えられるか?という話になってくるのです。恋人といることで自分でいられる自分を失っていくだけの関係って、それは恋として幸せと言えるのかなって思います。冬弥が自分を諦めることでしか持続できない恋。どちらか一方が一方的に犠牲になって、そうまでして付き合うのはどう考えても人間関係として健全でありません。
冬弥は見ての通り、人にすごく合わせるタイプの人間です。ほぼ誰に対しても、相手が望む自分で接することを常としています。多くの場合は、それでもある程度は冬弥自身の冬弥らしさも残る状態で、冬弥自ら相手側に歩み寄った主体的な結果ですが、そんな中、由綺は冬弥完全無視で「自分の勝手(冬弥君)」を彼に強いてきます。冬弥は冬弥君以外の人間性は由綺には認められていません。冬弥君の一面もまた、時として冬弥が実際持っている側面な場合もあるので見かけ上ではさほど問題になりませんが、「いるのは冬弥君だけ(他の部分はいらない、というか知らない)」という由綺のスタンスは冬弥の恋愛スタイルを大きく左右します。
冬弥の性能は凡庸なので、何でもできる訳ではないし、特別何かができるという訳でもありません。だからこそ彼は及ばぬ分を少しでも穴埋めしようと頑張り、相手に求められれば無理をおしてでも最大限対応しようとします。冬弥っていつも穴埋めにこだわりますよね?不足分は、他で自分のできることをできる限り捻出することで期待値に近づけようとします。特に由綺に対しては自分をなげうってでもその願望に沿おうとします。かたや由綺は冬弥に、冬弥君、つまり冬弥が自分をなげうって提供する奉仕の産物「にしか」彼の人間性を認めることはありません。奉仕する以外に、冬弥が彼自身である根拠、彼のアイデンティティを認可しない訳です。でなければ冬弥に冬弥君の価値はないのです。冬弥君は由綺の望み通りの冬弥君であればそれだけでよく、それ以外の要素、冬弥個人での意向は無用ということです。冬弥が当たり前に冬弥自身であることが、由綺が求める冬弥君のあり方に含まれないのであれば、冬弥は自分を捨てることでしか由綺とのこれからに同行できません。由綺の言いなりになる形でしか彼女の関心を繋ぎ止めておくことはできないのです。
相手に望まれる自分でいようとするのは、より発展的な人間関係を構築する上で、多かれ少なかれ誰にでもあることだと思いますが、冬弥の場合それが極端なんですよ。何もかも自分だけをへし折ることで由綺に合わせようとします。その上、由綺の方が冬弥に合わせることは絶対にありません。いつでも自分への合わせを強いるだけです。折り合いなんてもんじゃない、折れるのは冬弥だけです。そして由綺は冬弥を大事に思っていないから、彼が無茶な自己犠牲の結果、限界まで消耗しようが何とも思わない訳です。自分が「わあ嬉しい」と思うだけで、冬弥がどうなるかなんてまったく頭に浮かびません。冬弥の身がいたわられることは一切ありません。
作品の形態上、由綺の多忙により会う機会が減る状況が当たり前にあるから、それを受けて日々冬弥は「由綺のために何もできないのが辛い」と嘆きます。その考えは作品上、いわゆる基本コンセプトとして置かれているものです。しかしそれ以前に「由綺のために何でもする」のが当たり前になっていること自体がそもそも異常なんですよ。対等な恋人とはとても言えない、そんないびつな関係が当たり前にあります。本編では「幸い」由綺が芸能面で余裕がなくなるおかげで、個人的に冬弥を使い倒す方向の動きは目に見えて減っていきます。由綺の時間が他で縛られることで、シナリオ上では「結果的に」冬弥に要求する事例が減っていくという現象があるだけで、由綺本来のルーティンでは会うたび会うたび冬弥への要求を当然とする、というか要求を思いつくたびに冬弥のもとへ出向く、つまり尽きない要求をそのたび受けるだけが冬弥の持ち場といった認識が普通になっているのだと思います。
無理やり自分を折り曲げる苦行を、それでも至福の恋愛としているぶっ壊れた冬弥ですが、そんな彼にも限界はあります。別個の人間である限り、相手に完璧に適合することは不可能です。冬弥が自分を圧殺することでしか由綺への対応は成り立たず、とても続けていける関係ではないんです。ひたすら折れるだけの日々の中、冬弥はすごく我慢しています。でも本人としては我慢している自覚がないから、それによる不満はそんなに感じません。でも実際には相当に我慢しているから、本人の知らない所でガタがきてしまいます。それ病気になる定型パターンだからまじでやめた方がいいと思う。多分冬弥、神経症が主成分で、そういうタイプ分類に準じて思考回路が敷かれているんだと思います。確実に過労死傾向。冬弥はとにかく我慢するけど、本当はそんなの我慢したくてしている訳じゃなくて、由綺のためなら苦でもないと我慢して我慢しているだけで自分なりの感覚があるのは当たり前、自分の配分で自分を過ごしたいのが本当なんです。けれども冬弥個人の自由意志など由綺には必要でなく、それは冬弥君として認められません。由綺のために生きるのでなければ冬弥君ではない、要するに冬弥当人が自身のために生きることすら、冬弥君枠からは除外されてしまいます。由綺の見ている冬弥が冬弥君でしかないのであれば、冬弥は由綺の前では冬弥君でいるしかありません。由綺と付き合っていくには自分のために生きる権利をも冬弥は諦めるしかなく、そうして身を尽くした挙句に限界を迎えても、その時点で冬弥君の価値を喪失する冬弥は由綺に見向きもされなくなるのです。
浮気云々以前に、由綺との関係を「続けること」自体が冬弥にとってマイナスでしかありません。由綺とでは自己を殺すしかない冬弥が彼自身でいられる安住の場所を求めて由綺から逃げたとして、それを罪と断じるのはあんまりではないでしょうか。非人間的待遇をそのまま大人しくのみ続けろと言うのですか。冬弥は当たり前の自衛手段をとっただけ、けっして責められた話ではないと思います。由綺とではとても自分でいられない冬弥が、自分でいられる居場所を他の人との時間に見いだすとして、それが浮気という事象に転じうるのは結果論であって、心離れ自体はしょうがないことです。由綺と一緒にいられる果報をありがたく賜る特権、それだけの対価で冬弥は彼女のお側勤めをしている訳で、そこにありがたみを感じられなくなればそこまでの話です。
そもそも論、本当は初めから由綺をそこまでして重宝する意味はまったくないんですよ?由綺が「愛する彼女」ではないと気付きさえすれば過度で不毛な献身も解除されるでしょうけど、混同が根深く、目下それは叶わない状況です。冬弥が「愛する彼女」に生涯を懸ける誓い自体はいたって本気です。そして冬弥はダミーの由綺を、ダミーなのに、自分が生涯懸けて尽くすと決めたその「愛する彼女」だと思いこんでいるので、思いっきり全力を注ぎます。そんな見当違いの奉仕を受ける由綺は、見当違いなのに、それを当然に頂戴します。そして足ることを知らない彼女はそれだけの過剰奉仕にもかかわらず「もっともっと」で冬弥にしなだれかかり、さらなる奉仕を当然としてきます。となると冬弥としては、今の努力ではまだまだ足りないんだってなります。都度やりすぎなのに、都度及ばざるを痛感し、次こそはと一層奮起してさらに自分に鞭打ちます。でも、由綺はそれでも当たり前に次のおかわりの手を出してきます。彼女の期待に応えるためにはまた一つ頑張りの出力を上げなきゃなりません。その地獄のサイクルが延々続きます。
これが、本来の相手のはるかだったならこうまでひどいドレイン状況にはならなかったはずなんですよ。はるかは冬弥を大事にしているから、彼が無理しすぎる兆候を感知してはうまく回避し負担を和らげます。でも由綺ははるかほど聡明ではないし、冬弥を大事とも思っていないので、彼が無理を続けることで行き着く先にまで考えが及びません。冬弥君に尽くされたら「私が」嬉しいとしか感じません。「冬弥君すごく無理する時があるから私心配でえ」とは言うものの、由綺関連以外で無理するのは由綺にとって利がないのでそりゃすすめない、由綺関連ではそうして冬弥に無理してもらえることに何よりもの満悦を感じる由綺はけっしてそれを制止しません。いや口では止めるけど、それはいわゆる「振り」です。「冬弥君が無理してくれるのが私すごく嬉しくてえ」と仕向けているようなもので、それを受けた冬弥は当然、むしろ無理するのが俺の役目だとして「全然無理なんかじゃないよ」だの言いながらはりきって無理します。冬弥お前ほんと馬鹿か。まったく由綺の思うままです。気持ち一つで成り立つ見返り不要の冬弥側の善意と、優待サービスを食い散らかしてあぐらをかく由綺側の慢心、両面の組み合わせにより、二人の関係は搾取システムとして強度に確立してしまっているのです。
日々無理しかしていないのに、由綺のためなら無理も無理じゃなくお安い御用みたいな虚勢を冬弥は吹かしてみせます。そんな時由綺は、…えっ?冬弥君…っ?そんな、私なんかに…!?といった態度で、待ってましたとばかりに目を丸くします。絶対しめたって思ってる。そういうの好きな人は好きかもしれない。イラッとする人はイラッイラかもしれない。受け取る人によりけりです。作風上、人目につかないはるかとの関係でささやかに完成された理想の純愛の形が示される一方で、由綺とのただ甘ったるいだけの見せつけ過剰なペラいエセ恋愛にめっっちゃ毒仕込まれています。「恋愛=尊い」と「恋愛=罰ゲーム」が同率存在しているすごい作品です。要するに相手次第でかなり結論が分かれます。はるかと組めば冬弥人生さりげなく地味に楽土、由綺とだとハチミツトークでべとべと絡まれる苦役地獄です。お好きなのをどうぞ。
冬弥が色々尽くしてくれることに由綺は口では感謝を述べますが、その対応に痛み入っている訳ではなく、それなら次はと畳みかけ、善意につけこんできます。さらなる厚遇を要求してくるのです。前置きで「弥生のご指名で」とのパターンもありますが、由綺が往々にして、自分の欲をいかにも他者の意向のようにすり替えてものを言う人だということを忘れてはなりません。冬弥君、前は何々してくれたし、それなら次はこれもできるよね?してくれるよね?やったっ、ありがとう!上目遣いでかましてくる由綺の欲望には際限がありません。小さい子供と同レベルです。子供なら許せるけどこの先いい大人になってもあれではね…。由綺を無邪気で可愛い!とほころんでいられるのは今のうちだけです。心から喜んでくれているのは確かなのでそこが難しい所で、乗せられた冬弥は快く動かざるを得ません。けれども実質、由綺はありがとうとは思っていてもありがたみは感じておらず、やって当然できて当然と思っています。冬弥君への期待値は本人の力量のはるか上で、えげつなく日々上昇しています。冬弥がそれこそはるか的な超有能だったら、次々無茶を要求されてもそのたびあっさりクリアして何事もなく期待に応え続けることができますが、しかし彼はけっしてスーパーマンではないし、この先も絶対にそうはなれない訳です。だから必ずしも由綺の要求を言われたその通りに実現できるとは限りません。タスクを達成できないことで、冬弥は深く自分を責めることになります。
そうした、冬弥が由綺の希望に沿えない時、由綺は大抵「自分が至らないせい」みたいなことを言います。冬弥はそれを「できない俺が悪いだけなのに、由綺は俺の無力を責めないでくれる上、自分に原因を探してしまう」というロジックで考えますが、どうも由綺本人は「冬弥君には私なんかよりも(この私よりも)優先したいことがある、私じゃ(私なのに)一番にしてもらえないの」という方向で考えるようです。口では自分を卑下する言い方をしますが、それを受けた冬弥が何も言えなくなる不可避の流れを考えると話の筋はまったく逆だということが判ると思います。「それなら仕方ないよね」ではなく「私可哀想、当然のこともしてもらえないの」と言っているのです。恋人特権を笠に着て、当然の優遇を当然として、不遂行に遺憾を表明します。
実際由綺は、冬弥の状況関係なしにひたすら都合で要求して、冬弥の容量が足りるかどうかも関係なしに平気で要求して、だから時として冬弥が由綺に応じきれないとしても至極当然のことなのに、それを冬弥の「都合」で都合している勝手のように言います。「冬弥君にもやることあるもんね」と。とは言うものの、由綺はいつも、冬弥にはやることなど何もないと侮っているからああして頭から要求しまくる訳で、本心は「そんなことあるはずないよね?」です。たとえ本当に事情があったとしても由綺の前では理由になりません。冬弥側の都合はご法度で、個人の勝手は許されていません。あくまで由綺のありがたいお慈悲により一応不問扱いにしてもらえるだけです。冬弥が言う通り、彼の無力は問題にしていない(というか眼中にない)という点だけは確かに合っていますが、彼の受け取り方と由綺の言わんとしていることとでは、考え方の方向性が全然違います。
どうしてもできないことは、どうやったって「できない」のだから、それは個人の都合と能力の問題で、仕方ないじゃないですか。冬弥はその際、自分の能力不足を集中的に責めます。それに対し由綺は冬弥の能力にはまるで関心を寄せることなく、あくまで自分主体で考えます。冬弥当人が「できない」かどうかは関係ありません。「できない」なんて初めから候補にない、できなくてもやるのが冬弥君です。つまりは「私の冬弥君(私のため)ならできるはずだよね?」理論です。応じなければその役立たずは「私の好きな冬弥君」枠への加入を許されません。穏便に許容されているように見えて容赦なく意識から削除されているだけです。できようができまいが「私のために動いてくれない」ことが問題で、そしてそれは自分の価値の否定だととらえます。「できない」ではなく「してくれない」と思っているのです。心境は一気に「私のこと好きじゃなくなった?私が悪いから?」へと発展します。言うこと聞けないなら即、愛が足りない認定です。自分が悪いだなんて思ってもいません。でも表面上はあくまでそんな不平を持たない私を見せつけつつ「いいの私」と逆に由綺聞き分けの図で締めくくります。冬弥に罪悪感を刻みこんで意を通しやすくする鉄板の誘導手口、暗黙の不平大主張です。これを作為でなしに天然でやってのけるから由綺の魔性はすごい。この傾向は浮気関連に限らず万事こうです。「私が悪いから仕方ないよね」に属する口上が、まあしつこい。確実に冬弥の「そうじゃないよ」の撤回待ちです。あわよくば冬弥は折れて結局由綺に従ってくれます。
本当に冬弥が可哀想になります。由綺が一方的に勝手を通すだけの関係で成り立っているのに、いざそれが行き届かないと、由綺に応えない冬弥が悪い(ううん!私が悪いの!冬弥君が「よくしてくれない」のは私の努力が足りないから仕方ないって、私思うし…)みたいな逆境ヒロイン方向に進んでしまいます。なんだこれ…なんだこれ!?精いっぱい努力している由綺の努力を意に介さない冬弥の非人情のせいになってるじゃんか。なんだこれ!こんな由綺に申し訳なさを感じ、自分の不出来を責めまくる冬弥って、本当に性善説の人というか現実見えてないただの馬鹿だと思います。もっと自分を大事にしような青年。
由綺のように「私が悪いの」系の態度をぶりぶりと「見せつける」人の場合、「本当は悪くないのに健気にも非を請け負う私」という高潔アピールがしたいだけで本当は別に自分を責めている訳ではなく、むしろ酔って自分をひけらかし、相手方の譲歩を求めているだけなので、あんまり本気で取り合わなくてもいいと思います。スルー推奨。言ってるやつは好きに言わせとけばいいんです。逆に冬弥のように「表に出さずに」内々で自分を追いつめて周りには全然そうと判らない場合の方がよっぽど重症です。ケア徹底急務。知らぬ間にステージが進行し、周りがようやく気付く頃には既に手遅れなほどコンディションが崩れていてもおかしくありません。
WAはいわゆる「ゲーム」なので、便宜上冬弥は一日に一つの行動選択しか取れない進行形式になっていますが、常識的に考えて一日が「それだけ」で終わるはずもなく、「ゲーム的に」割愛されているだけで、それ以外にも日常生活として何かしらしているはずです。「こいつ何もしてねえな」とよく言われますが、特別な「指定行動」をするかしないかの話であって、プレイヤーが何もしないとしても、冬弥本人が何もしないってことはないと思います。また一日かけてやりとげることが世間話一個きり(不発もあり)というのはあくまで「ゲーム上」の結果であって、それ以外の大部分の時間時間では、選択に応じて普通に活動していると思います。要するに冬弥は冬弥なりに自分の生活を懸命に過ごしています。そこに由綺がやってきて毎度急な用件を持ちかける訳ですよ。冬弥にはどうせすることは何もないからいつでも由綺に即時対応できるというのは「ゲーム」としての空きであって、冬弥にも「テキストにはするまでもない」微細な予定があるだろうし、本当ならそんな急な要求に応じるためには色々調整に立ち回らなくてはなりません。芸能人からしたらたかが知れているとはいえ労力は労力です。冬弥が由綺の要求に応えるというのは、傍目で見るよりずっと骨が折れることなのかもしれません。